I have a dream

国内外旅行、フィンランド生活、B級グルメ等日記。旧mixi倉庫代わり。2017以降馬関係は新ブログ(左下BM参照)へ

このブログの位置づけ

2004-05-14 02:40:08 | 雑記

●はじめに 

少年易老学難成

一寸光陰不可軽

 未覚池塘春草夢

階前梧葉已秋声

 小学校の卒業式の後、各クラスに回ってきた校長先生が唱えていった朱子の「偶成」の漢詩です。
特にこの校長先生と仲がよかったというわけでもない(名前も顔も覚えていない)ですが、
なぜかこの詩は頭に残っています。

 若い頃は、全ての世界が鮮明でした。自分の生きてきた時間、周りの世界、自分自身の気持ちなど
は鮮明に自分の頭の中に記憶されていて、いつでも引き出して再構築が出来ました。
授業なども、ノートなどとらなくても頭に入りましたし、旅行記なども特に記録をととらずとも帰
宅後に会話内容や単価も含めて詳細に思い出せたものです。
20代前半までは、こんな状態が永遠に続くと、あの頃は思っていました。

あの頃、若さゆえの過ちで変に突っ張ったところがあって、日本人の典型とされたカメラをぶら
下げての旅行にムキに抵抗してました。敢えて写真も撮らない、記録も残さない、その瞬間を自分
の心のキャンパスに描き付けるのだ、と粋がってるみたいなところが。
記録を撮ることにエネルギーを割かれ、真摯さを失い、ライブのリアルタイムの空間に集中できな
くなることを恐れていたのかもしれません。
 

しかし、生老病死の四苦、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を加えた四苦八苦はほぼ全て
の人間に平等に訪れます。
30代も半ばに入いると、あれほど鮮明で鮮やかだった頭の中の世界は
徐々に鮮やかさを失い、色薄くなり、そして忘却の彼方へと消えて行きました。
人生でたった一度の、もう取り返しのつかない時間、その一瞬の記憶、感情。そうしたものも、
失われていきました。そうした自分が生きていたという証が失われていくのって辛いですよね…
自分がこうなるとは、思いもしませんでした。
若い頃、変に突っ張って記録を残してこなかったことを深く後悔しました。
かけがいの無い人生の、かけがいのない一瞬が、それによって失われ、無に帰すわけですから。
 

それを逍遥と甘受するようになることこそが、御仏の教えであるでしょう。
しかし煩悩にまみれた私としては、そうした御仏の域にはまだまだ修行が足りません。
様々なものに執着し、少しでもあがきたく思います。

老化による機能低下が全ての人間の運命ならば、人間には英知で以ってそれに抗い補う術があり
ます。幸いなことに人間の記憶の喪失の多くは、記録媒体である脳細胞自体の消滅ではなく、
それを引き出してくるニューロンの活動低下によるものだそうです。
従って、外部の記録媒体に情報を残しておくことで、一次的な補完ができます。
また人間の脳は優秀で、そうした個々の記録がトリガーとなって無数の関連した記録を引き出し
てくれます。なので、外部媒体に可能なだけ効率的且つアクセスしやすく情報を残し、
それをリゾーム的に結合させておけば、脳機能低減に対してかなりの予防になると思うのです。

このブログは、そうした外部記録媒体(チラシの裏)という位置づけであって、決して人様に読
んでもらうことを前提につくられているモノではないことを明記しておきたいと思います。
二度とないかけがいのない人生の中で、毎日凄いスピードで過ぎ去っていく様々な事象。
その無数の中から、奇跡に近い確率で偶然にも自分とご縁を持った様々な縁起。
そうしたご縁を一過性にせず、可能な限り繋ぎとめていく、そうした自分自身のための足掻きの
記録でもあります。
日々の外界の刺激による自分自身の感情、一期一会の馬君との出会い、
食との出会いによる新鮮な刺激、
見知らぬ旅行先での心の揺らぎ、そうした御縁を繋ぎとめるた
めの自分用備忘録ですが、ごらん頂いた方のお役にも立てるようなら幸いです。

 こんなものでもよろしければ、よろしくお付き合いお願いいたします。 

●ブログの名前の由来

 アメリカ公民権運動~ベトナム平和運動の歴史の中で凶弾に倒れた偉大な黒人指導者マーティン・
ルーサー・キング Jr牧師の有名な演説のフレーズからです。
1963年8月28日、ワシントンで20万人
以上を集めて行われたワシントン大行進、奴隷解放の父エイブラハム・リンカーンの記念会堂前

キング牧師は「I have a dream」を繰り返す名演説を行いました。
これはロバート・ケネディの演説などとともに歴史上の名演説
として語り継がれています。


私の場合は、彼ほど高邁な「夢」は持っていません。
ただ、一つ何とかかなえたい夢が・・・。

それはハーツクライでおいてきてしまったアスコットの忘れ物を獲ってくることです