大阪府高齢者大学校 2013年度 考古学研究科

2013年度考古学研究科がスタートしました。
この一年を、楽しい学習の場にしていきましょう。

校外学習、近つ飛鳥博物館~黒塚古墳(4ヶ所)見学

2013年06月25日 | 日記
平成25年6月6日(木)
学習目的 : 本日は「社会参加活動の準備」であり、考古学研究科の「今年の学習テーマ」の情報を集めること。

[1] 府立近つ飛鳥博物館見学


  
1)常設展及び企画展見学
1.最初に博物館学芸員 鈴 千夏氏から導入説明があった。
・「近つ飛鳥」の地名について、古代、難波から大和に参向するのに近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けた。
・この近つ飛鳥の地には6世紀中葉以降の群集墳102基(横穴式古墳)がある。
・この地の南部の磯長谷には聖徳太子の墓である「叡福寺」がある。
・主な館内展示について、館の第1ゾーンには聖徳太子墓の横穴式石室模型を展示。また1階に「仁徳陵古墳」の150分の1の復元模型がある。また、藤井寺古墳出土の「修羅」の実物展示がある。
・この博物館は 安藤忠雄氏の設計によるものです。
・現在 春季特別展「百舌鳥、古市古墳群 出現前夜」開催中。

2.植田先生による主な展示品の解説と説明。
・倭国と朝鮮半島との説明。特に光州、扶余などと深い関係あり。
・「須恵器」は大陸系技術を渡来人により移転されたものである。
・展示品の長いカンザシは交流を示している。また韓式土器の壺の底は平面。
「瓦の説明」百済から技術導入。吹田(岸辺)の瓦窯出土の「緑ゆう瓦」は岸辺窯が一番古く「瓦」の年代基準に使う。また、丸瓦の文様は蓮の花を現している。
「古銭コーナ」の説明。「律令制」により文字が使われだした、これにより記録「戸籍」ができて、管理が始まる。(正倉院文書)
「紫金山古墳(茨木市)」コーナの説明。
・鏡と剣で結界を作る。舟形木棺墓、「ヒスイ製勾玉」など出土。
・貝輪を真似た「直弧文」付「腕輪形石製品」出土。
・土保山古墳(高槻市)出土の弓を展示。

「ハニワ」コーナの説明 (渡来人の文化が入つているのがよくわかる)
・「ミズラ」、「力士」、「大王と部下の関係」、「馬」などを展示。
・「女性は未婚か既婚の識別をしている」、「刺青」は他者と判別するもの。
・土器の形と年代編年を「一須賀古墳」出土品で説明。
「仁徳大王陵」の模型(前方後円墳)コーナで説明:「時代」により古墳のプロポーションが変わる。
・「修羅」と古墳時代の「馬骨格舞納坑(蔀屋北遺跡)」展示。牡馬は去勢する。
「特別企画展」:鏡の説明 展示の7面全部 反っている、よく見ておくこと。
・腕輪形石製品の「基」になった貝を展示。
・「堅山家文書」と「歯車形碧玉製品」(ヌク谷東ノ大塚古墳)を展示。
・「津堂城山古墳」(藤井寺)展示。
・画文帯神獣鏡景初3年(239年)出土「和泉黄金塚古墳」(4世紀後半)展示。
・山辺の路と「大和古墳群」、「鳥見山古墳群」、「佐紀古墳群」を展示。
なぜ 古墳群が動いたのか 。

仁徳陵古墳の復元模型  軒丸瓦 修羅

[2]  昼食 (橿原ロイヤルホテル)
   
[3] 橿原考古学研究所付属博物館
1)企画展
1.春季特別展(5世紀のヤマト~まほろばの世界~)
 主な展示品 「水鳥形埴輪」、「盾持ち人埴輪」、「舟形埴輪」、及び「導水施設形埴輪」(狼塚古墳)など。
・「滑石製大勾玉」(巣山古墳)。「大鉄テイ、小鉄テイ、鉄製小形農・工具」(大和6号墳)など 鉄テイが多量に展示されおり、目を引いた。
・ヤマトの武装の展示で「金銅製蒙古鉢形眉庇付冑」が目を引いた。

