切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

2020年の梅 清涼寺 京都市右京区・・・広大な境内に僅かな梅の花が

2020-02-23 22:49:54 | 撮影
 

『清凉寺(嵯峨釈迦堂)
 五大山と号する浄土宗の古刹で、「嵯峨釈迦堂」の名で知られている。
 この地には、一説では『源氏物語』の主人公の光源氏のモデルであったといわれる源融の山荘、棲霞観があり、融の没後、棲霞寺としたのが当寺の始まりである。天慶八年(九四五)に等身大の釈迦像が安置され、これが通称の由来ともいわれている。
 その後、インド、中国、日本の三国伝来となる釈迦如来立像を持って宋(中国)から帰国した奝然上人が、その像を安置するため、愛宕山を中国の五台山に見立てた「大清凉寺」の建立を計画したが、志半ばで没したため、弟子の盛算が清凉寺を建立して 像を安置した。
 昭和二十八年(一九五三)、背中に蓋が発見され、中に内臓を模した絹製の五賊六腑はとが納められていたことから、生身のお釈迦様とも呼ばれている。
 本堂は元禄十四年(一七〇一)に徳川五代将軍綱吉、その母桂昌院らの発起により再建されたもので、本尊の釈迦如来立像(国宝)を安置しており、霊宝館には、阿弥陀三尊像(国宝)、文殊菩薩騎獅像(重要文化財)等、多数の文化財が祀られている。
 このほか、境内には、奝然上人、源融、嵯峨天皇、檀林皇后の墓などがある。
 京都市』 (駒札より)

  

清涼寺は以前このブログでも取り上げている。梅について書くのは初めて。
 嵐山の中心部から少し北の方にある。堂々たる仁王門を持つ格式のあるお寺だ。こちらには何度も訪れており、清涼寺自体を撮影することなく駐車場として利用するケースも多い。時間無制限で700円。天龍寺が同じく時間無制限で1000円なので、300円分少し遠いというわけだ。
 今回は清涼寺だけで、他は回らない。駐車場から入ると仁王門をくぐらずに横から入ることになるので、一旦仁王門の外に出て、仁王門の撮影からスタートする。
 迫力のある仁王像も金網越しに撮る。境内に入ると非常に広大な敷地が広がり、正面にこれも巨大な本堂が控えている。すぐ西側には多宝塔があり、さらにその奥に鐘楼が建っている。その他にも東側にいくつかの伽藍が控えている。その一つに霊宝館があり、主な寺宝はこの中に収められている。
 清凉寺は多くの国宝と重要文化財を有しており、公開日には霊宝館を訪れて拝見することができる。一度だけ入ったことがあり、そうそうたる仏像に圧倒された記憶がある。境内や本堂を見るだけなら自由に出入りできるが、もちろんここはは有料だ。しかしそれだけの値打ちは十二分にある。訪れた際には是非清涼寺の宝物を見ておくべきだ。

 さて、梅の方は広大な敷地の割には正直なところ非常に少ない。主に多宝塔のあたり、そして東側のちょっとした庭園の周辺というあたりになる。白、桃色等、 決して大きくはない梅の木が綺麗な花を咲かせていた。春になれば同じような場所に桜が満開となる。少ない梅ではあるものの、バックに本堂を入れて撮る、アップで撮る。するとなかなかいい絵になる。この日は見事な青空でもあり、花の色と本堂などの建物、そして青空。これらがうまくマッチして、見ているだけでも思わず気を取られてしまう。このようなお寺の建物を入れて撮影できるというのも、日本ならではのことだと思う。
 もちろん清涼寺はどちらかといえば観光寺院の部類に入るが、あまりにも広いのでそこそこ人が来ていてもたいして気にならない。それに嵐山を訪れる観光客の大半はこの清涼寺まで来る人は少ない。ほとんどが天龍寺とその周辺や西側にある常寂光寺、二尊院などの方へ行ってしまうケースが多い。
 しかし、ここに国宝の中でも極めて貴重だと言われる「木造釈迦如来立像」がある。これは10世紀頃に中国の北宋時代に作られたもので、日本や中国の仏像とは違った特徴を持っており、おそらく古代インドから東南アジアに伝わっていく過程での特徴に共通しているものだと言われており、その経緯からもかなり珍しいものだ。
 日本の仏像といえば、定朝、運慶や快慶といった名前が連想されるが、それらとは全く異なる経緯のある仏像であり、そういった目で見ると、また仏像の面白さも感じ取れるのではないかと思う。あいにく公開日ではなかったので、梅撮影だけで終わってしまったが、4月にはまた桜を撮影しに来るので、機会があれば久しぶりにこれらの仏像と対面したいと思っている。

                    
コメント (1)
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