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アメリカが日本の米軍基地を返還しようと申し出たとき、日本政府がノーと断った

2010-03-29 | clipping
Study of History|「日本に米軍基地を返還したい」 by リンドン・ジョンソン大統領 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年 3月28日(日)10時46分19秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs


 こんにちは、皆さん、植田です。

 昨晩は紹介が中途半端になってしまった話題です。
 アメリカが日本本土の米軍基地を返還しようと申し出たとき、日本政府がノーと断った話です。
 私が思うには、日本政府が戦後国民に隠してきた最大の秘密は、これです。

 米軍基地は、アメリカが強要するので今も日本国内にある、という発想が刷り込まれてきた戦後日本人ですが、真実は逆でした。
 日本政府が必要としているので、アメリカ軍基地は国内に存在する、が正解でした。
 自民党政府はこの事実を公表できませんでした。今に至るまで。
 それこそ、戦後の日米関係の真実の情報は常にアメリカからやってくる、です。

 それを言い出したのは、リンドン・ジョンソン大統領でした。
 ケネディー暗殺のあと、大統領職を選挙なしで引き継いだ人ですが、ニクソン大統領に先駆けて、アメリカの国力の衰退に頭を悩ませていました。

 日高氏がNHK職員としてワシントンに赴任したのはニクソン政権からだったので、それ以前の情報は日高本にはありません。
 そこでマイケル・シャラーの『アルタード・ステイツ』です。原著は1997年に出版(オックスフォード・プレス)、日本語版(草思社)は2004年。

 「ジョンソン大統領やウォルト・ロストーなどの助言者たちは、自分たちがアメリカの意思、力、富の腐食役をつとめたことを認めようとはしなかった。だが、アメリカはもはやアジアでの封じ込め政策の政治的経済的重荷を担うことはできないことは、彼らには分かっていた。
 同時に彼らは、アメリカ人が関係した日本での事件のことを日本人が口やかましくとがめだてしたり、日本政府が防衛責任を担おうとしなかったり、アメリカとの同盟の将来の価値について疑念を呈したりするのに憤慨した。彼らは、日本がアメリカを批判する代わりに、封じ込め政策の費用を負担することを望んだ。」P.364

 そこでジョンソン大統領は、米軍基地を日本に返還しようと持ち出したわけです。
 そうすれば、日本政府は状況を自分で理解するだろう、と。
 で、日本政府の反応は、いかに?

 「1968年9月、国防総省が数十のアメリカ軍基地の日本への返還申し出たとき、日本政府はしり込みした。おそらく自衛隊にはそれらを運営していくだけの予算がなかったのだろう。ジョンソン大統領が基地の受け取り拒否を公表して佐藤を困らせるぞとおどして、ようやくこの問題は解決したのである。」P.365

 佐藤とは、佐藤栄作首相です。
 この問題とは、佐藤首相が返還後の沖縄基地の立場についてどうするか、明言をしないことでした。だから、結局アメリカ主導になったわけでした。
 日本政府が自国の安全保障政策について明確に提示できないので、常にアメリカの「言いなり」になってきた、というのが戦後の日米の軍事関係史です。
 アメリカから米軍基地を返還したいと申し出てきても、それを断るしかない日本政府とは何か。

 現在の民主党政権による普天間基地移設問題の迷走も、この延長です。
 日本国の国家としての安全保障政策がないままに、普天間基地の危険性だけを除去したいとして起きた問題です。
 太田述正氏の言葉では、「これが日本にはガバーンがないということ」となるでしょう。各省庁の省庁策はあっても、日本国全体を総覧する国策がない、というのが、戦後の日本国の悲劇です。

 戦前は、この穴を「大権」を持つ天皇が埋めていたわけでした。
 占領軍が、天皇から「大権」をはぎ取った時、日本国の迷走が始まりました。その時から、省庁益が日本国の国益の地位を占めるようになりました。
 今は、私たち普通の市民が後押しして、民主党政権に「国策」を立案するように促すときです。

 これから「シンクタンク」の必要性の議論が高まるでしょう。時の政府とは距離を置くシンクタンクです。
 政府の審議会に入って、学者としてのステータスを獲得する、という時代は終わりました。これぞ、律令理性人の発想でした。「日本人の権威は、天皇への近さから発生する」、というのが丸山真夫・理論です。小田実も同じことを述べました。「日本人のエラサは、天皇との距離によって測られる」と。
 官僚は、天皇代理です。だから「官僚主導」がありえました。

 国民主権にあっては、官僚主導は犯罪です。
 だから自民党政府は犯罪集団だったわけです。日本国憲法の理念に反するという罪です。
 もっとも官僚が選挙を経て政治家になった集団が自民党の母体ですから、その意味では、やはり官僚は賢い、というところでした。
 まあ、自民党時代のことは、どうでもいいです。
大切なのはこれからです。

