庭木師は見た!~ガーディナー&フォトグラファー~

庭木師が剪定中に見たあれこれ。

ーいざ、富山footbath(足湯)県へー⑨日医工とダイト

2021-03-29 20:36:46 | 日記

▽富山の医薬品は全国的に有名ですが、同県に本社がある医薬品会社で上場しているのは「日医工」「ダイト」の2社です。いずれもジェネリック(後発医薬品)のメーカーということもあり、一般的にあまりその名は知られていないかと思います。

 「富山の薬」は、全国各地を旅する売薬業としての長年の実績と、堅実な県民性からそれなりの信用がありました。しかし、その信用と信頼を一気にひっくり返したのが、今年(2021年)3月に発覚した日医工の事件です。法律に定められた手続きを踏まず、いいかげんな手法で薬を製造していたのです。それも10年以上も前から。このため、富山県から約1カ月間の業務停止命令を受けました。

 そのニュースを伝える記事が下の写真です。

           

             (日医工事件を一面トップで報じる2021.3.4付の富山新聞)

 社会的意識が高いとは言えず、保守的で足湯的風土、それゆえ外部のチェックも効きにくいローカル都市、富山らしい事件といえます。

 事件の内容は新聞やネット等に載っているので、それを読めばだいたい分かるかと思いますが、筆者はこの会社のオカシサを昨年の株主総会で体感しました。

 ちなみに筆者は、株主総会の在り方について1980年代から調べております。総会運営に大きな影響力を及ぼしていた総会屋が跋扈していた時代から今日まで、さまざまな企業の株主総会をウオッチし続けてきました。

 昨年6月18日の日医工の総会ですが、ガバナンスというものが、この閉鎖的な田舎の中堅オーナー企業にあるのかはなはだ疑問-東京の大手有名会社でも必ずしも十分ではありませんが-とは思っていたのですが、想像以下でした。創業家のワンマン経営。こんな会社になぜ社外取締役が必要なのでしょうか。何の役にたっているのでしょうか。

 昨年の総会出席者は50人ほどでしたでしょうか。事務方が総会開始前に、新型コロナウイルス感染対策の説明に絡めて、「議事は短縮して行いたい。録画、録音は厳禁、見付けた場合は(データを)削除し、場合によっては退場も」と。株主総会をネットで中継する会社も増え始めている時代に一体何を恐れているのか、という感じでした。同社は医薬品の自主回収を繰り返していた(同社ホームページを見て下さい)ことが関係していたのでしょう。

 議事運営で最大の問題は、議長(田村友一社長)の進行手法でした。コロナを理由にして、質問を飛ばしていきなり議案の採決に移ろうとしたのです。すかさず50代風の男性が大きな声で挙手、「議案決議前に質問があるのかどうかをはっきり聞かないで先に進むのはおかしい」と。

 その株主の質問は極めてまともでした。「医薬品の自主回収を何度も繰り返しているのに、そのお詫びもない。同業他社の株価は上がっているのに日医工は低迷している、社長はこれらをどう考えているのか」と。これに対して田村議長は、準備していた資料を不機嫌そうに読み上げたのですが、最後にこう言ったのです。 むっとした顔で、声を荒げて。

 「他に質問ありませんか?質問あればどうぞ!!…(誰も手を挙げないので)本当によろしいんですか!!」と。会場にいた株主を叱りつけるような大声で。

 文字にすればうまく伝わりませんが、その時の彼(議長)の憤慨した顔は忘れられません。こんな議長は初めてです。キャパシティーの問題でしょうか。

 そもそも株主総会は、法的には最高意思決定機関という位置付けになっており、社長より株主がエライはずなのですが、この会社の場合、自主回収を繰り返すなどマズイ業務運営をしている社長に株主たちが一喝されてしまったのでした。

 筆者には、「無礼者、控え!」と叫ぶ殿様にように聞こえました。

<本社は富山城の目の前>

 なにしろ同社の本社は、下の写真でもわかるように富山城のお堀の前にあるのです。正面の2つのビルがそうです。富山上天守閣に最も近い上場会社の本社なのです。ちなみに株主総会は左側のビルで開かれました。

