~天守の分類(現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守)~現存天守は比較的有名なのでわかりやすいですが、その他のお城を訪問する際に、そのお城が復元天守なのか、復興天守なのか、あるいは模擬天守なのかを調べておくのも楽しいと思います。お城めぐりをはじめると復興天守や模擬天守を「偽物」と感じてしまうこともあるかと思います。しかし現代の城下町にとってはその天守が本物で、地域になじんでいるのも事実です。また天守は鉄筋コンクリートで再建されていても櫓や門は当時のまま現存しているということもありますので、天守以外の建築遺構についても調べていくといいです。
「現存天守」12城
まず、現存天守です。これは日本に12城しかありません。江戸時代以前から残っているお城です。もちろん改修・修復等は随時おこなってるので、ほんとうにそのままではないのですが、約400年以上当時のままの姿で天守が残っているお城です。
現存12天守は弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城、の12城です。 四国に多いのは戦乱に巻き込まれなかったこと(長宗我部家が早期に四国統一を成し遂げたり、第二次世界大戦の米軍からの攻撃が少なかったことが要因)で、あとは関西や中部に集まってますね。青森県の弘前城だけちょっと離れてます。また、丸岡城は戦後の福井大地震で完全に倒壊したのですが、遺材を組み直して再建されたため現存扱いになっています。
岡山県「備中松山城」
口語短歌
「天守の美しさこそ山城で 雲海に浮かぶはその雄姿」
備中松山城は現存12天守の中では唯一の山城であり、現存天守でもっとも高い所にある城です。日本三大山城のひとつでもあります。海抜約480mの臥牛山の山頂付近に本丸があるため、山の中腹(8合目)にある駐車場から歩いても30分近くかけてのぼることになります。現存天守の中ではもっとも訪問しづらい城といえます。また江戸時代、城主をつとめた水谷氏がお家断絶になったため、『忠臣蔵』で有名な赤穂藩主・浅野長矩の管理とされ、城の受け取りには家老である大石内蔵助が訪れています。そのため山頂にのぼるルートにはそのときに休んだとされる「大石内蔵助の腰掛け石」があります。時期や条件が整えば、竹田城のように雲海に浮かぶ姿を見ることができます。
高知県「高知城」
口語短歌
「名君は城づくり技術有名で 歴史に残る名城築く」
高知城は現存12天守のひとつで、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成しました。4層6階の天守は、一豊の前任地である掛川城の天守を模したといわれています(なお、掛川城の復元の際には逆に高知城が参考にされたそうです)。ちなみに本丸内の本丸御殿がすべて残っているのは高知城だけです。また高知城は天守と追手門が1枚の写真に収まる珍しい城なので、ぜひ追手門前から写真を撮影してみてください。
青森県「弘前城」
口語短歌
「最北の弘前城は健在で 天守消失御三階櫓が」
弘前城は現存12天守としては最北の城です。津軽氏の居城でした。津軽信枚によって築城された当初は「鷹岡城」と呼ばれていましたが、南光坊天海のアドバイスにしたがって地名を「弘前」に改称し、城名も弘前城となりました。現存12天守に数えられてはいますが、築城当初の5層5階の天守は焼失しており、現在残っているのは後に建てられた御三階櫓です。
愛媛県「松山城」
口語短歌
「江戸時代最後のお城完全で 往時の技術貴重な資料」
松山城は現存12天守のひとつであり、日本三大平山城や日本三大連立式平山城にも数えられます。黒船来航の翌年に落成した天守は江戸時代最後の完全な城郭建築です。また、現存する野原櫓(騎馬櫓)はほとんど残っていない貴重な望楼型二重櫓ですし、当時の土木技術としては特筆される深さ44mにおよぶ本丸の井戸も保存されているなど、見どころの多い城です。2009年(平成21年)にはミシュランの観光版(ギード・ベール)日本編で二つ星に選定されました。
参照
https://blog.kojodan.jp/entry/2019/02/25/191515
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