切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

法然院・・・専修念仏      京都市左京区    2024.5.29 訪問

2024-06-23 22:18:43 | 撮影
 

『法然院

 善気山万無教寺と号し、浄土宗系単立寺院である。
 この地はもと法然上人が弟子の住蓮、安楽と六時礼讃を勤めた旧跡で、寛永年間(一六二四〜一六四四)ほとんど廃絶していたのを延宝八年(一六八〇)知恩院第三十八世万無心阿上人と弟子忍激が中興したものである。
 本堂には恵心僧都作阿弥陀如来坐像と法然上人自作木像を安置し、直壇には毎晨朝に二十五の生花を散華する。
 方丈は、桃山御殿の遺物を移建したものといわれ、襖絵十四面の「桐に竹図」「若松図」「槇に海棠図」及び屏風の「雪松図」はいずれも重要文化財に指定されている。
   京都市』  (駒札より)

   

 大文字山の麓にあり、安楽寺の北側に位置する。元々は法然の弟子であった安楽上人と住蓮証人の活動の場でもあったと考えられ、お寺というよりは草庵のようなものだったと考えられている。そういった意味では法然院の元のお寺の創建や詳細についてはよくわかっていない。ずっと後年になってから法然の居住地が分かり、そこに建物を建て法然院としたのが 江戸時代の初期のことだ。

  法然はもちろん平安末期から鎌倉時代初期の僧であり、極めて若い頃から仏道に入り 様々な修行を経て、比叡山や清涼寺などでさらに修行を積んだ。そんな中、中国における浄土宗の祖という呼ばれる善導の「称名念仏」を知り、自ら勉強を重ねて改めて、「専修念仏」を唱えるようになる。弟子たちも含めてこれが布教されると、文字なども読むことのできない庶民にも農民にも受け入れやすく、大いに広まり信者を増やしていく。安楽上人と住蓮上人は後鳥羽上皇の怒りを買って処刑されることになるものの、法然の教えはさらに若い 弟子たちに引き継がれ、全国に広まっていく。

    

 その頃にはこの地に拠点としてのお寺を創建しているようだが、後に荒廃し江戸時代になってようやく、法然院としての寺院が形作られ、法然の専修念仏の教えの中心地として多くの人々に支えられるようになる。宗派は浄土宗であるが、戦後になって浄土宗系ではあるものの、単立寺院として独立した立場で多くの人々の熱い信仰を得ている。

   
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