神戸RANDOM句会

シニアの俳句仲間の吟行・句会、俳句紀行、句集などを記録する。

2019=天草のなつぞら青し藍の海 見水

2019-07-23 | 俳句紀行

見水の俳句紀行

 天草のなつぞら青し藍の海

                       

梅雨空が心配だが、息子が1週間の休暇を取れたというので、義父母の墓参りを兼ねて、7月11日から13日の2泊3日、家族3人で九州へ行った。

大牟田駅前でレンタカーを借り、墓参りや妻の従兄妹達に逢うのを優先させ、宿は柳川と大牟田を予約。2日目に日帰りドライブをしたいが、行き先は、天気予報を見て決めることにした。 

2日目の朝、直前の天気予報では、天草地方がよく晴れているという。

熊本は3年前に地震があった。被害の大きかった益城町や熊本城、阿蘇は復興途上。阿蘇の雄大な大自然は何度行っても見飽きることがないが、今日はあいにく雨模様である。

 夏草を食む赤き牛霧深し

天草へ行くのは初めてである。土地勘が全くない。

息子は小学生の頃、いとこ達とドライブで連れて行ってもらったことがある。どこまで行ったかは覚えていないが、道のりは遠かったらしい。お昼になって、いとこ達が「肉、肉」と言うので、ファミレスを探して食事をし、魚は食べなかった。それが今でも少し心残りだという。

 胸おどる藍より青き夏の海

ガイドブックや熊本の観光パンフレットを見ると、天草四郎ゆかりの場所やイルカウォッチングが載っている。昨年2018年に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産になった天草下島の隠れキリシタンの村までは遠い。殉教公園などのある「本渡」もかなりの距離で、陽の明るいうちには戻れない。

天草の青く美しい海を一目見て、昼に「海鮮丼」でも食えれば良し、と、午前9時半、柳川の宿を出発した。

 白南風にゆらめく堀に見送られ

  

「みやま柳川IC」から九州自動車道に入るが、南関、山鹿、菊池は緑濃き山の中である。植木に抜けるとビニールハウスが続く。熊本西瓜の名産地である。近くに西南戦争の激戦地「田原坂」がある。

熊本を過ぎ、益城熊本空港のあたりで東の阿蘇方面を眺めるが、外輪山は曇っていてよく見えない。地震で被災したこの辺りは高速道路も随所で車線規制をして橋桁補強工事をしている。さらに南へ走り、松橋ICで降りる。

「まつはし、やないで」

「まつばせ、か。九州は読み方が難しいな。原田も、はるだ、やし」

 

道の駅・JA熊本・宇城彩館という大きな物産館がある。休憩を兼ねて寄る。

いきなりメロンの箱が山積みされ、買い物客も多く、宅送の受付も忙しそう。神戸のスーパーではまだ見ない大粒の葡萄が手頃な値段で並び、もう無花果もある。さすが南国熊本。

 甘夏が好きと後ろで独りごと

「九州は物価が安いのかな」とか言いながら、何も買わずに出た。

これから先はカーナビが頼りだが、松橋からの道は狭い。この道が天草まで続いているのか心細い。後でわかったが、カーナビが誘導するのは宇土半島の南の海岸沿いの道。北の海岸側沿いには本数は少ないがJR三角線が並行して走り、観光バスや大型車両の行き交う広くて平坦な道路がある。アップダウンがきつく、曲がりくねった南海岸沿いの道は、段々畑に蜜柑が育っている。所々に売店もあって、いまはデコポンの時期のようだ。

 花蜜柑段々畑の続く道

広がる八代海(不知火海)は潮が引いて沖まで泥のよう。その先の海も茶色く濁っている。半島の先にたどりつき、天草が近づいてくると海も青く、緑の島がいくつも重なる風景に変わる。

 架橋越え上天草の炎天へ

橋を越えると天草の最初の島・大矢野島。上天草市である。天草四郎が生まれた島だそうで、道路沿いの「藍のあまくさ村」には高さ15mの巨大な像が立っている。小さな島の中央を縦断するが、両側には全国チェーンの店舗が並び、あっという間に反対側の海岸に出る。そこに道の駅上天草・物産館さんぱーる。道路の反対側には天草四郎ミュージアムも建っている。

