切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

大光寺・勝念寺 京都市伏見区・・・目立たないが、由緒のある寺院。

2018-08-27 23:42:08 | 撮影

◎大光寺



『藤澤山 大光寺
 大光寺は、鎌倉時代の文応元年(一二六〇)浄土宗の開祖法然上人より六代孫弟子の空蔵坊寛海上人により開基されました。開基当初の寺名は「大光明寺」で、即成院村の地(現在の伏見桃山町松平武蔵)にあって、のちに文和年中(一三五二~五六)廣義門院西園寺寧子(後伏見天皇の女御)が、南西の地一帯(現在の桃山町泰長老)に新たに伽藍を拡張します。以後、臨済禅僧の入寺により拡張後の大光明寺は禅刹となっています。
 そして、松平武蔵の元寺は大光明寺の塔頭となり「宝厳院」と称し、室町時代の一時期には伏見殿(伏見御所)が焼失したために、崇仁親王 (伏見宮家初代)やその子貞成親王により伏見殿仮御所となっています。
 応仁の乱では、大光明寺も荒廃の時期がありましたが、文禄の頃、豊臣秀吉により同地に指月伏見城が築城され、大光明寺は秀吉や家康ほか諸大名の勧進により、相国寺山内に移されて「大光明院」と改名し再建されています。(その後焼失、明治時代になって、相国寺山内の「心華院」を「大光明寺」として再興)。
 文禄元年(一五九二)大光明寺の相国寺移転に際して、宝厳院に申興荘蓮社厳譽上人が入寺。本山を浄土宗黒谷金戒光明寺に定め、嘗ての寛海上人の浄土系大光明寺の法統を引き継ぎ、寺名も「大光明寺」から「明」の一字を削った「大光寺」と改名。山号を「藤澤山(とうたくさん)」とします。
 慶長・元和年中には、大光寺の末寺も增え中本山格となっていきます。徳川家光の伏見城での将軍宣下とての後の伏見城廃城を機に、寛永元年(一六二四)伏見奉行小堀政一(遠州) により、現在の地の伯耆町(徳川家光傳役 青山伯耆守屋敷跡)を替地として拝領。翌二年(一六二五)円蓮社頓譽上人代に、旧来の地に塔頭一寺を残し、精舎を現在の地に移転しています。残った松平武蔵の塔頭寺院は、しばらくは「大光寺」のままでしたが、その後嘗ての「宝厳院」の名に因んで「宝円寺」と改名。大光寺末寺となっています。
 寛永期からの大光寺の伽藍配置は天明七年(一七八七)の 『拾遺都名所図会』からも窺えますが(図参照)、江戸時代は境内で縁日や富籤(東山大仏や松尾大社の興行)が行われ、明治時代には勧進の京都相撲の興行なども行われておりました。知恩院宮御門跡(華頂宮)の旧御殿を拝領し再建されました旧薬師堂は、老朽のため解体され、仏像や堂宇の装飾彫刻類は本堂に、また伏見宮から寄贈されました宮殿は本堂東側の薬師堂に移設され、法親王の尊牌をお祀りしております。同天明期には、大光寺の住持が伏見奉行小堀政方の悪政に悩まされ、伏見義民一揆を喚起する一要因となるような事件もありました。一方、大光寺を菩提寺とする伏見奉行所の与力方もあり、その中には幕末に新撰組の一隊士の凶刃によって絶命した与力もおられます。
旧本堂は、老朽化のため平成元年に全改築しています。現在の当寺の本山は、東山の華頂山にあります浄土宗総本山知恩院であります。
 (境内説明書きより)

   

 伏見の大手筋商店街に面した一画にある。門の幅が狭いので、普通に歩いていると見逃してしまいそうなところだ。
 この伏見桃山一帯は平安京の中でも特に重要な位置を占めていた場所であり、桃山城が築城され、近くの宇治川の水運を利用した交易が非常に盛んな土地でもある。また多くの天皇皇族たちや、後の武将たちもこの地に居を構えることが多く、その由緒のある場所も多々残っている。
 そういうこともあって、比較的小規模ではあるものの、お寺の数もを非常に多い。この一帯では御香宮神社が圧倒的に有名だが、それ以外の小さなお寺も長い歴史を誇っており、その中にこの大光寺もある。
 お寺の経緯については上の説明書きの通りで、改めて説明する必要もないが、 鎌倉時代の創建というのも随分長い歴史だ。小さな門から境内に入ると、正面にすぐ本堂が目に入る。
 上記のように比較的最近再建されたので、非常に新しい綺麗な状態だ。例によってこのお寺の境内も綺麗に整備されており、買い物客などで賑わっている大手筋の中にあって、ちょっと喧騒を離れて静かな雰囲気に浸ることができる。
 残念ながらこの日は誰もいなかったので、ただ境内を撮影するだけで終わってしまった。京阪電車や近鉄の京都線から徒歩5分くらいなので、他の寺院も含めてこの辺りをぐるっと回るのもとても良いと思う。近くには有名な寺田屋もある。運河も綺麗に整備されており、そこを観光船がゆったりと進んでいく様もなかなかいいものだ。




◎勝念寺(かましきさん)



『織田信長公賜
身代り釜敷地蔵尊(かましきさん)

