庭木師は見た!~ガーディナー&フォトグラファー~

庭木師が剪定中に見たあれこれ。

軽トラを買う

2020-09-16 08:40:07 | 日記
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「僕ハ結婚後始メテ、自分ノ妻ノ全裸体ヲ、ソノ全身像ノ姿ニ於イテ見タノデアル。就中ソノ下半身ヲホンタウニ残ル隈ナク見ルコトヲ得タノデアル」

     (軽トラとセルフポートレイト)      

 

 剪定の仕事に必要なモノは、軽トラック、ハサミ、ノコギリ、ヘルメット、手袋、脚立、ホウキなど。

 多くは自ら調達しなければならない。最も値が張るのは言うまでもなく軽トラだ。当初、中古車を買う予定だったが、仕事以外での利用も含め、15年程は乗ることを想定、思い切って新車を買った。5速マニュアル車。カーナビとバックモニターを付けて116万円だった。

「いつまで剪定の仕事をやるつもりか知らないが、元は取れるかな? クックッ…」と、何人かから冷やかし半分に言われた。

 東京では交通の便が良いマンションに住んでいたこともあり、マイカーは20年程前に手放してしまっていた。月額駐車料金は、このあたりの小家族向けアパートの平均的家賃とほぼ同じだった。

マニュアル車に乗っていたのは就職後数年の間で、その当時、エンジンを掛ける際は、アクセルを軽く踏みながらエンジンキーを回していたが、今日、それが正しいやり方ではなく、アクセルに足を置かず、クラッチを深く踏んでキーを回すだけでいいことを1カ月点検時に販売店で聞いて初めて知った次第である。

 だからか、エンジンのかかりは、新車なのに不思議と良くなかった。エンジンキーを回してもモーターが起動しないことがままあった。剪定メンバーはそれぞれが集合場所(シルバー事務所)から一斉に剪定先に向けて出発する(通常は7台から9台連なって)のだが、出遅れたことが何度かあり、追いかけるのが大変だった。

 このモタモタは、剪定仕事の前途に対する暗示なのだった。

                   ◆

 

 剪定とは直接関係ないことだが、車に関して無知なことをもうひとつ。

 

カーナビを取り付てもらったのだが、メニュー選択画面にCDの表示がなかった。取り扱い説明書によると、CDは標準装備ではないようなことが記してあった。

なるほど、軽トラは主に作業用として利用するだけに、音楽は必要ないということか、と解釈していたのだが、なんとなく割り切れなく、1カ月無料点検で販売店を訪ねた際、CDを別途取り付けるといくらするのか?と聞いてみた。

還暦前後に見えた男性職員は、車検関係資料に目を落としながら、落ち着いた口調で「お客さんの車には装備されているはずですが…」とつぶやき、事務所に隣接した整備工場から点検を終えて戻ってきた軽トラに小生を誘い、車のドアを開け、運転席と助手席の間にあるナビのパネルをしばし見つめ、ある画面表示に、おもむろに手を伸ばしてタッチした。

すると画面がくるっと半回転して、CDの差し込み口が現れた。驚いた。どこに触れたのかと問うと、彼は右下のお椀型の丸いマークを指してこう言った。

「カーナビにはいろんな機種があって、それはまあ、言ってみれば星の数ほどあるので、私も扱い方をすべて知っているわけではないです。…なので、とにかく画面をいろいろタッチしてみることです。自分の愛車ですので、自由に触れてみて、使い方を覚えてみてください」と。

仕事以外のことにあまり関心がなさそうな雰囲気のその男性が、カーナビの四角い画面のあちこちに軽く指を当て、画面の反応を見つめる姿は、筆者にある小説の一場面を思い起こさせた。谷崎潤一郎の『鍵』である。56歳の主人公と、45歳の妻との閨房物語。ポルノチックともいえるくだりである。

               

                    (谷崎潤一郎の『鍵』から。挿絵は棟方志功)

 

ある夜、高級ブランデーを飲み過ぎて風呂場で倒れ、人事不省になった妻をベッドに運び込んだ夫は、妻を生まれたままの姿にして、その体をなめるようにじっくりと愛でる場面だ。正確を期すため、引用しよう。

