先々週だったか、自分が社会人になって初めての大きな取引をしたときの相手、ある大手の進学塾を経営する社長さんだが、その方が亡くなったのを知った。まだまだ働き盛り、経営者としては全然これからという年齢だった。
今でこそ東証上場の業界トップクラスの企業だが、当方がペーペーの若リーマンだった当時は、学習塾としての評判は高かったものの、企業としてはまるで体をなしてなく、実質の取締役はその社長さんひとり、事務職員はいたが総務、経理の専門社員は皆無という状態だった。
当方との出会いも、通常は100回中99回はハネられるという社長さんへの営業電話であっさり繋がってしまったというのがきっかけだった。話が後になってしまったが、当時の当方の勤め先はベンチャーキャピタルという、ごく平たく言えばベンチャー企業専門の金貸し&コンサルだった。
100分の1が繋がってもそこでアポがとれるのは2割程度とあって、全神経を集中させて営業トークを並べるわけだが、あっさりアポOKで拍子抜けした記憶がある。たぶんこの種の話の営業はなかったのだろうと推察した。
その後はトントン拍子で話が進んだ。いくらベンチャーでも他の企業であれば熟慮するような決断であっても、当方も驚くような感じで進んでいったので、大丈夫かなと思ったりもした。
その過程では、上場する際の法制度や資本政策に関する勉強会などを開いたりした。いくら会社は立派でも入社間もないリーマンがその道のプロのわけなく、文字通りともに勉強させてもらった。
その勉強会には上場準備担当者として、学習塾なだけに有名大卒の若い講師2人が選抜されていた。そのうちの一人は(全然似ていなかったが)当時のカリスマ歌手の実兄さんだった。
社長は「彼らは片方が弁護士志望で、片方が会計士志望だから、準備にうってつけだ」と言っていた。そのとき「試験受かっちゃったら会社辞めちゃうじゃん」と胸の内で突っ込んだのだが、果たして数年後、片方はめでたく弁護士になったと風の便りに聞いた。上場準備のスタッフは入れ替わったのだろう。
話はそれるが、営業マンがお客さんを苦労して口説いても金貸しである以上、当然審査が存在する。ベンチャーキャピタルは担保を取らないので、審査を通るかはその会社のビジネスプランと、担当者のプレゼンが成否を分けるのだが、結果的には通ったものの、当方が希望した条件よりは厳しい枠となった。
そのときの審査部門の言い草は「少子化だから将来性がない」ということだったが、「少子化だからこそ皆が子供に金かけて塾に行かせようとするんじゃないか」という当方の主張のほうが正しかったと今でも思っている。
まあ、長期不況で塾に行かせられない家庭が増えたというのは、両者ともに想定外だったが。
そんなこんなで、当方サイドで言うところのクロージングの段階にきたときも、決して希望条件ではなかったものの、社長は「目標がなきゃ張り合いがないから、やりますよ」と言ってあっさりハンコを押してくれた。そのおかげで当方は会社から表彰の金のスプーンをもらったのだが、とにかく即断即決の人だった。
その後、当方はその会社を辞め、社長との付き合いは1年程度で終わってしまったのだが、当初の予定よりは時間がかかってしまったものの、めでたく上場し、しかも業界内では「勝ち組」と呼ばれる躍進ぶりとなった。
当方は確かにペーペーであったものの、審査の段階から「この会社はイケる」と踏んでいた。実はこの会社でアポがとれたことに気を良くした当方は、その後関東の一定規模以上の学習塾に集中営業をかけ、何社もの社長さんに会っていたのだ。
そうすれば、社屋(たいがい建屋は教室を兼ねている)に入ったときの雰囲気、社長のカリスマ性など、あらゆる面が見えてくるわけで、業界全体の将来性は別にしても、どこが勝ち残る、というのは自ずと見えてくるもの。
その点、この会社の社長には、教えることが好きだという原点の強さ、そして前へ進むんだという意欲、この2つが抜きん出ていた。
要するに本業を大事にしつつ、会社を大きくするという話なのだから、当たり前の話なのだけれど、なかなかこういうことを高いレベルで両立させている人はいない。
それからもう一点。
思い出す出来事からは熟慮のなさも指摘できなくはないのだが、それよりは大事の前の小事は気にしないといった面の方を強く感じた。この辺も経営者として重要な素養なのだろうなと今でもひとつの物差として自分の中では生きていたりする。
ということで、正直心配なのが今後の同社の行く末だ。
上場を果たし、大型M&Aも手がけたこの会社には優秀なスタッフがいっぱいいるとは思うのだが、重要な要素であるところの「教えることが好きだという原点」が今回の件で失われてしまったのではないか。
社葬が行われるとのことだが、会社のHPには訃報に関するリリースもなく、なにやら混乱を感じさせられてしまうが、社長の持っていたイズムを引き継いだ経営をしていただきたいものだと、心から願う。
合掌。
