『本成寺
妙榮山と号する法華宗大本山 本能寺の末寺である一五八二(天正十)年の「本能寺の変」後、同寺の再建に尽力した本能寺中興、日逕聖人によって、一五九七(慶長二)年に創建されたのが当寺である。
当初、現在の伏見区上板橋中之町にあったが、その後、一六三六 (寛永一三)年、馬信者中村隆運が法華経干部読誦の心願成就を期 に、伏見町奉行水野石見守忠貞の協力を得て現在地に移したものである。
本堂には、創建当初の本尊があり、また、地蔵堂には、小野篁作と伝えられる木造地蔵菩薩像一体が安置されている。この地蔵菩薩像は、もと伏見区三栖の藥師寺支配の大亀谷地蔵院にあったが、一六五二(承応元)年に 隆閑寺学室に、さらに一八七〇(明治三)年当寺境内に移されたもので、古来「痰切地像」として地蔵の信仰を集め、かっては 縁日に夜店が出て賑ったとのことである。 京都市』
(駒札より)
本成寺は近鉄丹波橋駅の西側約200mのところにある。
道路を隔てた向かい側には「 かましきさん」の呼称で有名な勝念寺がある。このお寺については以前にブログで紹介済み。
本成寺の由来については上記駒札の通り。本能寺の変に関わって創建されたとあるが、もちろん今 NHK 大河ドラマの「麒麟がくる」の明智光秀による織田信長襲撃事件の話と関わっている。このお寺がそういうドラマに登場することはないだろうとは思う。
境内は色々あって見どころも結構ある。地蔵堂があり、その中に「痰切地蔵」が祀られている。この地蔵自体は明治維新の頃にこのお寺に移されてきたものだが、元々は平安時代初期の豪傑、小野篁の作と言われている。
彼については生涯の様子は一定分かってはいるものの、逆に逸話や伝説的な話も多く、果たしてこの痰切地蔵が、本当に小野篁の作かどうかは分からない。それが本当ならば、この地蔵は千年以上も経っており、重要文化財に指定されていてもおかしくないはずだ。見た目にはさほど古いようにはとても感じられなかった。この痰切地蔵というのは、全国に様々ある地蔵の中でも、痰を切る、つまり風邪を引いて痰が溜まったものを吐き出すということで、風邪を引いた人にご利益があるとされる地蔵で、全国的にも数例だけあると言う珍しい地蔵だとのことだ。
もちろん小野篁というのは教科書にも出てくる遣隋使の小野妹子の家系の人物であり、またこの家系からは小野小町も出ていると言う。まぁいろいろと歴史的に著名な人物も少しは関わっているということで、なかなかユニークなお寺だ。
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