去る9月3日、片方の眼が生まれた時のままの眼で、老朽化して視力が悪くなっていたので、手術することになっていた。手術前には、血液検査、心電図、内科検診と準備して、それらがパスしていた。既に片方を経験しているので、気楽に構えていたのか、手術前4日から点眼を始めることになっていたのに、すっかり忘れていて、すでに1日半が過ぎていた、まあ仕方ない、そのまま黙って手術を受けた。運よく何事もなく順調に回復しているようだ。こんなところでも、老いは確実である。 点眼剤ガチフロというのは、抗菌剤で手術前、今後2週間は1日4回、クラビット、リンデロン、ネバナックと3種類を点眼する。いずれも菌の感染、炎症を抑えるためらしい。2泊3日の入院で、老人ばかりである。隣合わせた女性は私より年下で,いろいろな病気を合わせ持っていると言い、糖尿病、心臓病、聴覚障害、医学の進歩が無かったら、生きられないと思われるような気がした。夫もなく家に帰っても誰もいないとか言っておられた。これからよく見える眼で何をすべきか、深く考えながら、家路についたことである。
私は今年満85歳になった。昭和28年の夏、生後1年半になる長女を連れて夏の海を楽しもうと、夫と3人で、吉田の港から船に乗った。今でもそうだが船はエンジンの音がすごいので、大きな声で娘はずっと泣きわめき何ともやりようがなく、つらい思いであった。そんな思い出が今も忘れられなくて、どんな島であったかもわからず、帰宅したことであった。そんなこともあって、今一度61年ぶりに行って来たと、いうわけ。
此のたびは、一色の港からの就航で佐久島に到着した、まずは、ネットでしらべてあったので 、およそのことは分かっていた。港の近くのお店で昼食後、娘夫婦と4人で、自転車を4台レンタルし、島を1周することになった。地図で見る平面ではなく、久しぶりに乗る自転車はかなり辛いことであったが、上り下りがかなりあって、ちょっと意地を出し懸命に走った。雨模様だったので最後を割愛し、三河湾を見納めとして十分見て帰路についた。テレビ漬けの日々であるが、画面と臨場とは大違いだ。いまの私の足ではなんともならないが、歩けるうちに、どんどん出かけるべきと、痛感した。 おわり