日本初の公園というと我も我もで色々と上がってくるけれど、公園という概念は開国してから海外から持ち込まれた。
日本初の公園は横浜の山手公園。
明治3年に開園した。
開国した日本に来た外国人は定められた各地の居留地に暮らした。
が、行先を問われて目的を明確に答えねば道を堂々と歩けぬ縛りでずっと暮らしてきた日本人と、そうでない外国人の根本的な違いのひとつに行楽というものがあった。日本人は行楽とてお参りとかいう名目がないと動けなかった。
そんな日本人と来日した外国人との不幸な接触が生麦事件だった。
自国の通りに暮らそうとする外国人側は、ピクニックに行くのにも命がけでは困ると当時の幕府側との度重なる折衝を重ねた。そうして明治政府が許可を出して横浜山手居留地の外国人たちによって出来た公園が日本初の公園の山手公園。
ただし、この公園は西洋人専用公園だったために、日本初とはしないという向きもある。
ま。
中華街から前田橋を渡れば元町百段。



山手の外国御用達商店街だった元町から商人たちは元町百段と呼ばれた階段で品物を担ぎ上げた。
今は階段は存在せず突き当り。

といっても地形が変わってるわけではないので、今でも洋館の残る山手本通りに行くには、車であれ徒歩であれなんであれ急坂を上ることに変わりはない。






山手本通りのカトリック山手教会。


山手教会の横を下りていけば山手公園。









今は水仙が花盛り。

公園の管理事務所は、移築再利用されてる旧山手68番館。関東大震災後に建てられた外国人向け賃貸住宅だった昭和9年の建物。

この公園は日本のテニス発祥の地でもある。


コロナ禍になってからというもの、私は公園のありがたみを感じている。
そうして、そうなのだ、疫病下の緊急事態宣言下では誰もが隔離された居留地に暮らしているようなものなのだなぁ。

影がのびる。
月は正中か。


坂の途中でパンを買って帰る。