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律令理性パラダイムの中でしか動けない正規の日本語言論人 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年 3月28日(日)10時08分26秒


おはようございます、皆さん、植田です。

 西山太吉の法廷闘争の人生は、アンシャン・レジーム時代の日本がいかなる状態にあったのかを私たちに見事に見せてくれます。
 それは、官邸も、国会も、官庁も、検察も、裁判所も、メディアも、一体となって真実を隠すときは、普通の日本人には、あるいは、いかなる立場の日本人であれ、手も足も出ない、という体制でした。

 さて、そこで、考えるべきは、日本社会はなぜそうなっていたのか、です。
 西山氏の言葉では、「日本は最低のグレードの社会である」ということです。では、なぜそうなのか。

 この西山氏の指摘と、言葉づかいは異なるとはいえ、内容的には同じことを述べたのが、私が思うには、昨年の8.31と9.1の両日に分けてここに紹介させてもらったSさんのメールです。(全文は民主党のコーナーの9月のところにあります。)
 こうです。

 「戦後の空虚な饗宴は、皮肉にも、正式に招待されていないものたちの、つまりサブカルチャーという領域における達成以外には、見るものがないような気がしています。このことだけが、日本の戦後文化の達成として論ずるに値する意味を、世界史的な次元で持っていると思います。(この意味は、いずれ展開してみようと思っています。)
 正式な客-ハイカルチャーの主賓たる政治学や経済学、人文諸科学や文学は、このモラトリアムの時代にあって、真の学に対する動機の形成が、主体的な自己のものとしてできませんでした。あくまで、西欧に対する追随以上のものではありませんでした。
 それは、眼前にある問題に対しても、その戦後的精神の判断保留に見える由縁が、何(敗北した戦争)に起因し、何故(非近代故に、国民主権の意味が理解不能であること)にそうであったか、何故この状態(律令理性体制の定義と、その衰退期であること)として継続しているのかという、もっとも深い問いを発見することと、答えることができませんでした。
 それには、すべてを疑う独立した、あるいは孤立した精神が必要になります。そういった自然理性的存在が、いままでの律令理性的社会では知的に生きることを許容されず、その成長さえ阻害されことがありましたが、これもモラトリアムの終焉に従って、自然理性的であろうとする存在が認められ、さらに舞台の中央に押し出されるように登場を求められていくでしょう。」

 ベリー・ベリー・グッド。
 つまり、西山氏は、はからずして、律令理性人だけの社会の中で、自分だけが自然理性人である立場に追いやられてしまったわけです。
 政府が隠そうとしていた密約をスクープしてしまったばっかりに。

 西山氏は、ジャーナリストとしての仕事魂(記者は真実を報道しなければならない)からそうしたわけですが、それは律令理性の社会ではタブーでした。誰もが真実にフタをしようとするとき、告発してはいけません。それが律令理性ビレッジ(村)の最強のルールであり、オキテです。
 西山氏は、うかつにも、この最強のトラの尾を踏んでしまったわけです。

 で、Sさんが述べていることは、日本社会の正規の言論人たちは、誰もがこのルールを暗黙のうちに了解しあっているので、何も変えられない、ということです。律令理性社会のルールの範囲内でだけ、言論の自由を謳歌する正規の日本の言論人たち、と。
 ここにあっては、戦後、真に日本人の文化でオリジナルをつくったのは、サブカルチャーだった、と。

 その通り。
 「ワン・ピース」の第57巻は、集英社の発表では300万部を刷ったということです。今月の初めに出たばかりの最新号です。前回は200万部でした。
 このアニメは、ユーチューブで検索するとわかりますが、まあ、とんでもなくいろいろな言語で放映されています。
 私が思うには、手塚治をはじめ、戦後の日本で漫画が若者たちの大きなブームになったのは、活字文化の方が、律令理性のルールに縛られているためです。

 私は、このことを実証できる実例がないものか、とずっと思っていたのですが、いや、やっと見つかりました。
 西山氏でした。彼が、意図せずに、日本社会には人々の言論を規制する暗黙の絶対的ルールがあることを誰にも知らしめました。
 そのルールとは、権力が総がかりでウソをついてくるときは、律令理性人たちはこれを真実とみなすしかなく、正規の言論人たちはそれに屈するしかない、ということです。だから日本語言論は、すべてウソとなります。
 ウソをつきあって戦後を生きてきた日本語言論でした。
 これは何か。

