月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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明月院(めいげついん)

2017-04-01 05:00:00 | 祈願(神社仏閣)
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明月院(めいげついん)

ある日、仕事の打合わせ場所に指定されたのが、なんと北鎌倉の明月院(めいげついん)だ。


平安後期の永暦元年(1160)、北鎌倉あたりを支配していた豪族、山ノ内俊道が平治の乱戦死。
俊道の菩提寺として、嫡子の経俊が創建したのが「明月庵」だ。


それから約100年後の鎌倉時代。
文永5年(1268)、最後の執権北条時宗が禅興寺として再興。


さらに時代は下って室町時代。
時の関東管領 上杉憲方(うえすぎ のりかた)寺容を整え、明月院と改めた。
しかし、風化が著しく詳しい年代はわからない。

上杉は鎌倉の山ノ内(現北鎌倉付近?)に館を持っていたことから、
山ノ内上杉氏と名乗り一族の宗家となった。

そして同族ながら敵対関係にあったのが、江戸城を築城したことで知られる太田道灌を家臣に持つ扇谷上杉氏だ。

山ノ内上杉氏は、長尾景虎(上杉謙信)の父であった越後守護代の長尾為景の反乱で、
時の関東管領 上杉顕定(あきさだ)が自刃。

山ノ内上杉氏と扇谷上杉氏は長らく関東管領の座を巡って対立していたが、台頭してきた後北条氏対策のために和睦するが、
勢いに乗る後北条氏に河越夜戦で大敗を喫した後は徐々力を削がれていった。
後北条氏の圧迫に耐えかねた山ノ内上杉憲政は、ついに長尾景虎に上杉の名跡と関東管領職を譲ったのでありました。


ちなみに明月院には、上杉憲方と北条時頼の墓があるのであります。


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