『岩船寺縁起
岩船寺の創立は、天平元年(七二九)、聖武天皇が出雲国不老山大社に行幸の時、霊夢 があり、大和国鳴川の善根寺に籠居していた僧行基に命じて阿弥陀堂を建立したのに始まる。
その後、弘法大師と姉の子の智泉大徳が伝法潅頂を修じ、大同元年(八〇六)、新たに潅頂堂として報恩院を建立した。さらに嵯峨天皇が智泉大徳に勅命して皇孫誕生祈願をさせたところ、皇子(仁明天皇)が誕生。皇后の橘嘉智子が特にご叡信が深く、皇子誕生のこともあり弘仁四年(八二二 )に堂塔伽藍が整備され、寺号も岩船寺となる。
最盛期には東西四十六町、南北十六町の広大な境内に三十九の坊舎を有したが、承久の乱(一二二一)の兵火により、堂塔の大半を焼失。再建後も再び兵火で失い、江戸時代寛水の頃(一六二四~一六四三)には本堂、塔、坊舎、鎮守社等、十宇ほどになる。荒廃ぶりを嘆いた文了律師が必死で勧進を行い、さらに徳川家康・秀忠らの寄進により本堂、仏像等の修復をする。
鎌倉から江戸末期まで南都興福寺一乗院の末寺であったが、明治十四年に真言律宗西大寺の末寺となって今日に至る。昭和六十三年に本堂を再建。平成十五年に三重塔を修理、内部壁画復原。
現在、岩船寺には多くの文化的遺産を蔵し、静寂な境内には四季を通じて多くの花が咲き誇る。特に梅雨期に咲く紫陽花は赤・青・白色など鮮やかな色彩が新緑の境内を染め、人の心をなごませてくれる。
(パンフレットより)』
6月下旬、木津川市の岩船寺へ行く。
もう何度も訪れているが、今回の目的は紫陽花撮影。料金の高い京奈和自動車道を利用したが、国道24号線を走ってもせいぜい15分から20分くらいしか変わらない。まぁでも精神的には早く着いたなという気分になれる。帰りも利用した。この高い料金、何とかならないのか。
岩船寺に到着するとさすがに有名どころとあって、駐車場にはそこそこ車があり、観光客も大勢来ていた。参道の石段を上っていくと入り口となり、拝観料を払う。門をくぐると、そこから密集した紫陽花の、色とりどり綺麗な風景が広がる。
岩船寺には数多くの重要文化財があり、また指定されていなくても鎌倉や室町時代と思われる石仏などを多数有している。それらの周りに紫陽花が花開いており、大勢の観光客も写真を撮るのに夢中だ。
中にはおじいさんとお娘さんと思われる二人が、娘さんをモデルにして、いろんなポーズを取らせて何枚も何枚も撮影を重ねていた。おじいさんのカメラを見ると、なんとなんと今や珍しくなった、一眼レフのフィルムカメラで、フィルム巻き上げも手動のかなり年代もののカメラだった。よほどの趣味人と思われる。
境内の奥にこれも重要文化財の三重塔が赤い色を放っている。手前の紫陽花と池がなかなか見事な構図を作ってくれている。五輪塔や十三重塔などの重要文化財も、紫陽花と一緒に撮ることで非常に引き立つ。ここでもなるべく他の人が写りこまないように撮影をしていく。
本堂に入ると見事な「阿弥陀如来坐像」が控えており、その周りに「四天王立像」が立てられている。住職さんが説明をしてくれているが、この阿弥陀如来坐像は平安時代のもので、平等院の国宝である阿弥陀如来坐像よりも100年ほど古いものだと言っていた。それほど貴重なものだということを強調しているのだが、どうしても自慢に聞こえてしまうところが面白い。それにしても見応え十分。来る度にじっくり見ているが、やはりいいものは何度見てもいい。制作から既に1000年以上経っている。改めて歴史的な重みを感じさせてくれる。
三重塔の方へ回って撮影。その後、池を一周して様々な角度から撮影する。その傍らに多くの石造物があった。やはり相当古いもので、おそらくきちっと鑑定されていないのではないかと思われる。確かに割れたり欠けたりしているものもあるが、全体がそのまま残っているものもあり、正式な鑑定をすればひょっとして、指定文化財になるかもしれないような感じもした。これも含めて、改めて岩船寺の良さを知った思いだ。
(阿弥陀如来坐像・四天王立像)(パンフレットより)
帰り、近くにある浄瑠璃寺の前を通ったが、さすがにこちらは大型観光バスが何台も停車しており、観光客の数もかなり多かった。やはり本堂や三重塔など多くの国宝を有するだけあって、有名度で言えばこちらの方が高いんだろう。もちろんここへも何度も来ているので、この日はパスして帰った。
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