 身代り釜敷地蔵尊(かましきさん)は、遠く戦国時代 勝念寺開山貞安上人に深く帰依した織田信長公より賜ったと伝える。身上三尺臺二重(鎌倉時代作)  釜の中に蓮華あり、この上に延命地蔵尊立ち給う故に、釜敷延命地蔵尊という。
 地獄で釜茹での責めに苦しむ人の身代わりとなって、自ら煮えたぎった釜の中に入り、地獄と此の世で苦しむ人の苦を取り除き、幸せへと導き給う故に、代重苦身代り地蔵尊という。
 内には大慈悲の行を秘め、外に比丘の相を現す。迷える六道の世界を巡るため右手に錫杖を持ち、穢れたこの世を淨めるため左手に宝珠を持っておられる。
 観音菩薩をはじめ多くの菩薩達は将来仏となることを予定されている。しかし地蔵菩薩は仏となることを捨て、この苦しい娑婆の世界にとどまり、「すべての人が幸せにならないうちは、自身のしあわせはないと、苦しむ人を救うことを「願」として修行され、とりわけ地獄の釜茹でになっている、最も苦しんでいる人を救うことを誓われたお地蔵様こそ、この代重苦、身代り釜敷地蔵尊(かましきさん) です。
 代重苦とは代受苦ともいい、他人の苦しみを自分が代わって受けて、相手の苦しみを和らげ除いてあげることです。仏心とは大慈悲といい「抜苦与楽」とも訳され、他人の苦しみを抜き除いて楽にしてあげることです。我々多くの人は他人が苦しんいるのを見ても、見てみぬふりをして通り過ぎるか、せめて、なんとお気の毒なことよと同情するのがせいぜいですが、仏様、菩薩様の慈悲の御心は、見て見ぬふりをしたり、放っておけない同体大悲の思いやりの心であります。この世で苦しむ衆生から、さらには地獄に堕ちて苦しんでいる人の傍に寄って、その人の身代りになって苦しんで下さる、それが代重苦、身代り釜敷地蔵尊(かましききん) です。仏、菩薩に限らず、我々でも本当に親しい愛する人が苦しんでいるのを見たとき、何とかしてその苦しみをとってあげたい、いよいよの時には自分が代わって少しでもその人を楽にしてあげたいと思う心が動く。幼いわが子が高熱を発し苦しんでいるとき出来たら自分が代わってやりたい思う。古来どれだけ多くの母親が危篤のわが子の枕元で、自分の生命と引き換えでよいから、どうぞこの子を救って欲しいと神仏に祈ったことでしょう。まさに代受苦の願いです。この母の心を我が心とされた仏様こそこの代重苦、身代り釜敷地蔵尊(かましきさん) なのです。
 即ち、身代り釜敷地蔵尊(かましきさん) は、苦しんで生きてる人々のために災厄を一身に背負い身代りになって下さっているのであり、これは偏に私たち一人一人の幸せを願ってのことであります。
 身代り釜敷地蔵尊(かましきさん) の、この尊い願いに触れると共に、その功徳にあやかり、幸福で豊かに生きていくためにも、皆様お揃いでご参詣し、厄除けをされることをお勧めいたします。
 安永七年(一七七八) に本堂庫裏共に焼失しましたが、身代釜敷地蔵尊や閻魔法王自作霊像及び他仏像は表境内土蔵に安置されていた為に幸い難を逃れ今日に伝わります。勝念寺開創当時を物語る貴重な霊宝であります。
 文政年間に、この釜敷地蔵尊と同じく織田信長公より賜ったと伝える閻魔法王自作霊像の御影の版木が贈られ、以来この二像のお札が多くの人々に配られました。熱心な信者のお参りもあり、往時には縁日に屋台が出て賑わったと聞きます。毎年、四月八日には釜敷地蔵尊供養会が十時三十分より開かれ、この版木から摺った身代釜敷地蔵尊と閻魔法王の卸影のお札が授与されます。
 京都 伏見 勝念寺 (説明パンフレットより)

      

 京阪電車、近鉄京都線の伏見桃山駅から、一駅北側の丹波橋駅から西へ徒歩数分。通りに面して勝念寺がある。
 織田信長・信忠、そしてこの丹波橋に居を構えていた豊臣秀吉の由来のお寺になる。門を入ると境内はちょっとした小さなジャングルのような雰囲気。通路以外は全て花咲く草木で覆われている。8月の終わりに来たが、9月の方がもっと綺麗に花が多く咲くようだ。改めて行ってみたいと思う。
 ここも境内には誰もおらず、ただ写真を撮っただけ。勝念寺は別名と言うか、俗称「かましきさん」と呼ばれ、身代わり釜敷地蔵尊がある。地蔵堂の前にはお参りした人たちが置いていった、花や小銭があった。地蔵堂の内部は暗くてよく見えなかった。
 由来は上のパンフレットにある通り。こちらも江戸時代の少し前に創建されており、歴史的人物の波乱の生涯に関わる由緒を持っている。そういった意味では、小さなお寺ながらも歴史的に重要な意味を有するものだったと言える。

   

 この日回ったお寺は、何れも指定文化財などはないものの、その創建からの経緯を見てみると、時代の移り変わりとともに建物も新しくなったりはしたものの、深い意味のある由緒を持っていることに改めて感心させられる。


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