美術の先生は考える

中学美術の授業の実践を中心に、美術について考えたイロイロを紹介できればと思います。

「自分表現」の題材を考える

2015-01-11 22:33:53 | 日記

青森県の学校はまだ冬休み。
この三連休が明けてもまだあと少し続きます。

さてそんな休日でも「(作品制作)やりに来ていいですか!?」と、今週も常連さんが若干名制作しに来ました。

「自分表現」という彫刻作品の完成が遅れており、それをなんとかせねばと、非常に熱心に楽しみながら制作している人々です。
土曜日に何度制作に来たことでしょうか?…ほんと感心です。


どうせ私も出勤予定。卒業式の計画や、県の美術展準備も大詰め。それに加えて地区の美術展も審査会が迫ってきているため、作品選びもせねばと…。
だから休日であっても特に困りはしませんが、その常連さんたちは受験生ってのが気がかり。時期的にね…。
そろそろこの放課後美術やホリデー美術から解放しなきゃと私が焦ってきています…。

ただ、ここまで時間をかけて熱心に制作に励み、ようやく完成が見えてきた状態です。
作者が納得して『完成!』と思えるところまでやらせなきゃ駄目だろうと、そんな思いも強くあります。
無理はさせぬよう気をつけ、上手にサポートせねばと思うのでした。


さて、しかしこの題材。3学年の自分を表現することをテーマとした彫刻題材ですが、なぜこんなにも完成に時間を要する事態に陥ってしまったのか、検証はしなければなりません。

(1) 材料の豊富さゆえに

「表現したいことを思いのままに」を目指して、材料を豊富に用意した上ではじめた本題材。

しかし、それがあだになったように思える。
生徒たちはそれら豊富な材料を前にして目移りしてしまったのか、最初に描いていた構想と離れ、多様な表現を試みすぎてしまった。

結果、使い慣れない材料の扱いに苦しんだり、色々使いすぎてまとまりがなくなってしまったり…。

(2) 制作条件を少なくしたがゆえに
「学校農園で出た廃材の枝をメインに」ということを主な条件にしたこと。
「自分を表すこと」をテーマにしたこと。
それ以外にもいくつか細かな条件はあるものの、それほど大きな制約を設けずに、卒業制作的な意味でこれまで学んだことを存分に生かすよう語って取り組ませた題材であった。
しかしこのことにより「何でもあり」のようになってしまった感もあり。
主の材料を枝にしていたはずが、そうでもなくなり、何の題材なのかよくわからない不思議な作品たちがあちこちに見え始め…。


その他、普通の白い軽量粘土に加え、カラー粘土も用意し、以前本ブログで紹介したグルーガン人気が拍車をかけ、確かに「やってみたいこと」や「興味を持ったこと」がたくさん詰まった、ユニークな作品たちが生まれています。

そういった意味では良いところもたくさんあるのですが、前述のとおりとにかく「時間がかかりすぎ」。

制作時間に関しては昨年の反省を生かし、最初に用意した枝の長さや形をかなり整えてから提供したりと工夫もしていましたが、他の部分でつまづいたようです。


また、これらを検証していくうちに気づいたことは『シンプルな作品の美しさ』でした。

使ってよいものがたくさんあれば、試しに使ってみたくなる。

やってよいことがたくさんあれば、好奇心でいろんなことに手を出してみたくなる。

つまりは…

 ◆ある程度使える物に制限がある方が、その中で何ができるのかと工夫するのではないか?

 ◆条件・制約がしっかりと決まっていた方が、進む道やゴールが見えやすいのではないか?

と、そんなことではないかと。

…まるで人間社会のようです。

 物が乏しい方が、その中で工夫して豊かな暮らしを得ようとする。

 法律や校則等があるからこそ、秩序が生まれ、安心して生きていくことができる。

そんな美術の題材と人間社会の共通点のようなものまで見つけてしまった一人反省会でした。

 

反省ついでにもう一つ。
これまで学んだことの中で『何を使うのか』をはっきりと構想に盛り込ませておけば良かったとも思う。

 

 

まとめると、

①構想で焦らず時間をかける。

構想段階でこれまでの授業で学んだ『何を』具体的に『どこで』『どう使う』かはっきり考えさせ書くなどさせる。

 

②使用できる材料・道具を絞る。

基本的には〇〇と△△を使って制作するのだと。それ以外にこんなモノやこんなモノも使っていいよと、主と副をはっきりと。

時間短縮をねらい、カラー粘土を大々的に使用させたが、シンプルに白粘土だけを用いて形を表し、後に絵具で彩色を施す方が作品の美しさは上かもしれない。

 

③制作条件をもう少し硬めに。

昨年の「自分の将来なりたい姿を実として表し実らせる」のは、ある意味わかりやすかったのかもしれない。しかし、それはそれでやりにくさを感じていた生徒もいたのは事実なので、そのまま戻せば良いというわけではない。昨年と今年の中間の制作テーマ・条件を探る必要がある。

 


来年度まだこの学校にいるのであれば、上記反省を生かして題材研究を進めてみようと思う。

しかし、まだこの題材も完結はしていません。

明後日美術部の活動が終わるのを待って、また感心な常連さんたちが制作に来るということだ。

その他にも未完成の生徒たちがいるので、最後までやりきって、ある程度の満足感・充実感をもって制作を終えることができるよう、今の状況に合ったサポートをしたいと強く思います。

反省すべきことがいっぱいある題材だと気づいたからといって、現在進行中の作品たちと生徒たちを見捨てるようなことは絶対にしたくありませんからね。

 

 

もうちょっとあがいてみよう。

単純に遅れている子や、(完成という)ゴールを見失いもがいている子がいるので、そういった苦境を打開する工夫・アイディアを一緒に悩み考えて、共に乗り越えて今年度のこの題材を完結させたいと思う。