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伊予国は愛比売と謂ひ

四国は伊予松山での嫁さんと息子の三人暮らしの日々と気になる出来事を徒然に綴ります。

西山興隆寺

2007-11-23 22:33:52 | 御朱印蒐集
紅葉で有名な愛媛県西条市丹原町の西山興隆寺(にしやまこうりゅうじ)にいってきました。西山興隆寺は真言宗醍醐派の別格本山で山号は仏法山。正式には仏法山仏眼院興隆寺と称します。紅葉が有名で、紅葉の名所である「西山」を付して「西山興隆寺」と呼ばれています。四国別格二十霊場の十番霊場でもあります。四国別格霊場とは四国八十八ケ所のほかに弘法大師にゆかりのある番外霊場のことで、そのうち20の寺が集まって創設されたのが四国別格二十霊場です。

興隆寺は、皇極天皇の時代に、空鉢上人によって創建されました。報恩大師、弘法大師が入山し、桓武天皇の勅願寺ともなっています。その後、源頼朝、河野家、歴代の松山藩主、小松藩主をはじめとする地域の人々に大切に守られてきました。

国道11号線から丹原方面へ。看板を見つつ興隆寺へ向かいます。興隆寺への道を上り始めた途端、車列に並ぶ羽目に。うーん。まさかこんなところで駐車待ちの渋滞に巻き込まれるとは。しかも駐車料金300円も取られるとは、知らなんだ。10分ほど坂道をのろのろのぼって、ようやく駐車場に到着。たくさんの車が駐車していましたよ。


これは第一駐車場。

駐車場からまた坂道を登ると売店がいくつか出ていました。アイスはさすがに寒くて売れていませんでしたね。赤い欄干の「ゆるぎ橋」を渡ると境内です。ゆるぎ橋の裏にはお経が書いてあるということです。



ここから長い石段を登ってゆきます。



見えているのは御門。鎌倉時代の建築です。


参道にはモミジがいっぱいあるのですが、ほとんど紅葉していません。今年は紅葉が相当遅れているようです。というかもうだめかも。



途中には牛石があります。その昔、建築資材を運んでいた牛が使役が終わると死んでしまったので、その地に牛を葬り、牛に似た岩を載せたという。参詣者は牛の労を労い、牛の口に当たるところに草を咥えさせるのだといいます。



書院前です。この日は院家(いんげ:前住職)による境内の案内が行われていました。お話がとても面白かったです。いろいろ知ってないとなかなかこうはいきませんね。



境内でいちばんの紅葉スポットなのですが、あまりよくありませんねえ。



境内の石垣は城の石垣と同じ組み方でできています。立派です。



本堂です。国の重要文化財。
これからのことをお願いして帰りました。

今年はどこに行っても紅葉がよくありませんでした。今年の紅葉狩りはこれで終わりかな。






持光寺 -尾道市-

2007-11-12 22:52:54 | 御朱印蒐集
持光寺は尾道の古寺めぐりの尾道駅側からの始発点となるお寺です。承和年間(834~848)持光上人により創建されました。御影石の門が印象的です。別名「延命門」。本尊は五劫思惟阿弥陀如来。普賢延命菩薩画像は国宝に指定されています。ここでは「にぎり佛」を作ることができます。願いをこめて粘土をにぎり、世界で一つという自分の念持仏(お守り)を作ることができます。僕らも挑戦しました。仏さまの顔は作者に似るといわれているそうですが、確かに似ているかも。庭窯で焼いて送ってもらいます。2,3週間で届くそうです。送料別で1500円となっています。


延命門



あるお寺の門前でかわいい猫を見つけました。尾道は猫のまちでもあります。

寶福寺 -岡山県総社市-

2007-11-11 22:37:01 | 御朱印蒐集
鬼ノ城を下って次に向かったのが寶福寺です。県道271号線を西へ15分ほど走り、伯備線沿いに北へ曲がると見えてきます。



寶福寺(ほうふくじ)は臨済宗東福寺派の寺院で室町時代の画僧雪舟が修行したことで有名な寺院です。山号は井山(いやま)。本尊は虚空蔵菩薩です。

山門を入ると目の前に仏殿(法堂)が見えます。現在修復中で一部が幕でおおわれていましたが、あまり気にはなりませんでした。



本堂の奥には三重塔。国重文です。朱色が印象的なこの塔は総高18.47m。寺伝によれば弘長2年(1262年)鎌倉幕府の執権・北条時頼が寄進して建立したといわれていました。しかし、昭和42年(1967年)に行った解体修理の際、永和2年(1376年)の墨書銘が発見され、実際にはもう少し時代が下った南北朝時代の建築であることが確認されました。岡山県下では2番目に古い三重塔です。



