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 「遺 骨 奉 還 ・ 和 解 と 友 好 の た め の 東 ア ジ ア ネ ッ ト ワ ー ク」

山荷葉の花が咲く山奥に

2012-06-16 17:49:05 | 日記
今月、つまり6月3日(日)
20代の若者を誘って
昨年入口までしか行けなかった
漁岳の麓にあった
旧恵庭鉱山跡をフィールドワークしてきた
2007年の調査から
現地に向かうことで
何を見るのか
いや、何を考えるかだろう

人は思う
こんな山奥に
そんな物があるなんて

でも、それは
行かなければ分からない

漁川最上流域
小さな小川を遡る
そこに咲く山の花の魅力にも惹かれる



山荷葉(さんかよう)
見過ごしてしまうほどの花だが
何故か
妖精のように思える

そこは
戦時中金の採掘現場
坑口と
立て坑が残されている



網が雪解けとともに
岩盤が崩れ落ち
穴の奥まで
落ち込んでいた
初めて
坑道の底が見えるようであったが
危険なために
それ以上は近づけない

1939年から1943年まで
操業していて
その時から時間は停まったのだろう

シラネアオイの花も
雪解け水に流されたようで
花の数が少なかった

少し雪が残っているかと思ったのだが
僅かに見かける程度

緑の木の葉が
行く手を遮る
笹薮をかき分け
ようやく
製錬所に辿り着く

若者は
初めて見る光景に
だだ驚くばかり

その若者の一人は
地元の新聞記者で
友人の一人
そしてその記者の友達だが
何度か
自然観察会や登山で
ご一緒している若者だ

初めて
ここを訪れた目的を告げる
そして
強制連行、強制労働のことも
明かした
若者たちに
伝えておきたい
そのこと話す



全体を時間をかけゆっくりと廻る

帰りに
学校跡に入る
笹が伸びて歩きにくいが
何とか
坂を登り
学校跡へ
少し時期が遅過ぎたようだ
笹が行く手を塞ぐのだが
鹿にも
熊にも出会わず
校舎の敷地跡に
コンクリートの土台を眺め
帰ろうとしたら
記者の若者が
「あれは何だ・・」
学区跡の裏手に
建物が見える
もう一段高く笹をかき分け登る
何と
大きな建物跡が
何に使われていたんだろうか
これは初めて見た
何度も来ていながら
知らずに過ごしていた



底の方に
学校に向けて鉄管3本が伸びてる
深さは3m以上はあるだろう
水ためか
水道施設の一部か?
謎が残る

最後は
火葬場



国道の近くから見えるが
ここに火葬場があるなんて
調べて見なけりゃ
分からない



坑口に続く川の脇にも
謎の連が積の物が

当時の様子はどのような状態か
住宅地から
2kの山道をどのように
通ったのか

金の採掘は
どの様だだったのだろうか

ここで働いていた人は・・・

花咲く山奥で
考え
想像してみてください