「僕ハ結婚後始メテ、自分ノ妻ノ全裸体ヲ、ソノ全身像ノ姿ニ於イテ見タノデアル。就中ソノ下半身ヲホンタウニ残ル隈ナク見ルコトヲ得タノデアル」。続けて「僕ハ彼女ヲ俯向キニサセ、臀ノ孔マデ覗イテ見タガ、臀肉ガ左右ニ盛リ上ツテヰル中間ノ凹ミノトコロノ白サト云ツタラナカッタ」(『鍵』中央公論社から。一部表記変更)

 

と、同時に、筆者の脳裏に、10年ほど前に行った、東京・港区の美術館での現代陶器の作家展が蘇った。30代の女性学芸員が、中高年の女性を中心とした30人ほどの鑑賞者を引き連れていた。

その学芸員はギャラリートークの終盤で、「今回は特別にですが、皆さんに一部作品を直接、手に持っていただけるようにいたしました」と言って、翡翠のような色をしたお椀型の作品を両手で顔の高さまで持ち上げた。そして、底を覗き込むようにしながら、こう言った。

「底がこのように窪んでいて、独特の形をしています。…こうして触ってみて、初めて青磁の感触が味わえるのであって…」と、地味な黒っぽいメガネ越しに、淡々とした口調で、「この感触ですが、作品を持っている人にしか分からないのです。触れて感じる美です。これ一個だけのものです」と言葉に力を込めた。

そのトークがなぜか官能的に聞こえたのは筆者の耳のせいか。

 


剪定斑のメンバーは…

2020-09-04 16:30:56 | 日記

 炎天下、蝉時雨はやんでも、剪定バサミ、剪定バリカンの音は途切れない。最高気温が38度の予報が出ていた真夏のある日、依頼主の老婆が一休み中のメンバーに冷たい麦茶を出しながら言った。「申し訳ないね、火あぶりみたいで…」と。

 しかし皆は、ふふっ…と口元をクールに緩めるだけだった。

                               ◇

          

                  (樹の上は「火あぶり」だ)

 当方の剪定チームは計9人(うち2人が非常勤)で、筆者を除けば全員が元はブルーカラーの仕事に就いていた。ブルーカラー、ホワイトカラーという言葉は近年あまり使われないようだが、妻の実家にあった広辞苑(第3版、昭和58年発行)によると、ブルーカラーは「(青色の作業衣を着るからいう)筋肉労働者。現場で働く労働者」とあった。「筋肉労働者」という言葉に時代を感じる。その後の広辞苑では「肉体労働者」という言い方に改められている。

 当方のメンバーの大半は現役時代、建設・土木関係の仕事に従事していたという。現場作業員の方が通りがいい。学歴はみなさん高卒で、大卒は小生だけらしい。

 仕事体験の違いは、雑談でも感じる。皆さん、読書習慣がなく、図書館にもまず行かないらしい。新聞も地元紙しか知らない人が多い。

 それゆえに映画、音楽、アート系の話題は出たことがない。江戸・明治時代に、北前船でそこそこ栄えたこの町にも美術館があるのだが、行ったことがある人はいない。

 休憩時間帯に最も出る話題は、新型コロナウイルス、スマホの扱い方、野菜づくりの方法、家族のことなどである。 

 それだからか、含みのある微妙な言い回し、ユーモア、ジョークといったものはここには聞かない。仕事中の言葉は短く発せられる。ほとんどが一文だ。「はよせんか!」「シート、使い終わったら片片付けろ」…などなど。ショート、明確さが大事なのだ。皆さん、動きが実に早いこととも相通じる点があるようだ。

 これはまた別の個所で改めて触れたいが、時間イコール労賃であることとも深く関係している。

 今夏は全国どこも猛暑だった。この地においても気温が35度を越える日が続いた。しかし、樹上で聞こえる剪定ハサミのカチッ、…カチッ音のテンポが遅くなることは決してなかった。

 剪定バリカン(ガーデントリマーなどともいう)のググワッ、グワッ、グワッ、バリッ、バリッ…小枝を切る音が途切れて、「暑いなあ…、もう」「いやんなっちゃうよな…」などのため息が聞こえることもまず、決してないのだ。