           

               (正面のビルが日医工本社。左は富山城)

 この会社は、現社長の田村友一氏の父親、故・田村四郎氏が昭和40年に創立しました。同社の筆頭株主は田村家の資産管理会社です。田村一族で相当の株式を保有しています。当然ながらワンマン経営で、意思決定はトップダウンです。今回のような不祥事を、現場が独断でやれるはずがありません。もし、薬の製造担当者が、社長に内緒で今回の不正を繰り返していたのなら、切腹を命じられても仕方ないでしょう。

 そもそも富山城のお壕側という富山市の一等地に本社を構えるようになったのは、ちょっとした偶然からでした。同社の社史によりますと、当時社長だった田村四郎氏がある朝、犬を散歩させていて、某不動産会社の社長と知り合い意気投合、その縁で同不動産会社が保有していたこの土地を譲ってもらうことになったのだそうです。

<仕切った女性課長は厚労省から出向>

 さて、日医工の業務停止命令ですが、判断を下したのは厚生労働省から富山県に出向中のくすり政策課の青栁ゆみ子課長です。筆者はテレビで拝見しただけですが、年齢は30代後半~40代前半でしょうか。厚労省のホームページによると薬系技官(総合職)とのことです。

 ネットに載っている東京大学 分子細胞生物学研究所の広報誌を見ると、東大の薬学部卒のようです。

 富山の代表的医薬品メーカーにこのような大なたを振るうことは、地元の役人では難しいと思われます。しがらみが多いですから。ことなかれ主義の県民性ですし。チェック機能を持つはずの地元メディアもそうですが、ここではそのことは敢えて触れません。

 今回の事件はNHKがいち早く報道し、終始リード。恐らく東京・霞ヶ関の厚労省筋でキャッチしたのでしょう。ふだんはあまり話題にならない富山の医薬品メーカーが、こういう形で全国ニュースになるのは県民として喜ぶべきか悲しむべきか、複雑な心境です。(月並み表現で失礼)

          

日医工への処分発表を受けて取材に応じる新田・富山県知事。その隣で知事のサポート役を務めて

いるマスク姿の女性が青栁ゆみ子課長。2021年3月3日、富山県庁で)

 

 富山県人は東大というブランドに一目も二目も置き、強い憧れがあります。そういう意味からも、くすり政策課長に東大卒の人材を起用したことは大変、意義があることかと思われます。

                          ◇

 最後になりましたが、同じ富山県のジェネリック、ダイトについてです。同社の年間売上高は日医工の4分の1程度ですが、経営における問題は特になく、業績は好調です。

 今年(2021年)1月に発表した昨年11月中間決算は売上高、利益とも過去最高でした。大津賀保信社長は「思った以上に順調だった。…ただ、喜び過ぎるのもねえ」と意味深なコメントをしていました。

                                        (以上) 

 

 

 

 

 

 

 

 

             

 


ーいざ、富山footbath(足湯)県へー⑦ます寿司店(その3)

2021-03-12 10:34:40 | グルメ

▽富山のます寿司店巡り第3弾は、「元祖せきの屋」「元祖関野屋」です。

 両店はその歴史をみても特に関係がないのだそうです。ひらがなと漢字の違いなので、聞いただけではどっちのお店なのか、混乱してしまいます。

 筆者のある親戚は、富山のます寿司の中では「セキノヤさんのが一番好き」と言っていましたが、果たしてどちらのお店のことでしょうか。

 筆者が心配することではないのかもしれませんが、両店は、使用する鱒(ます)が天然ものと養殖ものとで違うこともあり、できれば何か工夫できるといいかもしれませんね。

 …といっても、両店ともそれぞれ長い歴史を誇ります。変化をあまり好まない県民性もあり、多少の誤解が仮にあっても構わないのかもしれません。

                      ◇

 ではまず、ひらがなの「元祖せきの屋」から紹介します。

 明治11年創業で、店主の前川雅美さんは5代目とのこと。

 ご本人はなかなかの趣味人で、同店のホームページを開くと、どこか中国風の懐かしさを感じるメロディーが流れてきました。『七軒町のうた』とか『舟橋常夜燈』などの題が付いた歌の作詞・作曲は前川雅美さんご本人です。

