つながること むすびつくこと 記憶すること                    北海道フォーラム

 「遺 骨 奉 還 ・ 和 解 と 友 好 の た め の 東 ア ジ ア ネ ッ ト ワ ー ク」

3・11振りかえる日

2012-03-13 20:23:15 | 日記
丁度
1年前
この列島を
大地震と大津波が襲いかかった

あの日
この北の大地も
大揺れに揺れた
その日は
1度ならず
夜になっても
余震は続いた

外に飛び出して
近所の人の安全を確かめた

電信柱が
グラグラ揺れて

地面も
立っていられないほどだった

大震災
そして
福島の原発事故
汚染された
海や山
町や村にも
放射性物質が
襲いかかる

未だに
解決できない
原発の終息

津波や
地震で
大勢の人が亡くなった

3月11日

その日
この国は
黙祷を捧げ
追悼する姿が

しかし
追悼もされず
今も
この北の大地に

取り残された
犠牲者の遺骨がある

お寺に
置かれている
遺骨は
住職が
念仏を唱えてくれるだろうが

忘れ去られた
遺骨に
手を合わせること
合掌し

安らかにと
唱える気持ちは

3・11の犠牲者と
同じなのだ



先日の
3月11日


寒さに震え亡くなった
大勢の
震災犠牲者と共に

手を
合わせて
念仏を唱えて見た

家の
庭の雪の上に
1本の
ロウソクを立てて

南無阿弥陀仏

忘れては
いませんと



 東アヒア共同WS in Hokkaido ー朱鞠内

2012-03-02 22:54:28 | 日記
凍てつく
朱鞠内
笹の墓標展示館(旧光顕寺)に集う

背丈を越える雪の中
イタリアから
オーストラリアから
ベトナム人(オーストラリア生まれ)も
韓国から
高知、大阪、名古屋から
WSメンバー
空知民衆史講座
北海道フォーラムからも参加
老若男女が
集う

福島の被災地の様子
原発事故の被曝実態
沖縄:高エのヘリパット
防衛局+業者対地元住民の戦い
映像を通して流れる

ブラジルで開催の
世界フォーラム報告

昨年の
韓国智異山でのWSの報告があり

皆が
その課題(テーマ)に耳を傾ける
夜は
朝まで
語らいの場が



眠らない
朱鞠内ナイト

日本語で
朝鮮語で
英語で
語らいは続く

韓国の
真相究明員会・支援委員会の
報告があり

元ハンギョレ新聞記者
金考淳氏より
ハンギョレ新聞が出来た経緯
独裁政権下での
民主化
言論の自由を求める
記者が立ちあがった
東亜日報、朝鮮日報の
記者達が
デモをする
言論弾圧との
戦いの中で
ハンギョレ新聞は
生まれた

職を追われながらも
民主化を求め
真の報道と言論を求め
記者達は
ハンギョレ新聞を立ち上げた



金氏は
初代の
東京特派員
流暢に
日本語をこなす

朱鞠内にも取材に訪れていた

朱鞠内での
発掘の経過と
掘り出された遺骨について
報告がされた
遺族の元に帰ることなく
旧光顕寺(笹の墓標展示館)に
安置されている
遺骨のいわれが
話された
遺族が判明しても
その家族の肩にも
それぞれの想いと
ドラマがあった

夜は
ナイトコンサート&感想発表と
歌を披露

韓国の
宋レノンの歌に酔いしれる



韓国から参加した
女子高校生の
歌声に
拍手が鳴りやまない

イムジンガン
アチムイスル(朝露)
全員で肩組み
歌声は
峰々に木霊した
犠牲者に
届くように



ここでは
国籍も
国境も
民族も
言葉の壁も
取り除かれた

タコ部屋も
強制労働も
繰り返すことがされない
国際社会に向けて

記憶の
灯は
消すことが出来ない
肩を組み合い
想いを共有した
参加者は
この一夜を忘れないだろう









東アジア共同ワークショップ in 2012冬 朱鞠内

2012-03-01 05:55:50 | 日記
2月25日
西本願寺札幌別院に集合した
冬のワークショップin朱鞠内参加者は
東北に参加した者を含め
この日に合流した
一行は
札幌別院で北海道における遺骨問題の
レクチャーを受け
合奏されて納骨堂に安置されている
犠牲者の遺骨を見た後



バスと車で
朱鞠内に向かう



24日に札幌に到着した韓国からの参加者を含む
若者達は
この日の、夕方
紀伊国屋で開催された
@Fukusima 私たちの望むものは
福島から札幌に自主避難された
3人の話を聞き
その後の懇親会でも
福島の避難者と交流を重ねた
昨年の
韓国:智異山でのWSでも
3・11の犠牲者を追悼し
「上をむいて歩こう」の歌が
合唱されたが
原発事故に対する
課題についても
心の中に残ったようだ
その思いやりの心は
国境を越えて・・・・届けられた