寶福寺は紅葉で有名ですが、今年は岡山県も色づきが悪いようです。

雪舟が涙で鼠の絵を描いたという書院も天正3年(1575年)の備中兵乱で法堂などと失われ、現在の書院は江戸時代に再建されたものです。今日は書院は非公開でしたが、ご朱印をいただくためにちょっと入らせていただきました。中は禅寺だけに質素で、入口に托鉢のときにつける菅笠が多数かけられてあるのが印象的でした。

なお、政治家の橋本龍伍、龍太郎父子の墓があるそうだが、気付かなかった。






金比羅宮に参拝

2007-11-10 21:54:52 | 御朱印蒐集
岡山へ行く途中で金比羅宮を参拝することにしました。
連続テレビ小説「ちりとてちん」を見て8時半に出発しました。川内ICから松山道を東へひた走ります。善通寺ICから国道319号線を南下。途中、宮武うどんに寄って、到着したのは11時過ぎでした。

駐車場に車を入れ、参道へ向かいますが、その前に一つ見たいところがありました。それは「鞘橋」。門前の金倉川に架かる橋で銅葺唐破風の屋根がかかるアーチ式の木造橋で、刀の鞘の様に反った形から鞘橋と呼ばれています。もとは一の橋が架かっているところにありましたが、今は上流へ移動し、年3度の神事のときしか使われていません。重要有形文化財に指定されています。



参道へ戻り、いよいよ階段を上ってゆきます。と、その途中でちょっと寄り道。
今度は旧金毘羅大芝居(金丸座)です。天保7(1836)年に建てられた現存する日本最古の芝居小屋です。重要文化財に指定されています。中に入るには500円が必要。うーん。今回はやめにしました。



さあ、寄り道もほどほどにして登ってゆきましょう。本宮までの階段は785段です。結構若い人が多いのが意外です。金毘羅参りって流行ってるのかしら??



ちょっと疲れたな~と思ったところで初代高松藩主が寄進したという大門に到着。確かに大きな門です。ここまでで365段。門内には古くから金比羅宮に奉仕する家柄で特別に境内での商売を許された「五人百姓」が加美代飴を販売しています。





境内に入るとどことなく厳かな雰囲気。書院は帰りに行くとして先に進みます。そして現れるのが「旭社」です。重要文化財です。



金刀比羅宮は大物主命を祀った琴平神社として創建されました。平安時代には本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)の影響を受けて、神様と仏様が一緒におられる金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)となりました。明治に入り神社に戻って金刀比羅宮と名乗るようになりました。こんぴら参りがブームとなった江戸時代の金堂(本堂)が、40年の歳月を費やして天保8(1837)年に建立された旭社です。御本宮をしのぐほど立派なもので、清水次郎長の代参でこんぴら参りをした森の石松は、旭社に刀を奉納して帰ってしまったといいます。

さらに先に行くと最後の急な階段が現れます。両脇の摂社にもお参りしながら登ってゆきます。そして最後の785段を上ると本宮です。お賽銭を入れ、これからのことをお願いしつつ、気持ちを新たにしました。絵馬堂には航海の安全を祈願した絵馬がいっぱい。海上保安庁や海上自衛隊、旧海軍の船の絵馬もたくさんあって私としてはとても楽しかったです。