 その一方で、悲惨な人生を送ることを強いられたにしても、西山氏のような日本人がいるわけです。
 日本人の自然理性は健在なり!! です。
 この場合の自然理性とは、日本の権力が総がかりでウソを真実として国民を丸めこもうとしても、そうはいかないぞ、と声を出すことのできる理性です。
 この点、あっぱれすぎるほど、あっぱれな人です。

 そういうわけで、日本人は全員、律令理性パラダイムの中で思考生活を送ってきた、ということがわかりました。
 私の律令理性論は、西山太吉氏の存在によって立証されたわけです。つまり、西山氏の人生は、一つの典型的実例です。

 以上は、律令理性と自然理性が日本社会でいかにクラッシュしていたか、の実例の話題でした。
 それと同時に、西山氏は日本国の安全保障のありかたの問題を提起しています。
 これはこれで、別に考察する必要があります。

 西山氏によれば、沖縄返還密約は、今に至る日本の軍事的対米依存の問題の原点です。
 さて、それはどういうことか。

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「人生は不条理だ」 by 西山太吉 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年 3月27日(土)22時50分50秒


 こんばんは、皆さん、植田です。

 西山太吉。
 私は、太田述正氏のサイトをはじめて発見したときのような気分を覚えています。

 日本のアンシャン・レジームで、権力を含め、日本社会の全体から総スカンを味わった人でした。その理由と言うのが、日本社会のために良かれと思い、沖縄返還の密約をスクープしたことでした。
 このサイトに、その無念さがあふれる言葉がめんめんと出ていました。
 http://plaza.across.or.jp/~fujimori/nt02.html#インタビュー

 「西山 アメリカは25年経って、沖縄返還交渉の隅から隅まで全部開示した。黒塗り箇所が2~3行あるだけで、その下には、「核の査察については日本側は断念してくれた」と書いてある。ということは、核については何もわからないということです。それにもかかわらず、日本は依然として日韓交渉も含めて全部隠し通している。
 こんな秘密主義を通り越した、外務省の機構内だけの慣習を国家社会全体に適用しようとしているのです。こういういびつな体質に対しては、徹底した批判がされてしかるべきなのに、不思議なことに、この国は何も起こらない。それ自体が異常です。

 田島 沖縄返還協定という正真正銘の条約があるにもかかわらず、その条約の文言に真正面から反する取り決めを政府が勝手にアメリカと結んだ。これは重大なことです。法的な責任もさることながら、政治的責任、つまり国会や国民に嘘をついて国の政治を動かす政権が、果たして統治する資格があるのかという、民主主義の根本が問われなければいけないはずですね。吉野証言が出るに及んでも、政府は密約はないとしらをきり続けている。この国はいったい…。

 西山 アメリカやイギリスで、政府が嘘をついた際によく言われる、「このような政府から国を守らなくてはならない」ということなのです。
 事ここに至って、まだこの政府は嘘八百を言っている。吉野氏は沖縄返還交渉時のアメリカ局長です。彼は交渉そのものなんです。いま現役の外務省の官僚は、沖縄返還の「へ」の字も知らない。ましてや政治家は知っているわけがない。何を根拠に吉野氏の証言に「NO」と言うのでしょうか。
 国会議員が吉野証言について質問趣意書を出したら、それはもう検証する必要なし、と回答した。「いままで通り嘘をついていきますから、どうぞよろしく」という閣議決定をしたわけです。これは重大な政治犯罪ですよ。
 アメリカの発表した外交機密文書に加えて、吉野証言と、交渉の主体が密約を認めているのです。日本政府がこれを否定するならば説明責任が発生します。吉野証言を否定する詳しい反証を挙げなければいけない。何も挙げないで「NO」と言うなら、嘘と同じです。
 私は裁判の中で吉野証言も証拠として申請しました。何度も言っていますが、日本においては、もはや追及する場が最終的にはこれしかないのです。結局、検察や警察は、国家の歯車の中の一構成要素に過ぎない。だから単独犯だったら社会正義を振りかざして追及するけれど、首相官邸を頂点としたピラミッド型の整理された組織犯罪になってくると、全くだめなのです。
 時効という問題もありますから、裁判については楽観できないけれど、吉野氏は当時の私を有罪とした裁判の検察側証人2人のうちの1人で、存命する唯一の証人です。その証言を全く無視することはできないでしょう。
 もう1つ重要なのは、吉野氏は、密約問題に限らず、日本の外交のあり方、そして日本の現在の外交安保に対する一般大衆の受けとめ方についての問題を提起したということです。この証言は、広く一般の人々もよく吟味すべき、非常に貴重な、そして衝撃的な外交資料なのです。」


 以上、抜粋です。
 西山事件の本質の問題は何か。
 官邸、国会、検察、裁判所、メディア等々、日本社会の権力構造がすべてウソをついているとき、どうやって真実を報道したらいいか。