今でこそ東証上場の業界トップクラスの企業だが、当方がペーペーの若リーマンだった当時は、学習塾としての評判は高かったものの、企業としてはまるで体をなしてなく、実質の取締役はその社長さんひとり、事務職員はいたが総務、経理の専門社員は皆無という状態だった。
当方との出会いも、通常は100回中99回はハネられるという社長さんへの営業電話であっさり繋がってしまったというのがきっかけだった。話が後になってしまったが、当時の当方の勤め先はベンチャーキャピタルという、ごく平たく言えばベンチャー企業専門の金貸し&コンサルだった。
100分の1が繋がってもそこでアポがとれるのは2割程度とあって、全神経を集中させて営業トークを並べるわけだが、あっさりアポOKで拍子抜けした記憶がある。たぶんこの種の話の営業はなかったのだろうと推察した。
その後はトントン拍子で話が進んだ。いくらベンチャーでも他の企業であれば熟慮するような決断であっても、当方も驚くような感じで進んでいったので、大丈夫かなと思ったりもした。
その過程では、上場する際の法制度や資本政策に関する勉強会などを開いたりした。いくら会社は立派でも入社間もないリーマンがその道のプロのわけなく、文字通りともに勉強させてもらった。
その勉強会には上場準備担当者として、学習塾なだけに有名大卒の若い講師2人が選抜されていた。そのうちの一人は(全然似ていなかったが)当時のカリスマ歌手の実兄さんだった。
社長は「彼らは片方が弁護士志望で、片方が会計士志望だから、準備にうってつけだ」と言っていた。そのとき「試験受かっちゃったら会社辞めちゃうじゃん」と胸の内で突っ込んだのだが、果たして数年後、片方はめでたく弁護士になったと風の便りに聞いた。上場準備のスタッフは入れ替わったのだろう。
話はそれるが、営業マンがお客さんを苦労して口説いても金貸しである以上、当然審査が存在する。ベンチャーキャピタルは担保を取らないので、審査を通るかはその会社のビジネスプランと、担当者のプレゼンが成否を分けるのだが、結果的には通ったものの、当方が希望した条件よりは厳しい枠となった。
そのときの審査部門の言い草は「少子化だから将来性がない」ということだったが、「少子化だからこそ皆が子供に金かけて塾に行かせようとするんじゃないか」という当方の主張のほうが正しかったと今でも思っている。
まあ、長期不況で塾に行かせられない家庭が増えたというのは、両者ともに想定外だったが。
そんなこんなで、当方サイドで言うところのクロージングの段階にきたときも、決して希望条件ではなかったものの、社長は「目標がなきゃ張り合いがないから、やりますよ」と言ってあっさりハンコを押してくれた。そのおかげで当方は会社から表彰の金のスプーンをもらったのだが、とにかく即断即決の人だった。
その後、当方はその会社を辞め、社長との付き合いは1年程度で終わってしまったのだが、当初の予定よりは時間がかかってしまったものの、めでたく上場し、しかも業界内では「勝ち組」と呼ばれる躍進ぶりとなった。
当方は確かにペーペーであったものの、審査の段階から「この会社はイケる」と踏んでいた。実はこの会社でアポがとれたことに気を良くした当方は、その後関東の一定規模以上の学習塾に集中営業をかけ、何社もの社長さんに会っていたのだ。
そうすれば、社屋(たいがい建屋は教室を兼ねている)に入ったときの雰囲気、社長のカリスマ性など、あらゆる面が見えてくるわけで、業界全体の将来性は別にしても、どこが勝ち残る、というのは自ずと見えてくるもの。
その点、この会社の社長には、教えることが好きだという原点の強さ、そして前へ進むんだという意欲、この2つが抜きん出ていた。
要するに本業を大事にしつつ、会社を大きくするという話なのだから、当たり前の話なのだけれど、なかなかこういうことを高いレベルで両立させている人はいない。
それからもう一点。
思い出す出来事からは熟慮のなさも指摘できなくはないのだが、それよりは大事の前の小事は気にしないといった面の方を強く感じた。この辺も経営者として重要な素養なのだろうなと今でもひとつの物差として自分の中では生きていたりする。
ということで、正直心配なのが今後の同社の行く末だ。
上場を果たし、大型M&Aも手がけたこの会社には優秀なスタッフがいっぱいいるとは思うのだが、重要な要素であるところの「教えることが好きだという原点」が今回の件で失われてしまったのではないか。
社葬が行われるとのことだが、会社のHPには訃報に関するリリースもなく、なにやら混乱を感じさせられてしまうが、社長の持っていたイズムを引き継いだ経営をしていただきたいものだと、心から願う。
合掌。
ただベンチャーキャピタルというのは融資ではなく、出資という形で資金供給するものですから、ベンチャー企業であっても持ち株比率を下げたくない場合は、融資との天秤で熟慮する社長もいると。
何より当時は今ほど上場という選択肢は軽くなかったという点もありますね。