月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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赤穂事件 家臣はどちらも犠牲者

2014-12-16 18:00:00 | 赤穂事件
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赤穂事件 家臣はどちらも犠牲者   

元禄15年12月14日
本当は15日の未明なのだが、当時は日の出とともに一日が始まる。

冒頭の地図(写真)の、ほぼ中心にあるのが回向院。
その斜め右下の赤枠に吉良邸があった。

吉良邸を襲撃した赤穂浪士は47名だが、吉良邸の戦力は士分、非士分合わせて180人ほどいたという話もあり、それが本当なら赤穂浪士は4倍近い敵を相手にしたことになる。

赤穂浪士にも負傷者はあったものの、鎖帷子に身を固めていたために致命傷にはいたらなかったが、吉良側は不意を突かれ、おっとり刀で参戦しために小林平八郎、清水一学をはじめ20人が死亡し、赤穂浪士は首尾よく怨敵吉良を打ち取った。



侍屋敷の塀は、長屋も兼ねていて使用人や、下級武士、非士分はその長屋で寝起きしていた。
赤穂浪士は邸内に侵入すると、いち早くその長屋の戸に釘打ち付け、閉じ込めてしまったのだ。

それにしても、戸なんぞ蹴り破り出ればいいようなものの、大半の戦闘員は息をひそめて、赤穂浪士が立ち去るのを待っていたようだ。

浅野内匠頭の江戸城松の廊下での刃傷事件で浪人となった赤穂浪士(後日、参戦者は全員切腹)、主君の危機に際して命を賭して護りきることができなかった吉良の家臣。


もし、浅野内匠頭が松の廊下で首尾よく吉良を打ち取っていたら、でもやっぱり双方の家臣は浪々の身になったに違いなく、浅野内匠頭はなぜ吉良を襲ったのか、真相は永遠の『謎』なのであります。


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