 七軒町とは、同店がある場所の地名です。舟橋常夜燈は、かつて近くを流れていた神通川にかかる橋「舟橋」のたもとに建つ灯籠(下の写真)のことです。

 ます寿司は、神通川で採れた鱒を使って押し寿司を作ったことに始まります。

 神通川は洪水対策として流路が大きく変更され、現在、この常夜燈がある側を松川という川が流れています。かつての神通川の名残りです。

 「神通川」「松川」「常夜燈」「舟橋」は、富山のます寿司の歴史を語る上でキーワードです。どのます寿司店でも全くと言っていいほど同じ説明を受けます。

 

           

          (かつて神通川が流れていた近くに建つ常夜燈)

 

                

             (お店の入り口に置いてある恵比寿様の像)

 「せきの屋」の玄関左手に置かれている恵比寿様の像。右手にはほぼ同じ大きさの大黒様の像。

 店内の椅子の上には、眠るシャムネコの置物がありました。長野県の小布施で買ったそうです。ネコなのに、意識してかお魚に関心を示さないようなところにユーモアがあり、お客さんの目を楽します。

                 

                  (せきの屋のます寿司。なかなか綺麗です)

                             ◇◇

▽次は、漢字で書く「元祖 関野屋」です。

 お店の玄関を入ってすぐ横に、3畳ほどの調理場が設けられていて、そこでご主人が、同店のます寿司に使う天然のさくら鱒(ます)をさばいていました。

            

                (天然のサクラマスをさばくご主人)

 天然さくら鱒(ます)は、北海道から仕入れているそうです。写真のように包丁を入れてみると、鱒の肉質にもそれぞれ違いがあり、特に良い鱒は「特選鱒寿し」に使っているとのことでした。

 天然の国産サクラマスは、先に紹介した高田屋でも使っています。ます寿司の業界は、多くが個人経営という事情もあり、他にどこが天然の鱒を使っているかは不明ですが、関係者によると「関野屋と高田屋だけかもしれない」とのことです。

            

          (絵の右側に記されている関野庄右衛門とは同店の創業者)

 同店の現在の経営者は6代目だそうです。

               

                      (関野屋の包装)

 

 素材にこだわる分、値段は1,750円(一重)と、他のます寿司(多くが1,600円)に比べやや高めです。

 

            

                    (関野屋のます寿司)

 さて、その味ですが、さっぱりしていて脂分が少なく、養殖の鱒を使ったます寿司とは確かに違う感じでした。

 同店のホームページを開くと、「数年前にお客から、関野屋の鱒寿司は『くるみ味』がすると言われたので、その意味を調べたら、コクがある旨味、最高級の美味に対する賛辞」とありました。

 筆者も、くるみ味の意味を知らなかったので、広辞苑を含めいくつかの辞書を開いてみたのですが、載っておらず、ネットによると「三陸地方でおいしさを意味することば」とありました。

 富山市のます寿司店をいくつか巡って感じたのは、それぞれの店が伝統を大事にしながら、しっかりとこだわりを持っているということです。それが各店のます寿司の微妙な味の違いにつながっているようです。                              (以上)

                                 

 

 

 

 


ーいざ、富山footbath(足湯)県へー⑧道の駅、海の駅

2021-03-10 18:52:13 | 旅行

▽富山県の魅力は? と県外の人に聞かれたら、「富山湾の食と景色」と答えれば、羨ましがられます。

 「食」については既に何度か紹介してきたので、今回は富山湾の景色を堪能できる道の駅と、海の駅を紹介しましょう。

 最初は、高岡市太田24の国道415号線沿いにある道の駅「雨晴(あまはらし)」です。

「雨」と「晴」を組み合わせた、分かりやすい地名です。平安時代の武将、源義経が山伏姿になって奥州平泉に落ち延びる途中、この地でにわか雨がやむのを待ったことから、この名が付いたと言われています。

