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余りにも日本的な

2013年12月26日 | 政治 経済 社会 憲法
今日のニュースを見て驚いた
阿倍首相が靖国神社参拝!
2006年小泉首相以来 7年ぶりという
内閣総理大臣 阿倍晋三と献花・記帳し、私的参拝とは腑に落ちない。
「国のために命をささげた方々に 尊崇の念を表することは当然」と繰り返し言っている。
一見、尤もと考えたくなるが、中国・韓国がこれほど神経をとがらせている中で、
何とも自己中心的な言い訳に聞こえてしょうがない。

実際に靖国神社に行ってみれば分かる。
戦争を美化し、大東亜戦争とか、英霊(み霊)とか,「お国のために命を捧げた・・」とか 時代錯誤的な言葉が使われる。
一番の問題は、戦勝国アメリカ主導の連合国による極東国際軍事裁判(東京裁判)で、
「A級戦犯」として東条首相ら14人全員有罪、最初に7人が絞首刑となったが、この7人が1978年宮司の独断で?合祀されていること。
この事実に対するはっきりした見解無しに、東京裁判を受け入れ、1951年サンフランシスコ講和条約で独立を回復させたこと(是非はともかく国際公約:契約)を無視し、歴史の針を巻き戻すかのような 行為ではないか。(アメリカの神経をも逆なで?)
韓国が、すでに国家間の賠償問題として完了しているはずの「慰安婦問題」を蒸し返しているのと同じではないか。
なぜ、首相だけでなく、国会議員がこれほどまでに、靖国参拝にこだわるのだろうか?
背後には、右翼に限らず、根強い国民的な誇り、偏狭な愛国心の勢力が圧力をかけているとも言われる。
そう思わないことには合点がいかない。
評論家が「人気取りだとしたら遅きに失した」とコメントしているが、果たしてこの参拝を期待している人がどれほどいるのだろうか。もしかしたら、意外に多いのかも知れない、と心配になってくる。(維新の橋本代表、松井府知事も参拝を擁護したコメントを発している)

余りにも、単純な”日本的な心情”のように感じられる。

靖国神社の本質は、政権と朝廷(天皇制)のために戦死した英霊を、”祭神”として祀るものだろう。
当時の主流派に抵抗した、西郷隆盛やら戊辰戦争での朝敵(会津藩など)は除外されている。
為政者が利用した宗教機関ではないか。政教分離に反し、小泉首相の参拝でも、違憲判決が出ている。
たとえ、私的参拝といっても、極めて政治的、意図的なパーフォナンスだ。

世界の潮流は、もっと広い視点に向けられている。
(米国)アーリントン国立墓地:南北戦争から第1次・第2次大戦、ベトナム戦争、テロ犠牲者など、国内だけでなく多国籍、 あらゆる宗教・に亘り埋葬を許容された無宗教慰霊碑(2007年阿倍首相も献花)
 ここには無名戦士の墓もあり、よく日本の千鳥ケ淵戦没者墓苑と同等視されるが、千鳥ケ淵墓苑が政府派遣遺骨収集隊に よって集骨された遺骨の内、引き取り手のないものなどの遺骨を納めた「納骨堂」であるのに対し、この無名戦士の墓は 各戦役で名前のわからない戦没戦士の遺体を一体だけ選び、その遺体を全無名戦士の遺体の代表として祀っている。
        
 米)アーリントン墓地    墓地内の無名戦士の墓 
(独)戦没者記念碑:ドイツ戦死者だけでなく他国の戦死者も含む
(仏)凱旋門の下に炎を絶やさない「無名戦士の墓」:それまでの貴族将校さけでなくすべての戦死者
      
   仏パリ)凱旋門の無名戦士の墓
先月、日本に来たアメリカの高官も、
靖国神社では無く、「千鳥が淵戦没者墓苑」に献花したとあった。
オバマ政権の抗議の意味ではないか、というコメントがあった
ホロコースト(ユダヤ系迫害)の監視団体も「倫理的でない」と批判しているとの記事もある。

この政権の暴走には、危うい予感がしてくる。

*主要国の反応も、予想通り厳しい!
その中で、駐日大使の記事は論理的で、国際的にも説得力があると思える。
阿倍首相の「丁寧に説明する」は、このように論理的でなく、いつも失望する。
程永華 駐日大使の批判記事の要旨:
  「日本に自らの死生観、宗教観があるのはいいが、指導者がA級戦犯を含む”英霊”を参拝する理由にはならない。
   ドイツが、ヒトラーをはじめとする戦争狂が死で罪を贖ったからと墓を建て、参拝しただろうか」
  「中国は、一貫して日本の軍国主義と日本人民とを区別し、戦犯と一般兵士を区別して考えている。
   日本人民も、甚大な災難に遭った中国人民と同じように、その害を深く受け、あの戦争の責任は一握りの軍国主義者が   負うべきだと考えている」
  「靖国神社での「不戦の誓い」というのは場所を間違えており、世界の良識ある人に強い反感と疑念を抱かせた」
  

ちょうど、W.チャーチルの「第二次世界大戦回顧録」を一気に読み終えたが
さすがに客観的な思考、本質を見抜くリーダー、ノーベル文学賞を受けた文才も光る。
その中で、
「現代文明の道徳原理は、戦争に敗れた国民指導者は、戦勝国によって死刑に処せられるべきであると定められているように思われる」と結んでいる。ある意味で、過酷な欧米の考え方か。
A級戦犯に対して、あいまいな説明・見識で済む話ではない、と思った次第。
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