▽北前船回船問屋エリアの塀
JR富山駅から北(日本海側)へ6㌔余り行った所に東岩瀬という地区があります。富山駅でライトレール(路面電車)に乗り、東岩瀬駅で降ります。
東岩瀬地区は、幕末から明治時代にかけて日本海沿岸を往来して物資を運んだ北前船で栄えました。かつて裏日本と言われ、立山連峰で太平洋側と区切られていた富山県にとって、北前船は外に開かれた経済、文化の「窓」だったのです。
北前船が扱った代表的商品が昆布でした。北海道で採れた昆布は、北前船で京都や大阪に運ばれ、富山の岩瀬はその寄港地でした。昆布ロードと言われ、薩摩藩にまで昆布はもたらされ、琉球経由で清(中国)に売られていました。富山は薬産業、中でも売薬が有名ですが、それにも北前船が深く関わっています。
(東岩瀬の廻船問屋の塀)
東岩瀬地区にはかつて、北前船の廻船問屋が20軒ほど集まっていました。現在も当時の名残を残す町並みがあちこちに残っていて、船板を再利用した塀が目を引きます。上の写真がそれで、立派なお屋敷のため、高級な新しい木材を使うこともできたはずですが、こうして船の廃材を使うところに、家業に対する家の主人の思い、愛着を感じさせられます。
(塀に近づいてみました)
塀に近づいて撮りました。中央がくびれた長さ15㎝程度、幅3㎝程度のくさび形の木があちこちにはめ込まれていました。
さらに接近して見てみたら、下のようになっていました。
これは、板同士をつなぐ「ちきり」というものだそうです。漢和辞典で調べれば、「ちきり」という漢字一文字が出ますが、私のパソコンに入っている漢字ソフトにその文字はありませんでした。部首は月偏です。手元の新潮日本語辞典漢字辞典によると「ちきり締」の説明に、「木または石をつなぐ時、会わせ目にはめる両端が広く中央がくびれた鎹(かすがい)」とありました。
<「ちきり」という鎹(かすがい)>
富山県氷見市に氷見市立博物館があります。そこには和船の造り方の説明が展示されています。
「ちきり」の見本もありましたので写真を撮り、添付しました。
(氷見市立博物館。「ちきり」についての詳しい説明)
氷見は、ブリなどの魚が水揚げされることで東京などでも知られています。半農半漁も町で、和船づくりも盛んでした。 (以上)