天草四郎は、天草・島原藩の苛政やキリシタン弾圧で一斉蜂起した3万の領民を統率し、十字架を掲げて転戦。島原の廃城・原城に3か月籠城し、幕府の総攻撃で全員討死する。天草には16歳で亡くなった悲劇のヒーロー天草四郎の像が10体以上あるらしい。

 

ちょうど昼時なので、道の駅のレストランに行くと、入口のメニューに手頃な値段の海鮮丼があるので入る。平日だが先客が何組かいて、店員がテキパキ動いている。

「やっと、魚が食べれるで」

と息子に言うと、

「25年越しの思いが叶った」

と適当に合している。

店内を見渡すと、天草の観光ポスターが貼ってある。

 「天草は、旅人を詩人にするらしい 司馬遼太郎」

のキャッチコピーが入っている。

「たぶん、『街道をゆく』から採ったんやろな」

息子が早速スマホで検索すると、「島原・天草の諸道」は17巻。

「家に帰ったら調べてみよ」

とか言っていると、店員が海鮮丼の盆を3つ運んできた。

 

お椀に盛られた魚の切り身は大ぶりで新鮮でこりこり、噛みきれない。少し甘い醤油だれをかける。

「この海鮮丼は当たりやったな」

潮の香りのあおさ汁も付いていて、満腹。

 われもまた詩人となりし夏の旅

レストランを出て、物産館を見て回る。地元で採れた野菜、果物、土産物が並び、魚介や海産物の売り場も広い。

「まだ帰るのはもったいない。これから、どこへ行くか」

「もう少し、先まで、景色のいい海沿いを走りたいな」

 

大矢野島と天草上島の間は小島が多数点在し、1966年に橋でつながる。全体を天草五橋(パールライン)。このあたりは天草松島といい、本家の宮城県の松島、長崎県の九十九島とともに、日本三大松島というらしい。走りやすい道をと有料道路を選んだら、山の中ばかりの道で海が見えない。やっと海岸に出た。道の駅・有明リップルランドに到着。

  

目の前に広がる海岸は四郎ヶ浜ビーチ。天草・島原の乱で天草四郎がここに上陸したことから命名したとのこと。島原湾に面し、西側に天草下島が広がり、海の向こうに島原半島や雲仙岳が見える。夏は海水浴場で賑わうそうで、人工の砂浜だがよく整備されている。

 絵にしたい四郎ヶ浜の夏の雲

午後2時になった。この先の天草下島は最も大きな島で、昔から島原半島と船で結ばれ、歴史と自然の宝庫。キリシタン殉教の地や天草灘の水平線、隠れキリシタンの村、イルカの群れなどにも出会えるのだが、今回はここが限界。徒然草の石清水八幡宮の麓の社殿だけ見て帰る仁和寺の法師のようで残念だが、美しく豊かな天草の海を垣間見ただけで満足。海辺の道路を走り、日没までに大牟田に戻ろう。 

帰路も、クルマエビの養殖場や大量のワタリガニの生簀など、普段は目にしないものに出会った。道の駅などで応対してくれた地元の人は大らかで親切。が、並行して走っているJR三角線の列車にはついに出会わなかった。

その日の大牟田での夕食は従兄と一緒だったが、本渡まで行ったか聞かれ、そこまでは、と言うと、大変残念がってくれた。 

3日目、旅の最終日は朝から雨。レンタカーを返却し、博多駅のコインロッカーに荷物を預けて、「令和」ゆかりの大宰府に向かう。天満宮は雨でも外国人を含め大勢の参拝客。伊勢や出雲と同様、千年以上人々の参詣が絶えない大宰府天満宮は、楠の巨木の森に囲まれている。

 梅雨空を梅ヶ枝餅よ吹き飛ばせ

  

西鉄で戻ってきた博多・天神の街は元気な若者がいっぱい。この日は祇園山笠で一層の人出のようだ。市内を縦横に結ぶ地下鉄網は福岡空港とも直結し、新幹線の駅周辺は大変な賑わいである。

