てんかん娘と働くママさん

てんかんを持つ長女と元気な長男次男にかこまれてヘロヘロになりながら働く母の日記というか独り言・・・・

私と母

2008年10月25日 | Weblog
今、私は実母に大変助けられて生活しています。
長男を妊娠したあたりから本当に良くしてもらっています。有り難くて我が家にはなくてはならない存在の一人です。


私が幼い頃、母は働いていて私は幼稚園に入る前から一人で留守番していました。
一人遊びは得意です。
今でも一人はとても落ち着きます。

当時、共働きは珍しかった気がしますが、我が家は共働きの割には貧乏でした。洋服は誰かのお古で靴なんかもそうでした。
母は和裁、洋裁はできるので、若い頃にその教室で作った作品をほどいたりして、私達に洋服を作り直したりしてくれました。

私はお店で買った真新しい洋服がまぶしくてうらやましくて・・・
でも、母は自分の物はほとんど新調していなかったので、子供心に我慢してそういった欲求は口にしませんでした。

外食なんて全くしなかったし、出前をとる事もなかったと思います。
お金が無かったからと母は言っていましたが、母は働いていても3度の食事はキチンと作っていたし、それが当たり前でした。

私は皮膚が弱く、よく耳鼻科(耳がかぶれて)や皮膚科に通いました。母の自転車に乗せてもらって。
仕事が終わってから。

大変だったと思います。

今、親になった私からしたら母はなんて働き者なんでしょう、と思えてなりません。

学校の行事には来てくれたし、お弁当を忘れる事もないし、夜ご飯も毎日作ってくれていて。
汚れた服なんて無かったと思います。
毎日、お日様の匂いがする清潔な洋服を着させてもらいました。

裕福ではなかったですが良く育てていただきました。


そして、今は孫の面倒を良くみてもらっています。
母親の私からみてもとても良く。

昔、母が働いていて寂しかった事もあったけれど、今は私も働いていてやっと当時の母の気持ちに近づけたかもしれません。

幼い頃は一緒に遊んでもらった記憶がなくて寂しかったし、思春期頃には裕福でない事が惨めに思えてしまって、親子関係が少しトラウマなところもありますが、母はかなり頑張って私達を育ててきたんだなあって、今さら思います。

私の子供達を可愛がり面倒みている母を見ると、自分が面倒みてもらった気分になり、子供の頃の寂しかった記憶がだんだんと薄らいでいきます。

こうやって家族は繋がっているんだなあ~と、つくづく思います。

3 コメント

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Unknown (学生課)
2008-10-26 21:17:37
こんにちわ。
突然すみません。

働くママのコミュニティ「ママキャンパス」にて、豪華商品があたる「ママ友つくろうキャンペーン」やっています。

よかったら、のぞいてみてください。

http://www.mama-can.com
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おはつ (マールの母)
2008-10-28 10:45:33
私は反対でした。
私はお古の洋服がとてもうらやましかったですよ。
でも私は♂兄弟の末でしたから、おふるはなかったです。つまんないです。めぐまれすぎていたようにみえても、いじめをうけてましからね←それも陰湿な仲間はずれ。


娘さん、てんかんなんですね。わたしは突発→側頭葉たいぷです。
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マールの母さま (きぬきぬ)
2008-10-28 17:13:25
コメントありがとうございます。
今となったらなんでお古が嫌だったのかもよく覚えていません。
多分、昔は今よりおしゃれなお古はいただいていなかったからかな?
でもやっぱりお気に入りのワンピはお古だったような~。
てんかん、うまく付き合っていくしかないですよね。
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