以前の記事で、日本では女性が妊娠したら多くの場合退職せざるを得ないひとつの理由は、正社員として働く以上は長時間労働を要求されるからだ、というようなことを書いた。その、日本での長時間労働についてちょっと思うことを述べたい。ただし私は専門家でも何でもないので、単なる私の私見でしかないことは断っておく。
妊娠したら退職したいと思うケース、仕方なく退職するケース、といろいろあると思うのだが、いずれも「妊娠、出産、育児をしながら仕事を続けることに対して社会があまりにも厳しい」というのが理由だと思う。そんなに厳しいのなら辞めて育児に専念する方がいいや、と思う人が多い。
夫婦のうちどちらかだけでも1日8時間より長く働くのが当然という職場にいると、双方がフルタイムで働きながら育児をするというのは苦行になるのも無理はない。そもそも、正社員と非正規雇用の待遇の差が激しく、正社員には「そう簡単には解雇せず福利厚生も保証してやるから、その代わりに文句を言わず長時間働け」というメッセージが常に送られ続けている。このメッセージは夫と妻の両方に送られていて、正社員である妻が妊娠した場合、いずれもかなりの圧力になる。すなわち、出産後も夫は変わらず長時間労働を強いられるだろう、だとすれば、仕事をしながら育児もして大変な思いをするのは自分だ、しかも、保育所に子供を迎えに行くために定時で退社したり子供が熱を出したからと仕事を休んだりして職場で肩身の狭い思いをするのも自分だ、というのは容易に想像がつく。それならば、自分は退職して育児に専念し、夫が長時間労働を続けて正社員の地位を死守する以外に道はない。本来、出産、育児なんていうのは、本人が望むならば誰でも普通に経験する権利のあることであり、一生のうちでもそう何度もあるイベントでもないのだから、その前後の一定の期間すらも長時間の過酷な労働の手を緩めることは許されないという、雇用主の姿勢や職場の雰囲気は異常だ。さらに言えば、育児期間中でなくても定時で帰ったり有給を取ったりするのは当たり前のことだ。
ではなぜ、定時で帰らず有給も消化しないのが当たり前になっているのか。私が考える原因は3つ。
1. 非正規雇用の待遇が悲惨なので、正社員は皆、今の正社員の地位を手放すまいと必死になっていること。正社員の身分を保証してもらう代わりに、雇用主の要求は何でも聞きますというわけだ。
2. やり直しが効かない社会構造(新卒至上主義)。一度正社員の身分を失うと復活するのが難しい。
3. 互いの足を引っ張り合う日本人の悪い習性。自分がこんな理不尽に耐えているのに、他の人が正当な権利を行使していると許せない気持ちになる。周りの同僚が有給を取ると自分に負担がかかるから困るといってその同僚を責める。本来は有給は取ってしかるべきものなのだから、皆が有給を取るという前提で仕事の割り振りを決めるべきで、誰かが有給を取った場合に仕事の割り振りを調整するのは雇用主(あるいは上司)の仕事なのだが、その負担を一方的に他の平社員に押し付けることにより、平社員どうしの相互監視状況が成立してしまっている。あるいは別の例としては、役所や銀行が月から金の9時から5時のみ(銀行は3時?)しか営業していないために、働いている人は役所や銀行に用事があっても行けないから、役所や銀行ももっと長時間窓口を開けるべき、土日も営業すべき、という発想。本来なら、自分の職場が、銀行や役所にいくために気軽に半休が取れるようになることを望むべきではないのか。なのにどうしても、「やつら(公務員や銀行員)だけ楽をしていてずるい!やつらも俺たちと同じように苦労するべき!」という発想になってしまっている。
この3つの中でも特に1と2は、今の時代には本当に無駄な社会風潮、構造だ。数十年前には、「何をすれば儲かるか」は割と単純で誰にでもわかることだったから、大事なのは「和を大切にして勤勉に働くこと」だった。長時間働くことが勤勉に働くこととほぼ同義だった。今は違う。ビジネスはもっと複雑になっているし、変化も早くなっている。もはや長時間労働そのものには意義はないのだ。それなのに、長時間労働=勤勉だった時代の人々が、「長年勤めてきた」という、自分たちの若者に対する唯一の優位性を手放したくないために、無意味な長時間労働や会社への度を過ぎた奉仕をよしとする風潮を何とか維持しようとしているのだということに、若い人たちは気づくべきだ。要するに、今の時代における会社への貢献度ではなく、長時間労働や理不尽に耐えるという会社への忠誠心による評価を、中高年が必死に守ろうとしているのだ。そして、非正規雇用の人に対して正社員と同じ社会保障を、という議論はずっと前からあるのに実現しないのは、非正規雇用という悲惨な身分を、若い現正社員に対する見せしめにしたい層の人間がいるからだ。また、新卒以外は採用しないのも、新卒で入社した会社を辞めたらそこで人生終了、というぐらいの恐怖心を若い社員に植え付けることで、理不尽な要求も聞かせるためだ。つまり、「今勤めている会社が理不尽だから転職する」という選択肢を奪っているのだ。これには、中高年の「自分たちが若い時には理不尽に耐えたのに、今の若い世代が転職の自由を持つなんて許せない」という、3の「互いの足を引っ張る習性」も関係しているかも知れない。
3については、労働者である自分たちが進んで雇用主に協力して自分の待遇を低くしていることに気づいた方がいい。本来なら雇用主が労働者をいかに安くこき使うかを考えるわけだが、現状は労働者同士が相互監視により自ら安くこき使われてくれちゃってるのだ。雇用主にとってはおいしいことこの上ない。
これらの問題に対してできることはといえば、まずはマスコミの偏向報道に惑わされずに自分の頭でよく考え、投票に行くこと。若い世代は数が足りないから投票に行っても意味がないという人がいるが、20-30代がもし100%投票に行ったら実際かなりの数だと思うし、政治家も若い世代の意向を気にするようになるだろうし、中高年はビビると思う。また、現在の環境がどうしてもいやだったら外へ逃げる術を持つこと。要するに英語と専門スキルと精神的な強さを身につけることだ。金ヅルである若い世代に海外へ出て行かれるとなると、政治家や中高年もそこまで好き勝手はできなくなるはず。必ずしも、日本を捨てて海外へ逃げろとは思わないが、自分はイヤだったらいつでもこのゲームをおりていい、自分にはほかにも行ける場所がある、という余裕があってこそそのゲームの中で能力を発揮できるというものだし、他のプレイヤーからも尊重されるのだ。
私が日本の長時間労働や会社への無意味な忠誠心をばかばかしいと思うのは、
海外ニートさんのブログの意見に近い。
あと、私は日本の会社を退職してアメリカに転職したが、私が勤めていた日本の会社は超優良大企業だったので、産休はみんな普通に1年取れていたし、残業はなるべくしないようにと指導されるぐらい、日本の常識からしたらパラダイスのような職場だった。だから、私はその会社がイヤで辞めたわけではない。日本でも、超大企業だと上記のような長時間労働の問題は少ないかも知れない。でも、新卒で入社しないと後から入るのは難しいのは同じだ。