ご朱印をいただいて先に進みます。大体の人は本宮で折り返してゆきますが、今回は奥社までゆくのです。本宮の右を通って奥社への道が続いています。

しばらく歩くと「白峰神社」です。



讃岐に流され崩御した崇徳上皇を祀っています。ここでもご朱印がもらえます。

ここからさらに登っていくと江戸時代の別当で金刀比羅宮再興を果たした宥盛を祀る厳魂神社があります。ここまでで1368段です。よくまあふたりとも登りました。



ここでも神職がいてご朱印がいただけます。毎日この階段を登っているのかと思うと頭が下がります。

帰りは書院で開催中の「書院の美展」を見ました。



圓山応挙や伊藤若冲の障壁画は見ごたえがありました。いつもは入れないとこまで入れてお得でした。ふもとまで戻って駐車場へ向かいました。

門前町にも貴重な建物がいくつかあります。ひとつが高灯篭。丸亀の港からでも見えるよう高く作られたそうです。



もう一つがJR四国の琴平駅。大正12(1923)年建築の洋風木造建築で、西欧ゴシック寺院風です。おしゃれな駅ですね。



4時間の参拝でした。もう足はパンパンで、膝は大爆笑しちゃってました。やっぱり運動不足ですね。運動しなくちゃ。でも楽しかったです。








尾道の浄土寺

2007-10-21 20:34:47 | 御朱印蒐集
愛媛に帰る途中に尾道に寄りました。今回の目的は浄土寺さんです。
聖徳太子の創建と伝えられているこの寺は、足利尊氏ゆかりの寺としても有名です。境内は文化財の宝庫で、本堂と多宝塔は国宝、山門と阿弥陀堂は国重文に指定されています。奥庭には伏見城から移築したといわれる茶室「露滴庵(国重文)」が建っています。また背後の浄土寺山の上には奥の院があり、そこからの眺め、特に夕景は絶品です。(今回は若干霞がかかっていたので行かず。)

さて、浄土寺の前には駐車場がございません。今回は尾道市役所の横の市営駐車場を利用しました。30分ごとに150円。まあ、こんなものでしょうか。
国道2号線を渡り、JR山陽線の高架をくぐってちょっと歩くと尾道市図書館があります。日曜日の朝ですが多数の人が利用していました。こういうところでその土地の民度がわかるのかもしれません。尾道水道を右手に見ながら少し歩くと、もう浄土寺の山門です。なお、参道は国道2号線からJR山陽線をくぐる急な階段となっており、参道上からは尾道水道がきれいに見えました。


浄土寺山門(国重文)


浄土寺参道(高架はJR山陽線)

山門をくぐると目の前に国宝の本堂。中では赤ちゃんの初宮参りの法要が行われておりました。右手を見ると薬師堂と多宝塔があります。赤と白が青い空に良く映えてきれいでした。本堂内で500円支払えば本堂と薬師堂の内陣、さらに露滴庵が見れたんですが、今回はパス。かわりに年に一度しか公開しない源氏物語の屏風絵を展示してある宝物館(400円)へ入りました。源氏物語は扇子に描かれていたものを屏風に仕立て直したというものでした。華やかだというのはわかるのですが、不勉強な私には源氏物語の内容がわからず、知っていればもっと楽しめたのにと残念に思いました。それより、足利尊氏の肖像画や大事に保存された弘法大師の袈裟の端切れの方が僕には興味深かったです。


浄土寺境内


浄土寺本堂(国宝)


薬師堂(国重文)


多宝塔(国宝)

ところで、今回は桂馬蒲鉾のセットを購入。なかなかいいお値段でめったに買えませんが。


姫坂神社と多伎神社

2007-06-10 22:48:24 | 御朱印蒐集
今治市にある姫坂神社と多伎神社にいってきました。

今治駅の近く、今治北高校の横に鎮座します。御祭神は市杵嶋比賣命です。
境内に入ると、左手に赤い鳥居の境内社。その後に社務所。右手には、境内社の青木神社があります。もとは蒼社川支流泉川岸の姫宮というところにあったそうですが、江戸時代に遷座したと伝えられます。
延喜式では伊豫国越智郡の名神大社は、二社のはずですが、大山祇・姫坂・多伎の三社に名神大社とあり当社の名神大社に関して、疑う説もあるらしい。

鳥居をくぐって坂道を登り、階段を上がると、社殿があります。
拝殿後方に本殿があり、その左横に、境内社の大己貴神社、右横には石祠の稲荷社があります。

社務所では神職から御朱印をいただいたとき、「多伎神社にはいかれましたか?」と聞かれました。聞けば、多伎神社も管理されているとのことで、古墳群や中腹にある磐座のお話と見学会を行ったときの写真までいただいた。もしかしたら、姫坂、多伎の両社が名神大である理由があるのかもしれないが、そこまでは聞かなかった。

