雲さわぐ天に夏の木茂りあがる
金網の向うにもそよぐ夏草あり
ホチキスを握れば冷たし針かたし
絵の具つくわが手のひらも冬の色
照る月のやたらまぶしき熱帯夜
夏草にふと秋の空見つけたり
「風」 ―1977―
吹き上げる谷風は
かぶと虫の好きな
甘い木の葉の
においがする
くぬぎの林を
なぎたおし
あわい朝の光を
かきまぜたあげくのはてに
得意満面に
わたしに
ほほえみかけ
首に巻きつけたタオルを
青空に
泳がせるんだから
堀割に浮かぶれんぎょうゆきやなぎ
きぬさやが大豊作の三四日
もえあがる木もれ陽の下ペダルこぐ
夏服のメイとサツキが走り去る
子を空へヒコーキをする夏畳
「ただいま」と麦藁帽脱ぐまっ赤な子
水遊び習った歌を鼻唄に
「まーくん」 ―2011―
家族がそろっているのに
まーくんがいない
まーくんはと聞いたら
汗びっしょりで帰ってきた
妻がバスタオルで
しっかり汗をふいてやると
まーくんは
みんなと野球してきたと言っている
野球なんかできるのかと感心して
あれえ家族は三人だったのでは
と思ったとたん
二十六歳のまーくんが
ネクタイをして
ソファで日経新聞を読んでいた
八月の馬なでてゆく草嵐
振り向けば二万世紀を抜けた夏
火の国を行く八月の馬となり
芝刈って暮れる時間を愛おしむ
寒さ沁む乗換駅の看板字
そよ風に消えるいら立ちシャボン玉
ほっとして枝豆の皮山に盛る
「にこにこ」 ―2000―
ねこにこにこ
からすにこにこ
はっぱにこにこ
かぜにこにこ
くもにこにこ
おひさまにこにこ
ほしにこにこ
よっぱらいにこにこ
こんなににこにこ
していていいのか
なんていわない
にこにこにこにこ
ずっと一生
にこにこ
風も樹もミミズもボッティチェリの春
風止んでしだれ桜に人溜まる
路地ぬけて人もツバメも風になる
空蒼くカラス群れ飛ぶ麦の秋
兄弟の墓に降り積む青い雪
屋根裏の絵に南仏の夏の風
旅人に角ふりわけよ秋蝸牛
秋時雨バナナ一盛二百円
行く秋を莫山先生の字と惜しむ
参道の穴子香ばし雨の午後
須磨の海つつじの花の蜜香る
風強し青葉の山の大掃除
ゆりかもめ舞い空中都市出現す
澄みわたる清酒こんこん冬の空
着ぶくれて酒蔵の郷徘徊す
春風を背に源氏の間覗き見る
お聖さんの直筆原稿春のどか
とうとうと春の湖水は唐橋へ
泥に足とられて見上ぐ小春の日
柿食へば百年のちも鐘が鳴る
ひさかたの冬日が包む畝傍山
「むぎわらぼうし」 ―2005―
むぎわらぼうしを
買いました
ホームセンターで
買いました
かぶるととても
なつかしい
夏の休暇の
キャンプ場
薪のにおいが
してきたよ
沖本真彦が笑ってる
三十五年の時を越え
若いみんなが
笑ってる
花群れを追いかけてゆく春列車
用水路みな美しき花の町
しょうゆもちしょうゆまんじゅうさくらもち
揖保川の瀬音切りさく群れつばめ
ほろ酔ひて春はわが身にとどまらず
はふはふと蛸ほおばりて冬楽し
子午線の冬青空を鳶が飛ぶ
海峡の流れは早し冬の雲
さざんかの花びら一つ石手川
焼餅を二つ買い込む冬遍路
吾輩は元気ぞなもし椿の湯
かなしみを燃やし尽くしていまは春
「啄木」 ―2010―
とんでもない奴だった
一言で言えない悪党だった
いやな奴だった
みんな煙たがった
人のいい金田一京助も
金の無心が続き
悪い友達を持ったものだと
少し後悔した
啄木が死んで
みんなせいせいして
何年も忘れた
よせばいいのに
本にまとめた馬鹿がいて
もうだれも忘れられない
春うらら湯けむり交番今日は閑
花見客睨みつけてる鬼瓦
金の湯を一口含み春の坂
桐の花ところかまわず落ちており
閑かなる駅を抜ければ蝉しぐれ
コスモス揺れ空には雲の天使達
秋時雨雨アルトキハ雨ニ酔フ
スピードを落としてみれば冬案山子
神戸では桜の海を河馬がゆく
ぞうキリン惨禍を知るや春風に
北上の岸辺の無残啄木忌
しっかり人しっかり仏桜散る
人に皆没年のあり夏の河
夕映えの丘をくだれば花いばら
秋の雨静かに海に浮かぶ街
