2011年3月11日(金) 14時26分
まもなく、あの日から5年。
あの時、私は、こどもステーションの理事会を開いていました。
東北で地震が起こったこったことも、東日本太平洋岸一帯に大変なことが起こっていることも、知らずにいました。
家に帰って、理事会の資料を見なおしている時に、新聞記者から電話があり、そのことを知りました。
事態の大変さが分かっていない私に記者が、「奥野さん、お台場が飲み込まれるかっていう津波ですよ」と繰り返して言いました。
「そんなバカなことが起こるはずがない、悪い冗談でしょ」と鷹をくくってテレビを付けた私は、迫りくる津波の緊迫感で、長い間動けなくなりました。
やがて津波が押し寄せる映像が目に写り、「人々はもう逃げたのか」「あの中に人は居ないのか」テレビの前で泣き叫んでいました。
「原発はどうなったのか」「避難所で皆、寒い思いをしているのではないか」「食べる物はあるのか」気になって気になって眠れませんでした。
そして一晩明けて見えた惨状。
よく、「3.11を忘れないで」と言うけれど、私にはトラウマであり、恐怖体験となって今もある。
忘れたいとは思わないけれど、何とか抱えやすくなるように、自分にできることをして来た。
その場で被害を受けたり、体験をした人からは、鼻にもかからないようなことかもしれないけれど、私には私の体験として、心の深くに今もある。
まもなく、その時から、5年が来る。
今日は、もこルームにいる皆と、黙とうしたいと思います。
今日の夜、19時からは、福山駅前で、キャンドルナイトをします。
歌ったり、語ったり、誰かと時を過ごしたいと思います。
ぶうりん
まもなく、あの日から5年。
あの時、私は、こどもステーションの理事会を開いていました。
東北で地震が起こったこったことも、東日本太平洋岸一帯に大変なことが起こっていることも、知らずにいました。
家に帰って、理事会の資料を見なおしている時に、新聞記者から電話があり、そのことを知りました。
事態の大変さが分かっていない私に記者が、「奥野さん、お台場が飲み込まれるかっていう津波ですよ」と繰り返して言いました。
「そんなバカなことが起こるはずがない、悪い冗談でしょ」と鷹をくくってテレビを付けた私は、迫りくる津波の緊迫感で、長い間動けなくなりました。
やがて津波が押し寄せる映像が目に写り、「人々はもう逃げたのか」「あの中に人は居ないのか」テレビの前で泣き叫んでいました。
「原発はどうなったのか」「避難所で皆、寒い思いをしているのではないか」「食べる物はあるのか」気になって気になって眠れませんでした。
そして一晩明けて見えた惨状。
よく、「3.11を忘れないで」と言うけれど、私にはトラウマであり、恐怖体験となって今もある。
忘れたいとは思わないけれど、何とか抱えやすくなるように、自分にできることをして来た。
その場で被害を受けたり、体験をした人からは、鼻にもかからないようなことかもしれないけれど、私には私の体験として、心の深くに今もある。
まもなく、その時から、5年が来る。
今日は、もこルームにいる皆と、黙とうしたいと思います。
今日の夜、19時からは、福山駅前で、キャンドルナイトをします。
歌ったり、語ったり、誰かと時を過ごしたいと思います。
ぶうりん