つい、わが神戸の街と比べてしまう。土地の狭い神戸の市街地には新幹線を通すことができず、六甲山にトンネルを掘り、新神戸駅を作った。市営地下鉄を通し、豪華ホテルや劇場を誘致し、後背地の裏六甲や北摂も北神急行でつないだ。目の前には神戸空港も出来ている。が、いつのまにか若者たちは神戸を離れ、周辺の都市や大阪圏・首都圏へ。

6月に亡くなった田辺聖子さんは、かつて、「神戸は大都市にこだわらなくていい。この居心地のいい神戸がいい」と、神戸を絶賛していた。神戸っ子は個性的でおっちょこちょいで、神戸は自由で風通しのいい街だった。明るさが褪せたのは市街地が広がったからなのか、震災に遭ったからなのか、時代が変化したからなのか、はたまた、日本の社会が変わったからなのか。

新神戸の駐車場に置いていた車に荷物を積み、六甲山トンネル越えで自宅に向かった。夕暮れの表六甲でイノシシの親子連れに出会った。

 ちょこちょこと瓜坊六甲でお出迎え 

家に帰ってきて、司馬遼太郎の『街道をゆく17=島原・天草の諸道』で、「天草は、旅人を詩人にするらしい」のフレーズを探した。天草下島の富岡城址の砂州を、波の音を聞き、鳴き砂を期待して歩きながら浮かんだ言葉だった。ここに頼山陽の「泊天草洋」の詩碑があり、1907年に与謝野鉄幹が北原白秋や吉井勇らと長崎・天草・島原・阿蘇を巡って南蛮文化を再発見した「五足の靴」の旅のことも頭にあった。白秋はこの旅の成果を処女詩集「邪宗門」にして発表したが、この中には、天草で着想を得た一連の詩「天艸雅歌」も収めている。

 ともにゆきし友みなあらず我一人老いてまた踏む天草の島 吉井勇

「街道をゆく」は週刊朝日に1971年から1996年、司馬遼太郎が亡くなるまで連載され、43冊の本になった。

「島原・天草の諸道」では、1980年、57歳の司馬遼太郎は挿絵の須田剋太画伯とともに天草・島原の乱の舞台や隠れキリシタンの村などを歩いた。

司馬遼太郎は、江戸幕府も家康・秀忠の時代までは、戦国の世を生き抜いた自信と実力から、キリシタン勢力や世界中を植民地化していたスペインやポルトガルを恐れなかったが、3代目の家光の時代からキリシタン弾圧が厳しくなった、と見ている。

2年後の1982年の「南蛮のみち」では、日本にキリスト教を伝えたイエズス会のフランシスコ・ザヴィエルの人生をたどって、フランス、故郷のバスク地方、スペイン、ポルトガルを旅し、南蛮文化=大航海時代のヨーロッパ文明を現地で実感しようとした。

 

司馬遼太郎(福田定一)と、渥美清(田所康雄)は、活躍した時代や年齢が近く、ともに日本の一般大衆に広く愛された。亡くなって20年以上になるがまだ忘れられてはいない。

映画「男はつらいよ」は、1969年から1995年まで48本。渥美清の寅さんは日本中を旅し、一度はウイーンまで行っている。

「街道をゆく」は失われつつある日本を歩いたが、「男はつらいよ」も、懐かしい日本の風景を映像に残した。

若き日の司馬遼太郎は、髪こそ白いが、ギラギラした好奇心の固まりの作家だった。

初期の「男はつらいよ」の寅さんも、若くて元気が有り余って言葉をまくし立てている。

 結構毛だらけ猫灰だらけ……それを言っちゃあ終しめえよ

 

1973年に撮られた第12作では、とらや一家が九州の慰安旅行で大分から熊本を旅するが、当初予定していた天草には行かずに帰る。ところが隣の印刷会社のタコ社長には、お土産として大きな天草特産の干し蛸を渡している。

高崎山では寅さんそっくりの凶暴な猿、阿蘇山では「あれが浅間山だよ」のギャグが登場するが、天草のギャグはこれで決まり、だったのか。

1973年は、NHKの朝の連続テレビ小説の山田太一の「藍より青く」が好評で、主題歌の本田路津子の「耳をすましてごらん」もヒットし、天草ブームが起きた。天草下島の牛深あたりが物語の舞台だったようだ。

