☆「怨霊の発生/妖魔の出現・藤原薬子(ふじわらのくすこ)の霊言」
この度、大川総裁より新たな霊言を賜りました。
【開示日】≪本編[117分]≫8月11日(日)
【開催場所】全国の支部・拠点・精舎(布教所での開催はありません)
◇お盆にちなんで、不成仏霊と妖魔の実在がリアルに語られる!
◆お盆の時期に何が起こるのか?
――大川隆法総裁先生の実体験がリアルに語られます!
◆お盆、お葬式、供養などの意義がよくわかります。
◆袈裟と正心宝は妖魔にはどう感じられるのか?
◆九尾の狐と妖魔の関係、そして悪魔との違いとは?
◆世界史そして日本史に登場する妖魔たち!
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【拝聴者の声】
・総裁先生が袈裟と正心宝を外されるという珍しい霊言に、霊言のリアルさを感じました。(40代男性)
・天国でも地獄でもない妖魔の世界の存在が明らかになったことは驚きでした。(50代男性)
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藤原薬子のイラスト借用先
http://shihuan.main.jp/gallery1/japan/kusuko.htm
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参考:
藤原薬子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原薬子
藤原薬子(ふじわらのくすこ)生年不詳は平安時代初期の女官。藤原式家の藤原種継の娘。
中納言藤原縄主の妻で三男二女の母。幼少の長女が桓武天皇の皇太子安殿親王(あてしんのう)〔平城天皇(へいぜいてんのう)〕の宮女となるとこれに伴って宮仕えに上がり、東宮への宣旨〔口宣を蔵人(くろうど)に伝える女官〕となるが、やがて娘を差し置いて自身が安殿親王と深い関係となった。桓武天皇は怒り、薬子を東宮から追放する。
延暦25年(806年)、桓武天皇が崩御して平城天皇が践祚すると、薬子は再び召され尚侍となる。夫の縄主は大宰帥として九州へ遠ざけられると、天皇の寵愛を一身に受けた薬子は政治に介入するようになる。兄の藤原仲成とともに専横を極め、兄妹は人々から深く怨まれた。大同4年(809年)、亡き父の藤原種継に太政大臣を追贈させる。
同年、平城天皇は病気のため同母弟の皇太弟神野親王(嵯峨天皇)に譲位したのち平城京に移った。このため平安京と平城京に朝廷が並立するようになり、薬子と仲成が平城上皇の復位を目的に平城京への遷都を図ったため二朝の対立は決定的になった。
大同5年(810年)9月10日、嵯峨天皇は平安京にいた仲成を捕らえて、薬子の官位を剥奪して罪を鳴らす詔を発した。平城上皇は薬子とともに挙兵するため東へ向かったが、嵯峨天皇は先手をうって坂上田村麻呂を派遣して待ちかまえた。勝機のないことを知った平城上皇は平城京に戻って剃髮し、薬子は毒を仰いで自殺した。仲成も殺された。
空海は嵯峨天皇側の勝利を祈念し、以降、日本仏教界一の実力者になる契機となった