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「霞ヶ関文学」

2010-03-28 | clipping
神保哲生の「マル激トーク」|元通産官僚が明かす「霞ヶ関文学」という名の官僚支配の奥義|第467回(2010年03月27日)
http://www.the-journal.jp/contents/jimbo/2010/03/post_49.html#more


霞ヶ関文学入門
ゲスト:岸博幸氏(慶應義塾大学大学院教授)

プレビュー

 民主党政権が目指す「政治主導」がどうも思わしくない。公務員制度改革関連法案では肝心の天下り規制や人件費の2割削減が先送りされてしまったし、地球温暖化対策基本法案も民主党の選挙公約から大きく後退してしまった。一見政治主導を装いながら、どうも鳩山内閣の政務三役が、霞ヶ関官僚に手玉に取られている感が否めない。
 そこで今週のマル激では、民主党が唱える脱官僚・政治主導が実現できない原因の一つとして、官僚が政治や立法過程をコントロールするために駆使する霞ヶ関の伝統芸とも呼ぶべき「霞ヶ関文学」に注目してみた。

 霞ヶ関文学とは、法案や公文書作成における官僚特有の作文技術のことで、文章表現を微妙に書き換えることで別の意味に解釈できる余地を残したり、中身を骨抜きにするなど、近代統治の基本とも言うべき「言葉」を通じて政治をコントロールする霞ヶ関官僚の伝統芸と言われるもののことだ。

 霞ヶ関文学では、たとえば特殊な用語の挿入や、「てにをは」一つ、句読点の打ち方一つで法律の意味をガラリと変えてしまうことも可能になる。また、特定の用語や表現について世間一般の常識とは全く異なる解釈がなされていても、霞ヶ関ではそれが「常識」であったりする。若手官僚は入省後約10年かけて徹底的にこのノウハウを叩き込まれるというが、明確なマニュアルは存在しない。ペーパーの作成経験を通じて自然と身につけるものだといわれるが、あまりに独特なものであるため、政治家はもちろん、政策に通じた学者でも見抜けないものが多いとも言われる。

 通産官僚として約20年間霞ヶ関文学を駆使し、その後竹中大臣の政策秘書官として、官僚の霞ヶ関文学を見抜く役割を果たしてきた岸博幸慶應義塾大学大学院教授は、そもそも霞ヶ関文学の出発点は日本語を正確に定義して書くという、行政官僚に本来求められるごく当然のスキルに過ぎないと説明する。しかし、法律や大臣の国会答弁の文章を明確に書き過ぎると、自分たちの裁量が狭められたり、官僚が何よりも重んじる省益を損なう内容になる場合に、官僚の持つそのスキルが、本来の趣旨とは異なる目的で使われるようになってしまった。そして、そのような意図的な書き換えを繰り返すうち、法案や大臣の国会答弁で使われる単語や表現の意味が、一般常識とはかけ離れたものになってしまったと言うのだ。

 ほんの一例をあげれば、道路公団や郵政改革でよく耳にする民営化という言葉があるが、「完全民営化」と「完全に民営化」とが、霞ヶ関文学では全く別の物を意味すると言う。「完全民営化」は株式と経営がともに民間企業に譲渡される、文字通りの民営化を指すが、「完全に民営化」になると、法律上3パターンほどあり得る民営化のどれか一つを「完全」に実現すればいいという意味になるというのだ。つまり、「完全に民営化」では、一定の政府の関与が残る民間法人化や特殊法人化でも良いことになるという。しかも驚いたことに、霞ヶ関ではそれが曲解やこじつけではなく、ごくごく当たり前の常識だと言うのだ。

 岸氏が竹中平蔵大臣の補佐官として政府系金融機関改革に取り組んでいたとき、官僚が滑り込ませてきた、この「に」の一文字に気づき、法案を突き返したことが実際にあったという。政府系金融機関が「完全民営化」されることで天下り先を失うのを嫌った官僚が、政治決定の段階では入っていなかった「に」の一文字を、法案の中に潜り込ませてきたのだ。

