月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

磐越西線沿線

2012-08-19 18:37:32 | 鉄道GOGO!
磐越西線 鹿瀬駅での月乃和熊(ツキノワグマ)

こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
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昔々、福島県境に近い新潟県の鹿瀬という町で育った月乃和熊(ツキノワグマ)の、幼稚園、小学校、中学校までずっと一緒だった25名の同級会が、4年に1回オリンピックの年に開催される。

昔々、鹿瀬という町には大きな工場があって、狭い谷あいの中に所狭しと、ひしめくように長屋造りの社宅が林立していて、約1万人もの人間が住んでいた。

社宅暮らしだった月乃和熊(ツキノワグマ)は父親の定年とともに地元を離れ、工場や関連会社に勤める人数は激減。
同級生のなかで、現在も地元に残っているのはわずかに3人だけとのことで、過疎化が深刻な問題となっているそうだ。

そんななかで、今年集合したのは13人。

でもこの盛り上がりよう

そして、月乃和熊(ツキノワグマ)だけは、汽車に乗って帰宅したのであります。

(新潟行の磐越西線)


(磐越西線 五十島駅にて新津発 会津若松行)

昔々は、磐越西線は日本海から太平洋に抜ける重要な幹線で、月乃和熊(ツキノワグマ)が幼稚園の頃までは東京行の急行もあった。

五十島駅は、第二次世界大戦ごろまで三井の銅山があり、その積込みの一大基地で貨物の引き込み線もあり、川船で新潟港まで運搬する川港もあったという。


なにもない馬下駅には明治43年(1910)の開業当時に、煉瓦のイギリス積方式とやらで建設されたランプ小屋がポツンと立っている。

そうやって、沿線の昔話を見聞きしていると、現在はうら寂しい集落になぜ駅が作られたのか、明治期から昭和40年ごろまで、日本の発展の一翼を担っていたころの勢いというものを少し感じることができる。

今は昔の磐越西線沿線の物語・・・なのであります。

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ばんえつ物語[by(月乃和熊(ツキノワグマ)]