「博士の愛した数式」を読んだ。
読み終わった後しばらく、「ほおぉぉぉ・・・・」と考えさせられた。
読んでない人や映画も観てない人にはネタばれというかさっぱりわからないだろうと思うのだけど、
私が心動かされたのは次の2点だと思う。
1.登場する男はもう64歳、しかも服装にも全く構わないような人だというのに、文章は全体を通して艶っぽい。すごく想像をかきたてるのだ。えーと、事故に遭ったのが1975年でそのとき47歳だったということは、この白黒写真のときは29歳?で、未亡人は事故の時55歳だから、白黒写真のときは37歳?そのときはもう既に「未亡人」だったのか?でも博士の兄が亡くなったのは博士が大学に職を得た直後のことのようだから、博士が29歳のときにもう未亡人とデキてたってのは微妙なんじゃ?それに、苦労して弟をケンブリッジ大学にまで行かせてくれた兄のところにきた嫁を好きになるなんてそれはどうなのか。嫁も嫁だ。
それとか、28歳の家政婦の目線からずっと博士を「老人」扱いしているというのに、途中、博士を男として見る場面がいくつかあって、老人扱いするのは、「こんな年配の人に惹かれるなんて、私ったら、そんなことないはずよ!」という気持ちからわざと老人扱いする視点を取っているような印象。深読みし過ぎ?
2.こちらが本題。博士は毎朝目が覚めるたびに、記憶が80分しかもたないという悲惨な状況を初めて認識し、打ちひしがれた。毎朝、博士はリセットされ、悲惨な状況を認識させられたらどうするかをもう何千日もテストされていたようなものだ。最後の方まで読んでようやくわかったのだが、博士は自分が愛した未亡人のことは当然覚えているわけだ。毎朝起きた時点で、博士の記憶は47歳までしかない、しかし鏡を見ると自分は64歳なのだ。にもかかわらず午前11時に家政婦がやってくるまでには、さっきまで泣いていたのを全く感じさせないくらいにまで持ち直し、人と会話をし、きちんと相手を敬い、子供と数学を愛した。私が心打たれたのは、これを博士が「毎日欠かさず同じように」やったから。日によってやさぐれて家政婦に当たったり、子供をうるさがったりはしなかった。それほど、博士の振舞い、博士の対人姿勢、ひいては博士の「生き方」は揺らぎない確固たるものだったのだと思うと、痛いような気持ちになった。自分がどう生きるかは自分の意思で選べるのだ。