(1964年の東京五輪で金メダルを取った「“東洋の魔女”」チーム)
庭木剪定での骨折事故で入院が1カ月半に及びましたが、この間、いろんな方と言葉を交わすようになりました。
そのお一人、年齢は70代半ばとおっしゃっていましたが、黙々と病室の掃除をされるその男性とは親しく話すようになり、会話の内容も深まって行きました。
2023年12月のある日のことでした。
彼が、病室のマップがけもそこそこに、こう言いながら、手にした新聞を示しました。訃報欄に、1964年の東京五輪で金メダルを受賞した東洋の魔女の一人についての記事がありました。
「寺山恵美子(旧姓:宮本)さん死去。86才。東京五輪の女子バレーボールチーム、“東洋の魔女”のエースアタッカー」
ニチボー貝塚チームを中心に構成されて昭和39(1964)年の東京オリンピックに出場、金メダルを取った女子バレーボールチーム。彼女は、大松博文監督、河西昌枝キャップテンに次いで金メダルに貢献した人物です。
ただ、歳月は流れ、今は-。
もちろん、私は覚えていました。ただ、目にした記事は、遠い過去のことでしたので、「…えっ、あの宮本が亡くなったの?」と応じたのです。
掃除担当の彼。「そうか、やっぱりあんたは知っていたか…」と、にんまり表情で。なにが「やっぱり」なのかは聞きそびれましたが。
彼はこう続けました。「いやあ、姉の子供が、亡くなった宮本と同じ出身地の和歌山にいてね、新聞見たか? と聞いたら「新聞なんてとっていない」とか。…で、宮本の死を伝えたら、なに? 東洋の魔女って?』『ニチボー貝塚? 大日本紡績? ユニチカ?……。知らないねえ』との返事だったという。
彼は、最後にこうつぶやいたのです。「昭和は遠くになりき、だな」と、元気ない声で。 以上