ということで、多伎神社にもいってみることに。
多伎神社(たきじんじゃ)は、愛媛県今治市古谷(旧朝倉村)に鎮座する神社で、で、旧社格は県社。「瀧の宮(多伎宮)」とも呼ばれ、伊予国内神名帳には「正一位 多伎不断大願大菩薩」とある。祭神は多伎都比売命・多伎都比古命・須佐之男命である。社伝によれば、崇神天皇の御代、鐃速日命六代の孫である伊香武雄命が「瀧の宮」の社号を奉り、初代斎宮になったそうだ。

今治と丹原を結ぶ広域農道を丹原方向へ少し走るとENEOSがありそこを山手に曲がってしばらく山へ向かって走る。このあたりは将来、高速道路が通るとのことで、「農道、県道、高速道と道ばっかりになる」と神職が言っていた。斜面はきれいな田んぼが広がり、向こうに夕方の太陽に照らされた今治の町と海が見えてきれいだった。

境内は頓田川の支流・多伎川の畔で、周囲には30基余りの古墳が群集する(県指定史跡「多伎神社古墳群」)。多伎川を遡った山頂近くに川上巌(かわかみのいわお)と呼ばれる磐座があり、奥の院とされています。雨乞いに霊験があると伝えられ、もとはこの磐座信仰に始まると考えられます。神職の話では「磐座の下で火を焚くと雨が降るときは雲が昇る」のだそうです。空気中に湿気があるとそれが湯気のように上がるのではないかとの話でした。
周囲はうっそうとした森だが、恐ろしいというより、厳かな印象。すがすがしい気持ちで帰路についた。

国津比古命神社

2007-06-10 21:00:32 | 御朱印蒐集
松山市北条にある国津比古命神社にいってきました。秋祭では参道の階段上から御神輿を御札が出てくるまで何度も投げ落とし、御札が現れたら奪い合うという風習があります。

国道196号線バイパスから高縄山の方向(東)へしばらく走ります。若干、門前町のような雰囲気がありますが、民家ばかりです。途中に雪雀酒造へ抜ける道がありますが、今回は直進。正面に小高い丘と鳥居が見えてきたら到着です。どうしても御朱印がほしかったのですが、前回は神職の住まいがわからず、敢え無くあきらめました。今回は近所の人に教えてもらい、「ほとんど書いたことないですが」といわれる神職にお願いして書いていただきました。ありがとうございました。

さて、国津比古命神社には向かい合わせに櫛玉比売命神社があります。それぞれのご祭神は天照国照彦火明櫛玉鐃速日尊(あまてるくにてるほのあかりくしだまにぎはやひのみこと)、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)と天道姫命(あめのみちひめのみこと)、御炊屋姫命(みかしじやひめのみこと)です。両社の関係は國津比古命神社祭神の妃が天道姫命。また、配祀の御炊屋姫命は、櫛玉饒速日尊が大和へ入ってからの妻だそうです。

境内に入り階段を上ると、左手に国津比古命神社、右手に櫛玉比売命神社。

まずは国津比古命神社へ。八脚門は県指定有形文化財です。元禄年間(1688~1703年)に松山市阿沼美神社の八脚門をここに移したものと伝えられ、桃山時代の技法を取り入れた豪華な建築物といわれます。古い部分の構造や、桁を支える蟇股のみごとな風格、その内部の動物や植物の彫刻の技法など、桃山建築の均斉のとれた華麗雄大な面影をとどめています。

拝殿には大きな提燈。木が生えてよくは見えないが、この神社は前方後円墳上にあり、古墳ができた当時は北条平野が一望できたことだろう。

今度は向いの櫛玉比売命神社へ。階段の途中からは国津比古命神社境内がよく見える。こちらの拝殿内部には小ぶりの提燈がいくつも飾られていました。こちらの絵馬は「馬」の字が裏返しに書かれている「左馬」です。「うま」を逆から読むと「まう」と読めます。「まう」という音は、昔からめでたい席で踊られる「舞い」を思い起こさせるため、「左馬」は福を招く縁起のよいものとされています。また、「馬」の字の下の部分が財布のきんちゃくの形に似ています。きんちゃくは口がよく締まって入れたお金が逃げていかないため、古来から富のシンボルとされています。 馬は人がひいていくものですが、その馬が逆になっているため、普通とは逆に馬が人をひいてくる(=招き入れる)ということから商売繁盛に繋がるとされています。 さらに馬は左側から乗るもので、右側から乗ると落ちてしまいます。そのようなことから、左馬を持つ人は競馬に強いといわれています。このようなことから、「左馬」は福を招く商売繁盛の守り駒とされているそうです。

自分にとって、この国津比古命神社はなんとなく居心地の良い神社です。何でなんでしょう?

