『瑞光寺(元政庵)
深草山と号する日蓮宗の寺である。
この地は、もと極楽寺薬師堂の旧跡で、応仁の乱により荒廃していたが、明暦元年(一六五五)、元政上人が日蓮宗の寺とし、瑞光寺と名付けたといわれている。
上人は、京都に生まれ、俗名石井吉兵衛と称し、彦根藩に仕えた武士であったが、後に出家してここに草庵を建て、父母を引き取って孝養に努め、学者、文人、又は孝子として知られるようになった。寛文七年(一六六七)、母親の死の直後に四六才で没した。上人の墓は、境内の西隅にあり、遗命によって竹を三本立てただけの簡素なものである。
本堂寂音堂は、丸みを帯びた萓葺屋根の建物で、寛文元年(一六六一)に建立されたものである。
堂内に安置する本尊釈迦如来座像は、中正院日護上人の作で、胎内に法華経一巻及び五臓六腑を形作ったものが納められている。
毎年三月十八日には「元政忌」が行われ、上人の遺品等が公開される。
京都市』 (駒札より)
瑞光侍には何度も訪れている。いずれも紅葉の時期、あるいは新緑の時期だった。今回はまだ梅の花が残ってないかどうか期待を込めながら行ってみた。駐車場に入ると横の境内に大きな桃色の花を咲かせた木があった。これは梅かと思ったが、何しろ老眼でよくわからない。とりあえず車を置いて正面の門から入ることにする。
見慣れた入り口に駒札が立っている。何度も撮影しているが、今回も同じように撮影する。短い参道にはのぼり旗が何本もひらめいていて非常によく目立つ。日蓮宗のお寺だ。もともとは向かい側に広大な敷地を持つ宝塔寺があり、瑞光寺はその反対側の西側に、広大な敷地を持っていた。しかし明治に現在の JR 奈良線が敷かれることになり、今では駐車場の真横を高速で電車が通過する。こういった事情で西側の敷地は、お寺と切り離され失われてしまった。従って境内全体としては比較的狭い方となる。
秋の紅葉は敷地内に多くの植物や花があって、なかなかの見応えと言える。何と言っても本堂の建物が茅葺きの今では貴重な建物であり、最近ではお寺にしろ神社にしろあまり見かけないものとなっている。江戸時代初期の再建で今に至っているが、もう間もなく文化財指定となってもおかしくないだろう。ちなみに瑞光寺には2つの国の重要文化財がある。公開日には見られるだろうが、おそらく年に1回のみとなっているようだ。
この茅葺きの本堂をバックに、紅葉を撮影するとなかなか素晴らしい絵となる。同様に 梅もあれば素晴らしい風景が見られるだろうが、境内に入って鐘楼を過ぎると、大きな桃色の花の木はどうも梅ではないようだ。とりあえず後回しにして境内を道順に沿って撮影していく。やはり本堂の建物が古風な趣きで、近代的なものが写っていなければまるで江戸時代にいるような雰囲気を見せてくれる。そして大きな木の近くに到着。
紛れもなく梅ではなく、「桜の花」だった。今シーズン、これだけ大きく花を開いている桜の木は初めて見た。この数日前に木津川市の地蔵禅院で白い桜の花を見たが、規模はかなり小さなものだった。高い木に無数の桃色の花が咲いている。もちろん鐘楼や境内、そして茅葺きの本堂を背景に次々にシャッターを押していく。天気もよく青空がさらに桜を引き立てる。結局梅の木はなく、この時点で撮影は桜の花に切り替わったということになる。
毎年3~4月には桜の撮影に回っているが、いわゆる名所と言われるところはほぼ行っている。従って今シーズンは梅と同様、隠れた名所、あるいは特に何でもないようなお寺や神社などに行ってみようと思っている。たまたま先日、東大路通りを車で走ったが、大渋滞でさらに幅の狭い歩道には人が溢れ、清水寺から八坂神社の辺りはとんでもない人だった。桜も見所が多いところでもあり、人まみれの中の桜を撮るというのも何か気が引けてしまう。あまり人の訪れないような、いわば隠れた名所みたいな場所を探して回ってみたいと思っている。
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