
◆GO!GO!親子だるまくんが行く!!◆
今回は戦後80年特別事業【未来へ遺(のこ)す平和展~過去からつなぐメッセージ~】展をご紹介!!
甲府空襲とは
太平洋戦争終盤の昭和20(1945)年7月6日、午後11時23分に警戒警報、同日午後11時54分に空襲警報が発令され、盆地一帯にサイレンが鳴り響きました。マリアナ基地を飛び立ったアメリカ軍B-29大型爆撃機139機が、甲府空襲を目的とし富士川沿いに北上し、断続的に甲府上空に飛来しました。実際には、空襲警報より早く焼夷弾の投下が始まり、日付が変わる前に爆撃が激しくなったようです。空襲警報は、7日午前2時20分に解除されましたが、わずか2時間30分の攻撃で甲府は焦土と化し、7月7日時点で、死者740人・重軽傷者1,248人・行方不明35人・被害家屋18,094戸を記録する大惨事となりました(『こうふ開府500年記念誌 甲府歴史ものがたり』より抜粋)。
※以下の日程で開催中。ぜひご覧ください。
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戦後80年特別事業【未来へ遺す平和展】 本庁舎1階市民活動室
7/4㈮ ~7/13㈰ 9時~17時(最終日は16時まで)
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親だるま:今年は戦後80年、甲府空襲から80年を迎える年なんだよ。
子だるま:へぇ、そうなんだ!知らなかった。
親だるま:甲府市役所1階で、甲府空襲や戦争に関する貴重な資料を集めた展示をしているから、見てみよう。
子だるま:手紙があるよ!誰が書いたものかな?
親だるま:これは、子どもが戦地にいるお父さんへ送った手紙だよ。
子だるま:手紙を読むだけで、戦争の影響による日常生活の大変さと、子どもがお父さんを想う気持ちがうかがえるね。
親だるま:この手紙を出したあと、甲府空襲が起こったといわれているんだ。空襲で、奥さんと子どもは亡くなってしまったそうだよ。お父さんの気持ちを想うと、胸が締め付けられる思いがするね…。
子だるま:あ、前回訪問した松林軒(https://blog.goo.ne.jp/kofukoho/e/2ac2bbe155d33bb84ee4334cd7e5ef23)の看板も展示されているね!
親だるま:そうだね。よく覚えていたね。
子だるま:うん、覚えているよ。甲府空襲は被害が大きく、たくさんの方が亡くなった、とても悲しくてつらい出来事だったんだよね…。
親だるま:この平和展には、全部で70点もの資料が展示されているよ。そのうち50点は、県内外の皆さんから提供していただいた貴重なものなんだ。焼夷弾に触れることができるコーナーや、当時使用されていた品々を見ることができるよ。
子だるま:うわー!硬い鉄やガラスがこんなに変形しちゃうなんて、空襲の恐ろしさを感じるね。
親だるま:ほかにも、語り部の方が実際に使っていた原稿やイラスト、甲府空襲体験者の体験談などもあるから、読んでみようね。
子だるま:戦争の時代を生きた方々が高齢になり、戦時中の話を聞く機会が少なくなっている今だから、このような戦争について知る機会は大切なんだね。今、僕たちが平和に暮らせていることに改めて感謝できる展示だったな…。もっともっと多くの人に見てもらいたいね!
親だるま:そうだね。戦争を知らない僕たちが、80年前に起こった悲惨な現実を知ることができる、とても貴重な機会だったね。戦争は絶対に忘れてはいけない記憶だからこそ、平和について改めて考えながら、展示を通じて知ったこと、感じたことを、後世に伝えていこう。
【さらに詳しく!】
甲府大空襲について(総務省「甲府市における戦災の状況(山梨県)」)
➡https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_24.html