この回の「男はつらいよ」には、天草の映像が一瞬登場する。オープニングで夢から覚めた寅さんがいつもの四角い茶色のトランクでなく女子高生の赤い鞄を持ってフェリーから降りてしまうシーン。慌てて取り替えようと桟橋を走るが、船はすでに離岸。そして「男はつらいよ」のタイトルとテーマ音楽。

この45秒の映像のために制作スタッフはどれほど苦心を重ねたのだろうか。

 寅さんがふらり立ち寄る夏の海

(2019.7・見水)

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2019=福島 会津柳津―いわき塩屋埼   播町

2019-07-02 | 俳句紀行

 

 福島 会津柳津――いわき塩屋埼

 

 

 

 

 ――柳津は美しい山峡の町である。

会津地方に多いカヤきの曲り家も見られ、高い石段を上った山上には虚空蔵を安置した古い寺があった。この町の八月旧盆の燈籠流しは、もう何百年もつづいているという。

 詩人秋谷豊(1922~2008)の「奥只見」というエッセイの1節である。「会津盆地の南部を列車は迂回して、まもなく山間部に入り、いくつもトンネルをくぐる」とも書かれている。

 只見線は1日6本。会津若松駅から田園地帯をU字型に南に迂回し、U字の左上に至ってようやく山に入り、短いトンネルを5つ抜け出ると、只見川に沿って走り、まもなく会津柳津駅に着く。柳津町(やないづまち)は人口3300人の小さな町である。

 

 20年ほど前、出張先の福島市で帰る時間をずらし福島県立美術館を覗いたことがある。そこで斎藤清(1907~ 1997)という版画家の会津の雪景色に魅入られた。のちに柳津に斎藤清美術館があることを知り、いつか訪ねたいと思っていた。

 ことし1月、明石市立文化博物館で「大正浪漫 グラフィックデザイナーの原点 竹久夢二展」で夢二が描いた川向うに円蔵寺のみえる「柳津風景」を見た。2月には村上篤直『評伝 小室直樹』に、小室が柳津の母の生家に疎開し、会津若松まで蒸気機関車に乗って通学していたとの記述を見つけた。さらに川内有緒『空をゆく巨人』を読んだが、いわき市が舞台だった

 福島が招いている。偶然が重なり、旅を思い立った。ウルトラマンに迎えられた福島空港から高速バスで、郡山を経由し会津若松まで2時間、そこから只見線各駅停車で1時間。とにかく遠い。

 

 

 

 

――柳津(やないづ)は美しい山峡の町である。

 出雲の足立美術館が「庭園もまた一幅の絵画」だとして、館内から広大な庭園を眺められるのと同様に、斎藤清美術館も館内から緑濃くゆったりと流れる只見川、川向うの段々畑と小さな集落、赤い円形の瑞光寺橋、その奥の福満虚空蔵菩薩円蔵寺が一望できる。静かなたたずまいの美術館で、雪の降り積む風景など会津の四季を楽しんだ。

 すぐ近くにある斎藤清アトリエ館では、作品とその作品の元となった風景写真と対比して説明を受けた。

 

夏なのに雪積む会津の景続く

山峡の町にアトリエ驟雨くる

 

 

 急な石段を上った先の円蔵寺境内は五月闇。風格のある本堂には釈迦如来。毎年1月7日に下帯姿の男たちがこの本堂で麻縄をよじのぼり大鰐口を目指す「七日堂裸まいり」はニュース映像で見たことがある。

 門前町の小さな通りにある岩井屋で蒸し上がるのを待ち名物のあわ饅頭のあつあつを食す。

竹久夢二の歌碑も、うぐい生息地の魚渕のそばにあった。

――みちのくのめぐしをとめは魚淵の魚にうの花購ひにけり


 

 

御朱印を戴き甍緑さす

蒸すを待つ粟饅頭や夏日傘

 美術館に近い河畔の宿に泊まり、翌日、会津若松、郡山経由でいわきへ。JR磐越西線・東線で行きたいのだが、本数の少なさで、高速バスを選択せざるを得ない。会津若松からいわきまで約3時間。車内から……。

 

