見出し画像

今日のころころこころ

2019・6・24 横浜の几号水準点 明治の地図から几号水準点をさがしてみた

上西勝也先生のHPを参考に高低几号標めぐりをしているのは色々と勉強になる上に、何より楽だ。
それにしても上西勝也先生はどうやって探し出したんだろう?
せめて横浜のだけでも少し自分で探す努力をしてみよう。
明治初期の地図作成機関は内務省地理寮と陸軍参謀本部であった。
地理寮の地図は軍用ではなく行政上の観点から作成された。
測量については、英国人A.マクヴィーン測量師長以下5名の英国人を招聘し彼等の指揮の下に明治5年に東京府下で三角測量を開始した。
横浜は明治7年から測量が始まり明治11年に完了し明治14年に横浜実測図が刊行された。
この横浜実測図は横浜市立図書館にある。私が利用したのは中央図書館。書架にあって誰でもすぐに利用できるけど、貸出禁止の上に、四人掛けの図書館の机いっぱいくらいの大きさだ。
てきとーに部分コピーして家でにらめっこ。

ああこれだ。B.M.〇〇〇〇という数字と高低几号標が書き込まれている。
象の鼻と弁天橋にもあったんだな。
この測量のために通行止めの県布達があったようだから地図にも明確に記されている。

本牧の妙香寺さまのは、もしかして入口の君が代由緒地の碑のあたりにあった?


山田坂の石仏さまとこのは、もしかして坂の上ではなく中村橋のたもとにあった??

でもここのあるのは見当がつかないなぁ。
石崎川は今でもある。そして今でも同じ道が存在してれば探索可能かもしれないけど。。
いやはやいやはやこの状態から探し出すのだからたいしたものだ!!!
やはり私は先達のあとをたどるしかないのですm(_ _)m

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「几号水準点」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事