2.まとめ(図録 P92より引用) -まほろばの世界―
 5世紀の政治の中心地は、大阪平野と奈良盆地にある。港湾として先進文化の受け入れ窓口となり、流通の拠点となった河内湖と、列島第一位の規模を誇る巨大古墳群とその背後の一大生産地を擁した大阪平野、伝統的な有力豪族がひしめき、各所に巨大集落を設けて その生産力を競いながら大王を支え、大王の穀倉地や「王宮」の所在地として機能した奈良盆地、5世紀の政治にはいずれもが必要不可欠であった。しかし、実際に大王が政治をおこなった拠点ということを考えれば やはり、奈良盆地である。

2)常設展示場見学(内容は従来展示からあまり変更はない)
女性のボランティアガイドが丁寧に説明された。

水鳥形埴輪 大型古墳群と位置

[4] 桜井市埋蔵文化財センター
 説明担当者 中村学芸員(男性)
1)常設展示場見学
1.このセンターは「卑弥呼の邪馬台国」とされる「まき向遺跡」を主体に発掘調査をしている所である。但し、学芸員の話では、「埋蔵文化財センター」としては いっさい「卑弥呼の邪馬台国」であるとは言ってない。マスコミが勝手に書きたてている。と言っていた。
2.「まき向遺跡」の出土品コーナを説明してもらった。
・ここは当時の「首都」であったのではないか、出土した多量の日常土器、木器が全国各地から持ち込まれている。これは全国から人が集まったことをしめす。これは権力者が人を集めたとき、その集まった人々が自分の出身地の土器を持ってきたと考える。(搬入土器)
・「土器」は形、色、製作技術が異なる。場所は「南関東」、「北九州・大分」、「東海地方(50%)」「北陸系の器台土器」などである。
・展示の搬入土器(S字口縁壺)について。
「近畿」「四国阿波(徳島)」「吉備(岡山)」「山陰」などが展示されていた。また、「朝鮮半島の韓式系土器」(百済、北朝鮮、)の土器も展示。
・大形建物跡展示:「卑弥呼」の宮殿かと注目されている。(まだ未決定)
3.「まき向遺跡」の説明(埋蔵文化財センターのパンフレットより)
・「まき向遺跡」は、奈良盆地の南東部、桜井市の北部にある遺跡です。遺跡は東西12Km,南北1.5Kmと広く、3世紀から4世紀に栄えた集落ですが、他の遺跡と違って、大和以外の地域から運ばれた土器が多いことや、「まき向石塚古墳」や、「ホケノ山古墳」、「箸墓古墳」といった、最も古い時期の古墳が存在することから注目をあつめてきた遺跡です。
4.5月31日新聞発表の大福遺跡出土の「木製の仮面(2世紀後半)」が特別展示されていた。

まき向遺跡への搬入土器 
大福遺跡出土の木製の仮面

[5] 天理市立黒塚古墳展示館
   
1)黒塚古墳展示館見学
1.黒塚古墳から見つかった「竪穴式石室」を実物大で復元している。また、出土した「三角縁神獣鏡」と「画文帯神獣鏡」のレプリカを展示している。
                                        
2. 館の入口の床面に大和(おおやまと)古墳群の航空写真が貼り付けられている。ここで「黒塚古墳」と「西殿塚古墳」「行燈山古墳(す神天皇)」「渋谷向山古墳(景行天皇)」の位置関係が説明せれた。
この「す神」「景行」天皇陵は山の尾根を切断して造った「丘尾切断形」の古墳であると説明を受けた。
3.黒塚古墳の概要説明(展示館 パンフレットより)
 黒塚古墳は天理市柳本町にある前期(3世紀末頃)の全長約130mの大形前方後円墳。平成9年度の発掘調査で竪穴式石室が見つかり、33面の三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡1面、鉄製の刀、剣など多数の副葬品が出土した。棺内には被葬者の頭のところに画文帯神獣鏡1面と両側に刀1・剣1を置き、棺外に東壁側15面、西壁側17面の三角縁神獣鏡を内側に向けて木棺と壁のわずかな間に立てられていた。現在は古墳が史跡整備され、墳丘に登ることができる。
4.黒塚古墳の墳丘上から見たヤマトの景色は約1775年前の卑弥呼の里に立つた気分になった。

竪穴式石室の復元 三角縁神獣鏡


[6] 「箸墓古墳」および「ホケノ山古墳」の見学は時間の関係で中止。 バスからの外観見学となった。
3班(O・T)




                      

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