庭木師は見た!~ガーディナー&フォトグラファー~

庭木師が剪定中に見たあれこれ。

庭木師は見た!~ウクライナ国旗~

2024-05-31 17:26:54 | 日記

           

          (青空とチューリップ)          (青空と麦)       

 

 能登半島の付け根に位置する富山県のこのあたりは、正月の大地震で震度5以上の揺れがありました。それから4カ月。被害の様子を見て回って、改めて気付いたのは、近辺に過去の戦争の慰霊碑が多いことです。

 明治期の日清・日露戦争から昭和の太平洋戦争まで、墓地や道沿いには多くの慰霊碑が並んでいます。

 ふと、この春に見かけたチューリップ畑および大麦畑を目にし、それぞれがロシアの侵攻を受けているウクライナを思い起こしましたので、その写真を組んで添付しました。

                                       以上です。


庭木師は見た!~能登半島地震とブルーシート~

2024-05-26 10:14:12 | 日記

         

       

 写真は、能登半島地震で壊れた家。このあたりは古い民家が多く、こうした青いシートがいくつか目に付きました。

 この町に来ると、東京の神宮前にある現代アートの美術館を思い出します。

 昭和の時代。母方の親戚の女性が「こんな田舎にいても仕方ない」と、東京に生活拠点を移し、その美術館を立ち上げました。それも一人で。

 その美術館で、何年か前に開催された庭師、重森三玲(しげもり・みれい)に関する展示会。その時の冊子にはこうありました。

「隠されている実体、それを知ることが極意であって、この隠され覆われているもののない限り、美はない…。秘され、隠されている実体」と。うーむ。


庭木師は見た!~地震と戦争慰霊碑~

2024-05-23 17:48:45 | 日記

        

 能登半島地震で倒壊した古い戦争慰霊碑を見ました。

 碑文を読むと、明治時代の戦争で功績を挙げた軍人の霊を慰めるものでした。

 このあたりには、過去の戦争で活躍した軍人をたたえる碑が少なくありませんが、これはかなり古い方です。

 ふと、作家・新田次郎の有名な小説『八甲田山死の彷徨』を思い出しました。映画やテレビドラマにもなりました。

 日ロ戦争前の冬、日本陸軍が青森県の八甲田山で行った雪の中での訓練で、多くの犠牲者を出した実話を元にしたものです。

 もっとも印象に残っている場面-。

 この雪中行軍の訓練に加わった一人の軍人。彼は、かろうじて生還できたのですが、周囲の人たちは日が経つにつれ、八甲田山の雪中行軍事件のことを話題にしなくなります。

 そうした中、彼は「酒の奴隷」と化します。そして妻に見限られてしまいました。

 ある日のこと。一人酒場で大酒を飲んでいた時、同じ店にいた客の若い男に、「オレは八甲田山の生き残りの勇士だぞ」と告げたのですが、その男性は八甲田山事件の時、まだ生まれていなかったこともあり、「なんだい、八甲田山の生き残りっていうのは…」と言われ、ショックのあまりそのままテーブルにうつ伏せになって絶命したとのことです。

                    ~◆~

 過去の戦争を忘れてはならない、との意味を含めて碑にロープがまかれているのだと思います。

                                          以上

 


庭木師は見た!~能登半島地震とブルーシート~

2024-05-17 18:37:22 | 日記

 能登半島地震で被害を被ったお墓は少なくありません。

 写真の墓もそうですが、見た瞬間、アーティストのクリストとジャンヌ=クロードを思い出しました。パリの凱旋門といった有名建造物や、海岸、水面、樹木となどさまざまなものを布で包む作品で知られています。

 ブルーシートの役割、といいますかそれが持つ意味は、言うまでもないですが、不具合箇所を外部の目から隠し、モノを風雨から守ることにありますが、本来の意味から離れて第三者の目で見ると、なぜか異次元的、非日常的感覚を抱かせることがあります。アート作品に転換と言っていいかもしれません。少なくとも筆者の場合はそうです。痛んだ墓の持ち主には失礼かもしれませんが…。

 

 

 

 

 


庭木師は見た!~能登半島地震のブルーシート~

2024-05-16 15:05:43 | 日記

  

 今年の元日、(※発生が午後4時過ぎですので、「元旦」ではありませんね。NHKのアナウンサーは、元日と元旦の違いが分かっていませんでした)、能登半島で起きた震度7の大地震。

 上の写真は、能登半島の付け根に位置するある墓地です。撮影は5月中旬。

 墓地を管理しているお寺の住職さんによりますと、「(倒壊したは墓の)ご子孫の方は北関東に住んでいて、連絡は取れた。が、墓の状態について伝えたら、“もういいです”との返事だった」と。

 この地との縁が切れて何十年にもなるのだとか…。

 墓石の下に収めてある骨壺が、雨風に当たらないように、お寺でブルーシートをかけたのだそうだ。 倒れた墓を「このままにしておいていいのかどうか…。判断が難しいが、いずれ無縁仏になるのは間違いないだろう…」と、身長182センチの住職は、消え入りそうな声でつぶやいていました。 

                                         (了)