パソコンじゅく高森教室

生徒さんとの日々のやりとりや日常の出来事を気ままにつづるページです

ITの光と影

2008-03-14 00:06:56 | 麒麟のつぶやき


文明の利器と言われるモノが増えると
ある一つの事を処理するスピードだけは
確かに上がるのでしょうけれど・・・

それに伴いある区切られた時間の中で
本来人一人が収束できるだけの範囲を
軽くオーバーフローしてしまうのも事実なんですね。
結局その”カラクリ”に翻弄されて
余計に忙しくなってしまうのが現状ですよね^^;

余裕を持って生活するために作られたモノが
さらに余裕を奪うためのモノになっている。
これでは本末転倒であるなと最近考えてしまうのです。

”何を今更そんな古臭いことを・・・
それをうまく収束するのが情報化社会の常でしょ?”
と言われる諸兄もいらっしゃる事でしょう。

”でも、本当にそうなのかなぁ・・・?”
と疑問の”歩”を一手投じてみる。
あわよくば千日手になりそうな局面で
敢えて”歩”をつくことに
果たして意味があるのかどうか?

言葉が先行し過ぎてしまうかもしれませんが
心の豊かさとは”退化”の中に存在する財宝であると思ふのです。
其れは進化に伴う物理的な加速理論に反比例していきます。

処理する物事が増えた場合に
ただそれを補うだけのスピードを求めるだけでは
それを処理する本来の意味を見失うのではないか?
所謂”中身”がない状態になってしまう。

言われた事だけを素早くこなすだけが
人の能力ではないはずである。

なぜ私は此処で之を行うのか?
その必要性と自身の存在価値を確かめるために
本来私達は生きているはずなのではないのか?
そしてその必要性と自身の存在価値は
人の為になる事が大前提である。

その為にどういう行動をするべきか?
それを考えられる能力を持った人が必要な時代なのです。
”何のために?”その意味を知ろうともせずに
右往左往しているだけの日常では寂しい。

IT教育に携わる者が業務に逆行する事ばかり・・・
これでいいのか? ”いいのである”と私は言いたい。
私が皆さんに伝えたい事は本来ITそのものではないのです。
人としての在り方。自身の理想とする信念。
インフォメーションテクノロジーの根底に流れる物。
人が人として生きるために必要な物。

過去にも未来にも自分は居ないのです。
今日という日を生きているそれが自分です。
私達は一歩一歩自身の歩を進めるために生きている。
何処かに”一歩”を投じるのは自分自身に他ならないのです。
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13期親睦会

2008-03-07 21:54:12 | 日々の話題
3月6日19時より恒例の親睦会を開催しました。
今回で13回目となりましたが現行生徒数の3分の1にあたる
33名様の参加により盛大に執り行う事ができました。

ご参加頂いた生徒の皆様に感謝申し上げます。







素晴らしい進行で司会をして下さったK・Yさん
生徒代表の挨拶をたまわったK・Tさん
ビンゴ大会を盛り上げて下さった水曜クラスの皆さん
本当にありがとうございました。

今回のビンゴ1等賞はH・Hさんでしたが
なんとこの日が誕生日だったんですねぇ~
見事デジカメを引きあてました!

お好きなソフト一本の2等賞はK・Mさん
USBメモリの3等賞はO・Kさんでした。
おめでとうございました。。。

2等賞と同等賞品のブービー賞はM・Mさん
3等賞と同等賞品の最後で賞はF・Hさんでした。
おめでとうございました。。。

時間の経つのもあっという間に2時間の親睦会は
大いに盛り上がって楽しかったですね。
皆さんとの縁があってこそこの様な楽しい時間を
共有する事ができるんですよね。

人と人との繋がりに感謝しながら
これからもじゅく運営に励みたいと思います。
皆さん、これからもホームコンじゅく高森教室を
宜しくお願い申し上げます。。。
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命の灯

2008-03-01 02:33:22 | 麒麟のつぶやき
中学生時代の同級生の訃報を知った
自らに生涯の幕を閉じたと聞いて我が耳を疑った・・・

数年程前に彼女が独立した時の3月のこと・・・
PCで確定申告をやりたいと電話をもらった時の
彼女らしい明るい声が思い出される。

なぜ、終わりにしちゃたんだ・・・
なぜなんだ?生きる事を諦めるほどに
彼女を追い込んだものは何だったんだろう・・・
眠れないままに時間だけが過ぎる

ほんの少しだけ生き急いでしまっただけなんだ・・・
そう自分自身に言い聞かせてみるのに
まるで狂い始めてしまった時計を
何とか元に戻そうともがいている自分が居る
何かが私の中で憤りとなって出口を探している
こんなことがあっていいのであろうか?

生きづらい世の中であることに間違いはない
でも、自身の身の廻りで起こった不幸は
確かに現実なのだ、これは現実なのだ。
気が付くと私は仏壇の前に向かっていた。
数珠を両の手に南無阿弥陀仏を唱えるしかなかった・・・

これは確かに現実なのだ。でも・・・
あまりにも哀しすぎる現実である
少しでも生きる希望を与えるべく
話を聞いてあげる人が居なかったのか?
彼女の声を聞いてあげる人が居なかったのか?
自分自身も聞いてあげる人になれなかったのか?

大声で叫びたい、気持ちがはち切れそうだ。
核融合が未消化のまま、行き場を無くしているように
そのエネルギーが私の中で暴走している。

自身のうちの葛藤が抑えきれないままに
私の心はこの世の空間の一部をさ迷うことしかできないんだ。
尊い命の灯がはかなく消えてしまったのに・・・

でも彼女にとって生きるということは
死ぬこと以上につらかったんだろうな・・・
生きる現実に疲れちゃったんだな・・・
・・・でもやっぱり違うよ
俺はやぱり納得できないよ

苦しむ人に生きる喜びを与えられる人に成りたい
地位や名誉、財産なんていらない、ただ彼女の命を救いたかった。
苦しむ人を救う力が欲しい。涙が止まらない。
自分があまりにも無力なのが哀しいのだ。
狂った現実を浄化したいだけなのに
でもそれが、それがとっても難しい・・・

動揺しているのは自分でもわかる。
ブログでこんな事を書くのは間違いかもしれない。
でも今日だけはごめんなさい。
少しでも気持ちを外に出さなければ
私は自分が人で居られなくなる気がするから・・・
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