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考えることを拒否する教育

2010-04-08 | clipping
新時代ではこうしよう|考えることを拒否する教育。。 2010/4/7
http://blog.ap.teacup.com/koushiyou/

 

医療の世界では覚えなければ成らないことが一人の脳みそを超えだしている

ランクの低い大学ほど、そのために教育を得点ゲーム化している

受験の延長で、絶対的上限を国家試験においてそのなかで点とりをさせて。。。

ゲームはゲームを作ったものが参加者を操作できるのだ

科学はそのゲームの仕組みを変える試みだ。知の枠組みの変更が目的

つまり今の教育はアホの大量生産に主眼をおいている。考えさせるな、反応させよ。。

知の奴隷を作る作業を教育という、なら、悲しい話だ。

まあ誰かの奴隷になることを就職といいかえているのが今の社会だからやむを得ないか?

ほんとうは「自由」は資産を持つものにしかない。多くの人は貧乏になる自由しか与えられていない。

この絶対的非対称性が現代の仕組み。特に米流金融資本主義の仕組みだ。

そこで資格という制度の奴隷に成ることで少しの自由を得ようとするわけだ。企業の奴隷よりはましな奴隷。

師のつくやつ、士のつくやつは高級奴隷。

みんな自営農にかえりたがっているのは奴隷はもうこりごりだ、と思っているからだろう。

しかし食えるほどの優良農地なんか誰も手放さない。。。手放されるのは使いようのない土地ばかり。

そこでダーチャという妥協案が共産ソ連で流行した。少しの自由とほとんどの奴隷状態を組み合わせた制度だ。
ソ連崩壊時に飢えが出なかったのはダーチャのせいらしい。

。。。。

資格を得ることは自己決定権を売り渡すことでもある。

そのための教育がばかばかしいものに成るのは当たり前と言えば当たり前。

自力で考える=貧乏になる のがいやなやつが、医学部に来てるんだろう。そいつに考えることを教えようたって、自己矛盾かもね。

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新時代ではこうしよう|iPADが発売された 2010/4/6 

 
日本の家電はもう絶滅するのでないか。新味が全くない。

A4というCPUは正体不明だがかなり優秀だろう。

ここにきて、OS,CPUの両者を持つアップルの優位が明らかになってきた。

いまこれを27インチimacで書いているが画面の美しさは別世界のようだ。(windowsは色が悪いので嫌いだ。)

ipadなら野外へ出せるかもしれない。10時間持つそうだ。パナソニックのPCはおもくて新幹線などの乗り物で座って使う、が限度だった。

いまは携帯のつながるところはネットがつながる。wimaxの威力。

山の中で、自然に親しみながらネットを駆使して論文を書くことができる時代だ。

iphoneもそうだが携帯可能性が世界を広げる。

これはソニーが切り開いた道だが、ソニーなどの日本の家電業界はその革新性を自覚できなかったようだ。nintendoもね。

江戸時代の根付けや、印籠、筆つぼのように持ち運びができると言うことは本質的なことなのだ。そのことを日本人が知らない。いつのまにか重厚長大しそうに毒されてきた。武器も大型戦闘機の時代が終わり小型の昆虫や鳥のようなものになりつつある。

がいねん、理念としての携帯、を追求しなかったことがここになって設計思想の無さとなって足を引っ張っている。思想化、世界化を怠ってきたからだ。

経営陣が派閥の足の引っ張り合いばかりで技術を知らないのだろうか、「新」という言葉におびえているかに見える。

わずかに残った牙城はデジカメだが、CPU,画像チップの極小化に励まれたいものだ。

いまや800mmの望遠が500gくらいになってきた。ムービーと癒合しだしているが、これにGPSを早く内蔵して。。

この20年間、日本の技術は「安心安全」を追求してきたが、新製品はアメリカのデザイン力と癒合した新興国に追いまくられて、「臆病」の代名詞になってきている。

デザイン力はアップルが図抜けている。

科学技術で使われる装置も米国の独壇場だ。

このままの臆病経営陣では日本は食っていけなくなるかもしれない。