浜通りへ風の騒ぐや山法師

除去土壌運搬車列炎天下

 

 いわき市立美術館に立ち寄ったが、常設展に蔡國強の作品はなく、早々に立ち去る。ここからは予約していた観光タクシーで4時間の市内見物。

 

 

  白水阿弥陀堂。左右の園池のまんなかの朱塗りの橋を渡ってお堂へ。阿弥陀如来がおわす。堂内で若い僧による案内がある。「浄土庭園」は蓮の花が有名だが、今の時期は花菖蒲が咲いている。御朱印を戴き帰りかけるとバスの団体客。静かな時間にお参りできてよかった。

阿弥陀堂こけら葺き寂しょうぶ凛

浄土に黙す夏帽のカメラマン

 

 

 

 

   塩屋埼灯台。映画『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年・木下惠介監督)は、この灯台長の妻の手記をもとにつくられた。灯台の中をぐるぐる105段のぼり、白波が立つ太平洋を眺める。

 すぐ近くに、美空ひばり『みだれ髪』(星野哲郎作詞・船村徹作曲)の歌碑と遺影碑がある。1987年夏、長期入院から文字通り不死鳥のごとく蘇ったひばりの復帰第一作である。

――暗(くら)や 涯てなや 塩屋の岬

見えぬ心を 照らしておくれ (『みだれ髪』)

 

百五段汗の飛沫や塩屋埼

復興の暗や涯てなや夏怒涛

 

  2011年の東日本大震災で、岩手県は三陸海岸、宮城県は石巻などの津波被害が大きく報じられたが、福島県は原発事故以外はほとんど報じられず、とくに関西ではいわき市は復旧復興従事者の宿泊地としか知られていない。

 といったことを観光タクシーの運転手に話し、津波で大きな被害を受けただろういわき市の海岸線の復興状況を見たいから、県道382号線を走ってほしいとお願いしたが、どうもうまく意思疎通が図れなかった。無口な運転手は「私も千葉に一時避難していた」と語ったのみであった。

 高さ7~8mの海岸堤防堤は完成し、道路山側の海岸林の松も育ち始めている。海水浴場などの砂浜や広大な太平洋は、車からはまったく見えない。

 

 

 

  いわき回廊美術館は、川内有緒『空をゆく巨人』で知った。いわき市の気のいいおっちゃんたちとアーティスト蔡國強の30年の友情ストーリーである。

 美術館と呼ぶより公園といった方が正確に思える。シンボルの“自己責任”で乗るブランコもある。蔡國強の作品「廻光-龍骨」、「火炎の塔」もあった。そして99,000本をめざす「いわき万本桜プロジェクト」。

 ――私たち日本人全員の意志で原発を利用し事故を起こした為に、未来の子供達へ、負の遺産を残してしまうことになってしまいました。〔…〕すごい悲しさ、悔しさを今さらながら感じています。なんとかならないものなのでしょうか!

 春、桜の花が満開に咲いているのを見て、2 0年後、3 0年後の未来の子供達に、山一面の桜を見てもらえるようにしようと思いたちました。万が一いわきに住めなくなった時でさえ、いわきの土地を愛していた人達の気持ちが伝わるくらい、沢山の桜の木を植えたいと思っています。(同書、「いわき万本桜だより」)

 

絆なれ万本桜植へ始む

夏天仰ぐ火炎の塔も龍骨も

 

 

 

 いわき駅から常磐線特急「ひたち」。雨の品川に1泊し、翌朝、ラッシュアワーのなか東京駅へ。

 2013年の青森、14年の岩手、秋田、15年の宮城、山形と続けた東北へのひとり旅は、16年に体調を崩し、福島を残したままになっていた。16年から3年連続で原因不明の3つの呼吸器系難病を患った(いまのところ日常生活に支障はない)。ということもあって今回の福島は、妻と娘の“付き添い”つきの旅だった。“自問自答”のひとり旅と違ってにぎやかでゆとりがある。

 そして東京駅で神奈川県藤沢市住む弟と合流し、五輪準備中の東京見物となった。

 

六本木スカイデッキに涼嵐 (涼嵐は造語)

汗噴いて五輪準備といふ化粧

 

(2019年5月)

 

 

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