下の写真は、軽トラと私のセルフポートレートです。3歳で郷里の北陸を離れ、60数年ぶりに戻ってきました。簡単に自己紹介をします。
今では死語ともなってしまった「三公社五現業」系の会社に定年まで勤め、最後はそこの役員を務めていました。
三公社五現業といっても、今では60代以降でなければピンと来ないのではないでしょうか。ちなみに三公社とは、国鉄(現JR)、電電公社(現NTT)、専売公社(現日本たばこ産業)のこと。五現業は郵便、国有林野事業、紙幣などの印刷、造幣、アルコール専売で、その多くが独立行政法人や民営化されました。
そのうちどの会社・法人に勤めていたかはいいとしまして、筆者は入社以来、ずっと事務部門つまりデスクワークをやってきたので、作業衣を身に着けて外で作業をしたことは一度もありません。剪定ばさみなど過去、一度も使ったことがなかったのです。もちろん軽トラの運転も初めてでした。
現役時代にどんな会社(組織)で、どんな仕事をしていたかは、リタイア後の人生を「規定」するのです。それゆえ、あえて三公社五現業などと記しました。
そんな筆者がなぜ庭木剪定などをやり始めたのか、よく聞かれます。
理由はただ一つ。実家の敷地が広く、これまで庭木の手入れを植木屋さんに依頼(会社ではこのことを“外注”という)、結構なお金を払っていたので、それを自分でやる、つまり“内製化”することにしたのです。
この辺りでは敷地面積(田んぼや畑は別I)が300~500坪はざらで、それだけ庭木の手入れが大変なのです。本当に、どこの家でもそうです。東京ならそれだけの土地を持っているだけで、経済的にはなんの苦労もなく暮らせるのに…。 <続く>