別宮大山祇神社

2007-06-09 20:28:39 | 御朱印蒐集
大山祇神社別宮を参拝。大山祇神社は瀬戸内海の大三島に鎮座しているが、伊予国府のある今治からは遠く、国司が参拝するには都合が悪い(とかいう理由で・・・)ということで、大宝3年(703年)、あるいは9年後の和銅5年(712年)に今治へ別宮大山祇神社が勧進されたという。隣には四国88ケ所の55番札所南光坊がある。山号は別宮山(べっくさん)である。大山祇神社にはその数24の僧坊があったが、これらのうち南光坊を含む8坊がすぐにその別宮の別当寺としてともに遷されたというが、天正年間(1573年~1592年)に、伊予の全土を襲った長宗我部氏の軍勢により焼き払われ、失われることとなった。しかしのちに至って、それらのうちの一坊である南光坊のみが別宮(大山祗神社)の別当寺として再興されることとなったという。明治になり神仏分離令により別宮大山祇神社から南光坊が寺として独立したが、現在でも境内を隣接している。
今治は昭和20年に空襲があり、別宮大山祇神社も当時別に移築していた拝殿以外、南光坊も金毘羅堂と大師堂以外は焼失した。
南光坊に参拝する人は引きもきらないが、別宮へ参拝する人はほとんどいなかった。境内にはクスノキの大木が何本も立っているが、根元に伝説のタヌキを祀る祠があるのが面白い。四国は本当にタヌキ伝説が多い。


別宮大山祇神社拝殿


隣接する南光坊

吉備中山に再チャレンジ

2007-06-03 20:24:33 | 御朱印蒐集
吉備中山に再チャレンジ。先日は元宮磐座と吉備津彦御陵に行ったが、まだいくつか古代祭祀跡があり、今回はそこへいった。黒住教本部への道を経て岡山県古代吉備文化センターに車を止め、山へ入る。暗い山道は結構怖い雰囲気。しかし、道が付いているので迷うことはない。どれくらい歩けばいいのかなという心配感があるだけだ。「本線」を外れ奥宮磐座への道に逸れる。途中、「鏡岩」へ寄る。少し坂を下ると巨石がそれも垂直な断面をもったそれが斜面にいくつもならんでいる。木がうっそうと茂り、独特の雰囲気がある。


鏡岩

道に戻り、奥宮磐座へ。元宮磐座とは違い今度は巨石から小さな岩までさまざまな大きさの岩が群がっている。自然への畏敬が深かったであろう古代人がなにかしらを感じるのも無理はないという姿。


奥宮磐座

しばらく行くとダイボーの足跡。こちらにも注連縄がされており、何か古代祭祀に関係するものかなと思う。どうも池の痕のようだが、こんな山の頂上付近にこのような大きな池があるのは不自然といえば不自然。やはり人工的なものか。で、ダイボーって何?「もののけ姫」に出てきた「デイダラボッチ」みたいな巨神か?


ダイボーの足跡

「本線」へ戻り、道を西へとると環状石籬がある。環状石籬とはイギリスのストーンヘンジのように岩がある意図によって配置されたもので、縄文時代の祭祀跡といわれる。ここにも注連縄が張られていた。


環状石籬

これで吉備中山探訪は終了。車へ戻り、宇野港へ向かった。

伊曾乃神社

2007-05-27 23:49:24 | 御朱印蒐集
今日も黄砂現象があるが、天気は良い。こう天気がいいと、どこかドライブに行きたくなりますね。そこで、今日は西条市に鎮座する伊曾乃神社に参拝することにしました。延喜式神名帳では名神大社に列し、旧社格では国幣中社、現在は神社本庁の別表神社に列する名社です。

国道11号線か194号線のいずれから入ることができますが、11号線からのほうが楽かもしれません。一の鳥居と二の鳥居の間の参道をクロスするように走る道を通ると駐車場です。駐車場から神門まではすぐ。神門前の楠は樹齢500年とも700年ともいわれる神木です。


大楠

伊曾乃神社の本殿は神明造です。


拝殿

周囲には天満宮を始め摂末社が祭られています。ここも鎮守の杜がしっかりと守られ、新緑がすがすがしくて気持ちよかったです。やはりこの時期が一番いいですね。