 炎天下、蝉時雨はやんでも、剪定バサミ、剪定バリカンの音は途切れない。最高気温が38度の予報が出ていた真夏のある日、依頼主の老婆が一休み中のメンバーに冷たい麦茶を出しながら言った。「申し訳ないね、火あぶりみたいで…」と。

 しかし皆は、ふふっ…と口元をクールに緩めるだけだった。

 

 


シルバー剪定のイメージ

2020-09-03 15:13:29 | 日記

 「シルバーなんだからあまり期待しない方がいいんでしょうね。…でも、専門業者より安いだろうから」と、ある主婦から事務所に電話があったという。これが一般的な受け止め方のようだ。  

                        ◇

 

          

                 (脚立に上って剪定する)

 東京時代にお世話になった70代のある女性社長に、シルバー人材センターに登録して剪定の仕事を始めた旨を伝えたら、返信には、慣れない仕事、大丈夫?とのお決まりのコメントの後に「シルバー剪定って、安かろう悪かろうってよく聞くわよね。どうなの?」と記されていた。

 「安かろう悪かろう」とは久しぶりに聞く言葉だった。

 戦後しばらくの間、日本製品はこのように呼ばれていた。産業史にそこそこ詳しい人によると、“MADE IN JAPAN”と胸を張って言えるようになったのは1970(昭和45)年の大阪万博後ころからという。  

 シルバー剪定に対し、「安かろう-」の評価が付いたのは、素人の集まりとみられているからだろう。確かに筆者みたいなど素人もいるのだから、ある意味で的を射ているのだが、単純にくくれないのことも確かだ。何事もそうだが。  

 当班のメンバー9人をまとめる親方(班長ともいう)は、自治体主宰の剪定教室の講師を長年務めていることからもうかがえるように、剪定技術には相当の自信を持っている。クライアント(シルバーではそう言わず「発注者」)などから植物の名前を尋ねられて、これまで答えられないことはまずなかったとか。  

 その親方によると、当シルバーへの剪定依頼は、緩やかながらも右肩上がりに増えているのだという。ということは、シルバー剪定にそれなりの評価が与えられているということでもある。最近も、新しい依頼が女性(70代)から来た。  

 その彼女、シルバーの事務所に電話をかけてきて、「シルバーなんだからあまり期待しない方がいいんでしょうね。…でも、専門業者より安いだろうから、まあいいわ」と言ったとのこと。初剪定終、その彼女から事務所への電話内容は「まあまあ期待以上だったわ。来年もお願いしたい」と。

 期待が高くない分、アウトプットがさほどでなくても、高めの評価をもらえることはよくあることだ。


シルバー剪定のつぶやき

2020-09-03 15:10:22 | 日記

[自己紹介]

 

              

                  (シルバー剪定のお昼休み)

 リタイアまで44年間働いた会社は、東京に本社があり、世間的には一応、有名大企業と称されている。会社人生の前半は総務系と経営企画、その後は会社の情報を発信する広報畑を歩んできた。最後は関連会社に役員として出向していた。

 朝、皇居のお堀に近い高層ビルにある本社に入ったら、外出の用がない限り、退社時間までビル内のエレベータで上下する日々だった。

 「あんたは鉛筆しか持ったことがない」というのが、亡くなった母親の口癖だった。家具類を持ち上げると体がふらついて危なっかしく、畑仕事はへっぴり腰だからだ。確かにご指摘の通りで、体を使う現場仕事はやったことがなかった。

 そういう筆者が、リタイア後に見付けた最初の職は埋蔵文化財の発掘だった。白いヘルメットに作業衣、靴はもちろん革靴ではなく、長靴か履き古しのスニーカー。こうしたスタイルの人たちとは過去、仕事でもプライベートでも会話といえるような会話をしたことがない。大手外資の喫茶店チェーンでも働いた。

 今年初め、妻の実家がある日本海に面した町に移り住んでからは、シルバー人材センターに登録、剪定鋏、ノコギリを腰のベルトに差し、軽トラに脚立を乗せ、庭木の剪定の仕事をやり始めたのである。