くららのチラ裏

在米6年の兼業主婦。思ったことを無責任に垂れ流し。まさにチラシの裏。

目からの情報

2006年10月01日 | 英語
英語での会話の中でも、電話は難しい。
私だけでなく多くの英語初心者にとってそうなのではないだろうか。
面と向かって話しているときは、耳から入る声だけでなく、
相手の口の動きや表情も見えるので、理解の助けになる。

しかし、最近、テレビを見ていて、ふとテレビから目を離したら突然
耳にすらすらと英語が入ってきたりすることがある。逆じゃないのか!

おそらく、テレビを見ているときは(特にニュースなど)、画面にあれこれと文字があって
それを目で追ってしまっていて、耳がお留守になっているようだ。
試しに、画面上の文字は見ないで、しゃべってる人の顔だけ見ながら聞いてみたら、
やっぱり声だけよりも理解度は高いようなのだ。

確か以前、英語学習にラジオとテレビはどっちがいいか、という疑問に対して、
専門家が、テレビではどうしても画面を見ることが助けになってしまって、
わかってなくてもわかったような気になってしまうから、
ラジオの方がお薦めだと答えていたのを思い出した。

「口に出して言う」ことと「伝える」こと

2006年10月01日 | 英語
英語学習について連投。

英語を勉強していても、なかなかそれが実際の会話の上達へとつながらない感じがすることが多い。

例えば、英会話教室なんかに行くと、あるいは学校の英語の授業でも、
テキストに載っている会話文を、他の生徒と二人組になって
一人がAさん役、もう一人がBさん役で読んでみましょうというのがある。
もし二人とも、単にテキストを読み上げているだけではあまり意味がない。
では、前もってテキストを良く読んでおいて、相手の顔を見ながら言ってはどうか。
・・・私はそれでもその効果には疑問だ。
相手に向かって暗記した文を読み上げているだけである。

最近身にしみてわかってきたのだが、こういう練習の意味が薄いのは、
自分が語りかける相手を本当に想定していないからである。
自分が言う前から相手は自分が何を言うか知っている。そんなの会話とは言わない。
自分が相手に思っていることを伝えたいという動機が抜けているのだ。
だから、ここで想像力が物を言う。
自分が実際に発言するまで相手は自分が何を言うか知らないのだと自分で自分を思い込ませる。
するとかなりその練習にも意味が出てくる。

会話練習でなくても、自分一人で勉強するときでもそうだ。
何か例文を目にする、それを読み上げてみる、そこまでだとただの暗記だけど、
ではこれを明日もし職場の誰々さんに言ったらどんな会話になるだろうか、と
想像しながら言ってみる、するとその文が急に現実味を帯びる。
暗記しようと思って何度も口に出していたときにはなかなかすらすら言えなかったのに
相手を想定した途端にすらすら言えたりする。
よくある、海外旅行先でトラブルにあってピンチのときはなぜか英語が話せたとかいうのも
これと同じ仕組みだ。

ただし、文を丸暗記することは実は大変役に立つ。
口を英語に慣らすというだけでなく、例えば私は
中学校の教科書のある短い一文をなぜか記憶していて、
それが後々文法や文の構造を理解するのを助けたという経験もある。

だから、結局これも結論は、丸暗記と実践と両方やりましょうってことになるのか。

5歳児並みかそれ以下

2006年10月01日 | 英語
5歳児並みかそれ以下の英語を日々しゃべっている私だが、
最近、近所の教会でやってる英語教室に行き始めた。

私は、文法とかのペーパーテストは得意だけど実際しゃべるとなるとどうも・・・
という典型的日本人だった。
以前イギリスで英語学校に行った時も、せっかく外国まで来て授業でそんな簡単な文法やられてもお金と時間の無駄なのになーと思ってたりした。
今回の教会の英語教室も、そんな感じの授業をするのだ。
現在完了を使ってみよう!みたいな。
最初は、うわーまたまどろっこしいなあと思ったのだが、
いざそれを使ってこの例文を言えと言われると、昔よりも難しく感じるのはなぜか。

実際の職場での日常会話でも、例えば上で例に挙げた現在完了なんぞを使わないといけない場面はそれこそ毎日あるわけで、
正直現在完了は微妙に苦手な私。それでも、言わないと伝えられないので頑張って言う。
だから、実際の会話で使えてないわけでもないのだ。

おそらく、以前は文法も含めて頭で文を考えてから言っていたのだろう。
でも実際にはそんなんでは間に合わないことが多く、
文法めちゃくちゃでも、最悪単語つないだだけでもいいからとりあえず
言わないといけないという場面が多く、
「文法とか適当でもいいからとにかく言う」ということに慣れてしまったのではないかと。

前もって文を考えないと言えなくて、結果的に実際の会話であまり何も言えないというのは
割と日本人に多い問題ではないかと思う。私を含めて。
なので、そういう制約が取り払われてきているというのは良いことだと思うのだ。
しかし、きちんと言わなくても通じる、となると上達しなくなるのでは?
それも問題だなあ。たぶん、机に向かっての地道な勉強というのもはずせないのだろう。

私たちの世代は学校の英語が、机に向かって勉強する紙の上での英語に重点を置き過ぎていて、
実際にそれを使ってみるという機会が非常に少なかった。
だからといって、その比重を逆転させればいいというものでもないのだ。
おそらく、両者のバランスが重要なのだろう。