『御香宮御旅所
日本第一安産守護之大神とされる「神功皇后」を始め九柱の神をまつる当社は、深草大亀谷敦賀町を中心とする「峠」一帯の氏神として深く信仰されている。
文禄三年(一五九四)、豊臣秀吉は伏見築城にあたり、城内鬼門除けの神として伏見九郷の石井村にあった「御香宮」をこの地に遷し、本殿等を造営して社領三百石を寄進した。
秀吉の没後、天下人となった徳川家康は慶長十年(一六〇五)城下町の人心の安定を企って、この神社を再び元の地に戻した。秀吉の造営した本殿は江戸末期に大破し、その後に建てられたのが現在の本殿である。(平成十年五月解体修理)
こうした経緯から地元の人々より「古御香宮」と呼ばれ、十月御香宮神幸祭には神輿の御旅所として神輿渡御がある。
秀吉がここに神社を祀ったのは、隣接する「桓武天皇陵墓参考地」を保護する必要上とも伝えられている。尚、明治維新、すふぃみの戦いに際して、一時御香宮の御神霊が遷御された。』 (説明板より)
御香宮御旅所は、深草の丘陵地帯の住宅街の中にある。住所は大亀谷古御香町と言って、かつて御香宮が置かれた名残が見える。外部の者にとってみれば、こんな丘陵地の比較的高いところにまで新興住宅地が目いっぱいに建てられており、眺望こそ良いものの住民が年をとってからはきっと困ることになるだろうなという印象を持った。近くに墨染街道と言う六地蔵まで結ぶ幹線道路があり、交通量は比較的多い。多分路線バスもあると思うので、それはそれでいいのだろうが、このような坂だらけの地というのはなかなか住むのも大変だろうと思う。
御旅所については上記の説明板の通り。特にこれ以上付け加える必要はないが、説明文の中に「すふぃみの戦い」というのがあるが、なぜこんな表記になっているのかはわからないが、もちろんこれは幕末から明治維新にかけての鳥羽伏見の戦いの事を言っている。当時こんな発音をしていたんだろうか。
御旅所ということで、本来は御香宮との間で神幸祭において、神輿の行き来があるのだがその目的地として存在している。ここでは10月に行われるとのことだ。
御香宮神社は何度も訪れて写真を撮っており、特に春の桜シーズンはただただ見事というほかはない。門や本殿の建物も重要文化財に指定されており、見応え十分。この神社に御旅所があるというのは実は知らなかった。地図でいろいろ探している中でたまたま見つけたものだ。
実際に訪れてみると街道に鳥居が立っており、そこから坂道をしばらく登って割と広い境内に出る。境内の一番奥に本殿の建物がポツンと立っている。正直これだけでははっきり言って寂しいという感じだ。背後には住宅が密集している。街道からの車の音もほとんど聞こえず、全体的に非常に静かで落ち着いた雰囲気。再建されたという本殿はなかなか綺麗で新しさを見せている。
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