         

           

      (右手の白い建物が道の駅「雨晴」。赤いディーゼル車は富山湾沿いを走るJR氷見線)

 富山湾と山に挟まれた狭い敷地を、JR氷見線と国道415号が走っており、道の駅「雨晴」はがけの急斜面に押し付けられるように建っています。2018年に竣工しました。

 白亜の建物は、クルーズ船にも似たデザインで、なかなかお洒落でセンスを感じさせます。設計は、東京に事務所を構える「アーキヴィジョン広谷スタジオ」。同事務所のHPによると、東京の江戸東京博物館分館、三重県立熊野古道センターなども手掛けたそうです。

 建物の2階は、お土産店と軽食のレストランになっており、海を眺めながら飲食できることから、平日でも客が途切れることはありません。

 2月のとある平日、カウンターでコーヒーを飲んでいた70代風の男性とふと言葉を交わしました。地元の情報に精通しているので、どんな仕事をしているのですか?と尋ねたら、本職は氷見市の漁師で、ボランティアガイドもやっているとのこと。

 この道の駅については、「建てるのに約8億円かかったが、そこそこ客が来ている」とのことでした。

 

           

             (2階のレストランのカウンターから見た富山湾)

 この道の駅の敷地にはかつて、3件ほどの民家とは別に、鉄筋5階建ての「ホテル雨晴」がありました。昭和44年に昭和天皇が宿泊したそうです。「建物が老朽化したのと後継者の問題で、閉館した」とは先のボランティア氏の説明です。

            

                (雨晴海岸から望む立山連峰)

 雨晴海岸から海越しに見る立山連峰は、富山県でベスト3に入る撮影スポットになっていて、富山県を紹介する雑誌やポスター、パンフレットには必ずといっていいほど、その写真が紹介されます。海越しに3000㍍級の山並みを見られる所は世界でも数少ないそうです。

▼次は富山湾の名物、蜃気楼が見える魚津市の「海の駅 蜃気楼です。

  あいの風とやま鉄道「魚津駅」、もしくは富山地方鉄道「新魚津駅」から歩25分ほどの海べりにあります。

  海の駅といえば、地元の海産物が売り物ですが、ここは海の駅の名前にもなっている春の風物詩、蜃気楼の“名所“です。筆者は、この地に何度か足を運んでいますが、蜃気楼を実際に目にしたことはありません。

 写真は、たたまた訪ねた日(2021年2月14日)の地元紙の一面トップです。

    

        (2021.2.14付、富山新聞。写真は魚津埋没林博物館提供とあります)

       

          (2021.2.14付、北日本新聞。自社の記者が撮影)

 紹介した富山新聞と北日本新聞は、地元のライバル紙です。県内に住む知人によると、町のニュースやイベントを2つの新聞に連絡すると、北日本新聞は反応があまり良くない反面、富山新聞の記者はすぐ飛んでくるそうです。筆者も同じ経験をしたことがあります。

 それはそうと、どちらが蜃気楼を伝える報道写真としていいかといえば、筆者は富山新聞の方だと思います。海の上に橋(新湊大橋)がくっきり浮かび上がっているのが蜃気楼だと一目で分かります。本当の橋と錯覚します。これに対し北日本新聞の方は、写真説明によると、富山市の街の風景が浮かんでいるらしいですが、アピール度はいまひとつです。

 蜃気楼は大気の状況で刻々と変化するので、撮影はなかなか難しいです。魚津市の支社・総局に詰めている記者にとって、自分が撮った写真で紙面を飾りたい気持ちは分かりますが、読者にとってはそんなことはどうでもよく、良い写真を見たいだけです。

 下の写真は、先の新聞の日付の日、つまり2021年2月14日の「海の駅 蜃気楼」前の海岸です。大勢のカメラマンが集まっていました。

          

                 (「海の駅 蜃気楼」横の防波堤)

                                     以上