 他にも、全く同じ文章でも、句読点を打つ場所を変えることで意味が変わったり、単語の後に「等」をつけることで、事実上何でも入れられるようにしてしまうなど、確かに霞ヶ関文学は伝統芸と呼ばれるだけのものはある。

 そして、霞ヶ関文学はそれを熟知した官僚もしくは元官僚にしか見破ることができないが、現在の民主党政権にはそうしたノウハウを熟知した上で官僚を使いこなせる閣僚が少ないため、官僚に取り込まれるか、あるいは無闇に官僚と対立する結果行政の停滞を招くなど、間違った政治主導になっていると、岸氏は苦言を呈する。

 自民党時代の官僚政治を支えてきた霞ヶ関文学の実例を挙げながら、権力の行使において言葉が持つ重要性や、政治主導の実現のために何をすべきかを岸氏とともに議論した。


関連番組
ニュース・コメンタリー (2010年03月06日)
温暖化対策基本法案に見る霞ヶ関文学の功罪

マル激トーク・オン・ディマンド 第407回(2009年01月24日)
無法地帯化する霞ヶ関
ゲスト:高橋洋一氏(東洋大学教授)

<ゲスト プロフィール>
岸 博幸(きし ひろゆき)慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
1962年東京都生まれ。86年一橋大学経済学部卒業。02年コロンビア大学経営大学院修了、MBA取得。86年通商産業省(現経済産業省)入省。同省産業政策局、内閣官房IT担当室、竹中平蔵経済財政政策担当兼金融担当相補佐官、同政務秘書官などを経て06年退官。07年より現職。著書に『ブレインの戦術』、『ネット帝国主義と日本の敗北』、共著に『脱藩官僚、霞ヶ関に宣戦布告!』など。

投稿者: 神保哲生 日時: 2010年3月27日 22:47

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 占領中、トーマス・ピッソンというアメリカ人のアジア学者が、英文の日本国憲法草案を日本語に翻訳する作業に参加。その体験記が『ピッソン日本占領回想記』(三省堂1983年刊)。

 「神権的天皇制という帽子をかぶった旧体制は、軍国主義者・財閥・官僚に支えられたものであった。軍国主義者は粉砕され、財閥勢力はその基礎を掘り崩されている。しかし、官僚は無傷で残されている。新憲法下で日本国民に保障された権利は、国民に対する官僚による旧時代の枷を破り、独裁者に代わって国民による民主的公僕を生み出す最初の機会を提供している。しかし、新憲法が施行される前に、国民の目的に奉仕する新憲法の規定に反する法律や規則を通じて、官僚が力を行使することが許されるならば、この機会も失われることになるだろう。
 第九四条・九六条において、官僚は以上のような目的を達成するための強力な力を秘めた武器を有している。この武器の使用を阻止し、国民が民主的に選挙された国会における代表者をつうじてコントロールされ、かつ国民に対し責任を負う日本政治の樹立を保障することが、総司令部の任務である。
 民主的憲法の作成と採択は、たたかいのはじめの半分にすぎない。最終的にしてかつ持続する勝利を確実にするために、国民が国会における責任ある代表者をつうじてみずからの意思を完全に表明し、かつ政府に対する統制を行使しうるまで、官僚集団に対するたたかいは続けられなければならない。」p.269

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http://home.c07.itscom.net/sampei/kenpo/kenpo.htmlより
日本国憲法94条
地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

第96条
この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。


article 94.
Local public entities shall have the right to manage their property, affairs and administration and to enact their own regulations within law.

article 96.
Amendments to this constitution shall be initiated by the diet, through a concurring vote of two-thirds or more of all the members of each house and shall thereupon be submitted to the people for ratification, which shall require the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon, at a special referendum or at such election as the diet shall specify.
 Amendments when so ratified shall immediately be promulgated by the emperor in the name of the people, as an integral part of this constitution.