 アンシャン・レジーム時代に西山氏が選んだのは、敗訴してもいいから、とにかく裁判を起こすことでした。これが「私のできるジャーナルだった」と。

 で、政権交代が起きました。
 これは何か、といえば、西山氏の文脈でいえば、政府が間違った時は、市民はその政府を倒すことが出来る、というジョン・ロックの政治哲学の実践です。
 その通り、民主党政権はウソを暴きました。

 ところが今月9日に公開された外務省有識者委員会の資料を見て、西山氏はあらたに怒りました。朝日コムからです。
 http://www.asahi.com/politics/update/0310/SEB201003090056.html?ref=reca

 「肝心の書類がなく、誰が破棄したのかも問われていない。全容は今も闇の中だ」

 誰が、なにゆえに、まだ隠しているのか。
 それとも、ないのか。

 これを解明するのは岡田外相にまかせるとして、以上の西山氏の「よくやった」に対して、次は、批判です。
 西山氏が指摘する「沖縄返還の主導は佐藤栄作首相の自分の業績を求めてのスタンドプレーだった」という説ですが、これは違います。
 確かに日本側には戦後ずっと沖縄返還を求める声が強く、大きかったのですが、所有しているのはアメリカです。
 アメリカ側に返還する意志がなければ、返らないでしょう。

 日高氏が言います、

 「ニクソン大統領が時代の先を読む能力を持っていなければ、簡単に沖縄が返還されることはなかっただろう。もしかしたら沖縄をめぐる日本とアメリカの関係は、北方領土をめぐる日本とロシア(ソ連)の関係と同じになっていたかもしれない。日米両国にとって、マイナスの問題として残り続けた可能性が非常に強い。」『日本いまだ独立せず』P.62

 というわけで、沖縄返還が動いたのは、ニクソン大統領の意志からでした。
 その動機は、アメリカの国力の衰退です。

 アメリカの国力が衰退して、最初にアメリカが困るのは、冷戦中ですから、ソビエトがアメリカに代わって台頭することです。
 そこでアメリカの国力を維持するにはどうしたらいいか。

 クレムリンを孤立させよ、となりました。
 それには中国とソビエトを離反させよ。
 それには中国に対して、日本が再度、軍事的に脅威にならないように、日米の友好関係は強くあらねばならい。これは中国側の希望。
 ところが当時のアメリカはベトナム戦争の真っ最中で、日本はと言うと、国をあげてベトナム反戦ムード。そこでニクソンは日本人をなだめるために(日米の友好を演出するために)日本が強く望む沖縄を返還する、と。

 ただし、核の使用はいつでも可能のままに。
 これが密約を要請することになりました。

 西山氏が記者生命を失った悲劇のもとは、ここです。
 アメリカは核の使用を求め、日本側は、非核三原則を徹底したい、と。
 どうしたらいいか。
 ここでキッシンジャーの頭脳の出番となりました。
 「核抜き」は建前とすればいい、と。
 どうせ最初から沖縄に核があるとはアメリカ政府は公言してこなかったのだから、と。

 日本が戦後の対米従属から抜け出すのは、私は、実は簡単だと思います。
 アメリカの極東戦略を理解すること、です。

 日本人がそれを理解しないので、結果的に、「アメリカの言いなり」になる形になっています。つまり、自衛隊はすでに米軍と一体化、と。

 マイケル・シャラーの『アルタード・ステイツ/日米関係とは何だったのか』を見ると、アメリカは日本本土内にあるアメリカ軍基地を日本に返還したいと申し出たことがありました。
 日本側はこれに慌ててしまいます。そして、ノー、と。今のままでいい、と返事をします。
 なんですか、これは?
 つまり、日本にはまだその準備ができていないわけでした。

 それから、アメリカはずっと日本が核保有国になることを想定しています。
 いつでもいい、と。
 むしろそのほうがいい、と。
 もちろん、アメリカに代わって、極東アジアの安定のために日本が働くとしてのことを条件に。

 ニクソンが訪中して、毛沢東を脅しました。
 アメリカと仲良くしないと、日本に核武装をさせるぞ、と。
 つまり、あの手、この手を使ってアメリカは中国をソビエトから離そうとしたわけです。

 日本はこうしたアメリカのパワー・ポリティクスを〈日本敗戦〉とか、〈東京裁判〉とか、〈日米年次要望書〉などという被害妄想パラノイアを離れて、世界の中での意味を理解すれば、意外と簡単に対米離脱できるのではないか。
 私はむしろ希望が出てきました。
 日本が自分で自分の選択肢を狭めてきた戦後史だった、と。