ゆずり葉の一枚となり館を辞す
「三十八億年」 ―2010―
ぼくは父母から生まれ
父母は祖父母から生まれ
祖父母は曽祖父母から
生まれた
どんどんさかのぼっていくと
たどりつくのは
三十八億年前に
この星に生まれたいのち
ぼくのいのちは
五十年や百年のいのちでなく
三十八億年のいのち
ご先祖様バンザイ
きょうの日
バンザイ
震災の記憶も戻る寒戻り
せせらぎに春の電車の音混じる
夏雲に誘われてゆく伯耆みち
ゲリラ雨あがり夏空ただ西へ
湖わたり涼しさ天守吹き抜ける
ひぐらしの声に聞き入る露天の湯
緑陰を抜けて二ノ沢三ノ沢
鬼女台(きめんだい)大山蒜山夏姿
鵬の翼ひろがる秋の空
舟屋よりゆらり漕ぎいで春の海
春耕を山猿たちと眺めおり
ジオパーク息づく春の暮らしあり
波寄せる浜の草にも春は来て
人類の滅ぶ日もあり春渚
かたばみの種はじけ飛ぶ小宇宙
しあわせな気分胡瓜の花黄色
「りんご」 ―2012―
あの水浴図を見て
うまい絵描きと思うか
セザンヌって
へたくそやで
金もうけの得意な父は
町一番の大金持ち
母は息子に苦言した
なんで絵描きで苦労をするの
少年の日まぶしい緑の中で
親友ゾラがりんごをくれた
親友ゾラは知らずに死んだ
未来の少年たちはみな
セザンヌのように
りんごを描くことを
ランドセル横一列の枯葉道
桂宇治木津吹きわたる秋の風
彫り終えて志功夜寒の大笑い
広告で紙の舟折る冬日向
かかさんの名はゆみ春の人形座
ときめきを乗せ観潮船出航す
寅さんがふらり立ちよる夏の海
UEDA-CHO夏の砂丘は人まばら
かけのぼる姿残して道に蝉
本堂の朱は落剝す朱紅葉
幽閉の身にも紅葉の華やいで
朝の駅蟹客乗せてキハ止る
クルーズの春待つ港照り返す
この国の終わり始まり春一番
「ポンペイ」 ―2013―
パン屋の夫婦
と名付けられた
知的な女と陽に焼けた男が
しっかりこちらを見ている
二千年前のフレスコ画は
火山灰に含まれるシリカゲルで
色鮮やかに保たれた
二人は
さっき起こった出来事を
いまにも話したい様子だ
ポンペイの幸福と
ポンペイの不幸と
そしてやってきた
最後の日のことを
「さじなめてーわらべ たのしも なつ ごおりー」
悪童ども大はしゃぎしながら、中学校の授業ではじめて俳句を作った。俳句に興味を持ち、「夏草に汽罐車の車輪来て止る」や「ピストルがプールの硬き面にひびき」などの句に引かれて、新潮文庫の「誓子自選句集」を買った。
息子が生まれてからは、北六甲の自然に親しみ、休暇は九州の筑後で暮らした。
1995年1月の阪神・淡路大震災。突然家が激しく揺れ、街は壊滅した。復興20年。神戸は何事も無かったように再生した。
2002年の春、有馬での第1回RANDOM句会へのお誘いを受けた。その朝、家を出る前に庭で草を引いていたらミミズに出会ったので、俳号を「未見」「見水」と付けた。
心優しい先輩たちと俳句に遊んで10数年。昨年、先輩たちがネットで句集を発表された。当方も250の駄句から99の句を選び、絵や写真や詩もこき混ぜて句集に。
「二万世紀」はシュペルヴィエルの詩「運動」から拝借。
振り向いて、200万年の間、誰も見たことのないものを見て、また草を食い続けた馬のように、悠々淡々と残日を過ごしたい、の思いを込めた。
見 水
見水・プロフィール…1951年生まれ。神戸で育ち、働き、今日に至る。
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見水自選句集
二万世紀
著者:見水
2015年5月1日
発行 KOBE@RANDOM
naka.kobe@nifty.com
風も樹もミミズもボッティチェリの春
から、もう13年になるのですね。
これは句集というより、見水ワールド全開の句詩画集です。すばらしい。
ル、イラストに惹きつけられました。
ぼくのいのちは三十八億年のいのちというフレーズ・・・
などスケールの大きさ、深さに圧倒されました。