枯野
芥川龍之介の《枯野抄》に於ける俳諧の大宗匠、芭蕉庵松尾桃青(の最後の情景の中の一文に寄せて
芭蕉はさつき、痰喘(たんせき)にかすれた声で、覚束(おぼつか)ない遺言をした後は、半ば眼を見開いた儘、昏睡の状態にはいつたらしい。うす痘痕(いも)のある顔は、顴骨(くわんこつ)ばかり露(あらは)に痩せ細つて、皺に囲まれた唇にも、とうに血の気はなくなつてしまつた。殊に傷(いたま)しいのはその眼の色で、これはぼんやりした光を浮べながら、まるで屋根の向うにある、際限ない寒空でも望むやうに、徒(いたづら)に遠い所を見やつてゐる。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる。」――事によるとこの時、このとりとめのない視線の中には、三四日前に彼自身が、その辞世の句に詠じた通り、茫々(ばうばう)とした枯野の暮色が、一痕(いつこん)の月の光もなく、夢のやうに漂つてでもゐたのかも知れない。