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退屈しないように シニアの暮らし

ブログ巡り、パン作り、テニス、犬と遊ぶ、韓国、温泉、俳句、麻雀、木工、家庭菜園、散歩、卓球
さて何をしようか

幸福な世界

2015-03-11 07:28:59 | 韓で遊ぶ


返ってきた5000ウォン

私が2回目の韓国旅行をした時のことです。
ソウルのある百貨店で買い物を終え、いざ帰ろうという時、朝から曇っていた空から、とうとう雨粒が落ち始めました。私は雨が止むのをただ待っている訳にもいかず、ショッピングバッグを頭に載せて地下鉄の駅に向かって走りました。
「あ、、こんなことをしていたら間違いなく水に落ちたぬれねずみだ。」
地下鉄の駅は、とても遠く雨脚がとても強くなったと感じた時、土産物屋が見えました。私は水をぽたぽたと落としながら店の中に入って行きました。
「あら、すっかり濡れましたね、、、傘ですか。」
急な雨のせいで予定になかったお金を使うことになり、私は値段が一番安そうに見える傘を一つ選びました。
「これにします。いくらですか。」
「はい、それは10000ウォンです。」
傘の値段が思ったより高いので気が向かなかったのですが、どうしようもなく10000ウォンを出して傘を受け取りました。
雨は天に穴が開いたようにザァザァと打ち付けていました。そのひどい雨の中を抜けてやっと地下道の階段を降りようとした時、誰かが私を呼びました。
「あの、待ってください、おじさん、、おじさん。」
傘の店の店員のおねえさんでした。瞬間、不安な考えが頭をよぎりました。
「私が出したお金が偽札だったのか。でなければ傘の値段がもっと高いのか。」
「ふぅ、息が切れる。」
一体何事だろうか。緊張した私の前に立った彼女は、苦しい息を整えながら5000ウォン札を1枚差し出しました。
「このお金を受け取ってください。」
帳簿に記入しようと値段表を見たら、自分が売った傘が5000ウォンだということに気がついたということでした。
「外国の人みたいだったから見つけられなかったらどうしようかと心配しました。すみません。本当にすみません。」
彼女の下手な英語と私の下手な韓国語でその言葉を理解するには時間がかかりましたが、それは私が韓国を旅行した中で経験した一番美しい記憶として胸に残っています。
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幸福な世界

2015-03-10 06:29:32 | 韓で遊ぶ


かすかに写った写真

市場通りに金持ちとうわさされるポッチョムおばあさんが住んでいました。
市場で一番良い場所にある食料品店がおばあさんの店でした。ポッチョムおばあさんの店の前には、毎朝、頭に山菜を載せてきて売るネンイおばあさんの場所がありました。春の山菜を広げたらネンイおばあさんの一日の商売が始まります。
「さあ、新鮮な山菜だよ。」
夕方ごろになると市場に物を買いに来る人が多くなりましたが、物乞いをしようとする人も多くなりました。
ですが、ポッチョムおばあさんは、かわいそうな人たちが手を差し出すと大声でどなるだけで何もあげませんでした。
「若い者が、何をすることがないからと乞食をするのか。商売にならないからあっち行け。早く。」
ですが、ネンイおばあさんは違いました。食料品の店から追い出された乞食をそのまま帰すことはありませんでした。
「あれ、今日はこの餅だけだね。」
「へへ、ありがとうございます。おばあさん。」
稼ぎが芳しくない時は、仕方なく食べていた餅でも分けてあげました。
そんなある日、ポッチョムおばあさんの食料品店がざわめきました。記者が来て放送局のカメラがおばあさんを撮って、、、。
「このように大金を寄贈する特別な理由がありますか。」
記者の質問にポッチョムおばあさんが答えました。
「死んだら財産が何になりますか。」
「生涯、貯めたお金、3億を寄附」
次の日、新聞には大きな文字と一緒にポッチョムおばあさんが華やかに笑う写真が載っていました。人々が一人二人とポッチョムおばあさん周囲に押し寄せ始め市場はお祭りの雰囲気に包まれました。
その時、乞食の少年と障害者の青年が一人ぽつんと坐っているネンイおばあさんに近づいて来ました。
「おばあさん、新聞におばあさんの顔が出たよ。」
「私の顔が。」
「はい。ここ、見てください。ここ。」
少年が指差したところには、大きくはっきり写ったポッチョムおばあさんの写真の片隅にいる小さくかすかに写ったネンイおばあさんがいました。
誰も注目はしないけれど、ネンイおばあさんは写真の中でもお腹をすかせた子供たちに餅を分けてやっていました。おばあさんはにっこりと笑って言いました。
「お前たち、目が良いね。これのどこが私の写真だと、、、」
乞食たちには、ポッチャムおばあさんの大金よりもネンイおばあさんの餅一切れのほうが価値のある愛だったのでした。
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幸福な世界

2015-03-09 06:48:36 | 韓で遊ぶ


レンガ一個

私が初めて自家用車を持つようになった時のことです。
「ルンルン、、、いいな。」
貯金をはたいて、ローンを組んでやっと買った新車なので、私は口笛を吹いて、引っ掛けられないように傷がつかないように注意して町内を走り抜けていました。
その時、急に路地の曲がり角から腕白な子供たちが飛び出して来ました。
車はキッという音を出して急停車しました。
「フウ、10年寿命が縮んだ。」
私は反射的に速度を落として、無理に笑った顔で子供たちをやり過ごし、また運転しました。
その時でした。コンという音と共に何かが車にぶつかりました。
私は急いで車から降りました。
「何だ、これ。」
レンガ一個とへこんだドア、私はあきれて怒ってレンガが飛んできた方を見ました。そこには一人の少年が恐怖におびえたまま立っていました。
私はいきなりその少年の襟元をつかんで大声を上げました。
「何をするんだ。何で、石を投げる。」
恐怖におびえていた少年は涙を流して言いました。
「おじさん、ごめんなさい。だけど、がレンガを投げなかったら誰も車を止めてくれませんでした。」
少年は涙を拭きながら道の一方を指差しました。
そこには倒れた車椅子と一人の子供が道に倒れていました。
「僕の兄さんですが、車椅子から落ちてしまいました。」
少年の兄は、もし私が車を止めなかったら大きな事故になるところに倒れていたのでした。
「お、それは、大変なことになるところだった。」
私は驚いた気持ちを鎮めて、その子供を起こして車椅子に坐らせました。兄は丁寧にお礼を言いました。
「ありがとうございます。」
少年は良かったという風に兄の車椅子を調べました。
「兄さん大丈夫。」
そうやって私に恥ずかしい思いをさせた兄弟は、何回もお礼をした後、行きました。
その時から5年が経ちましたが、私は今もへこんだドアを修理していません。たとえ見苦しくてもその傷は、ハンドルを握る度に私に言います。あまりスピードを出して走ったら誰かが、また車を止めようとレンガを投げるかも知れないと。
おかげで私の車はおんぼろになったけれど、レンガ一個が、大きい事故を防ぎ5年間無事故のありがたい記録を作ってくれました。
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幸福な世界

2015-03-08 05:52:22 | 韓で遊ぶ


足拭きマットを掃う男

私はビルの森の片隅にある靴病院の院長です。経歴3年、いまや靴の形を見ただけで、その人の性格や健康状態、暮らしぶりまでわかるほどに熟練しました。
ですが、どんなに見てもさっぱりわからない人がいます。
毎日、同じ時間に地下道の入り口で足拭きマットの埃を払っていく男の人。彼は地下鉄公社の職員でも、清掃員でもありません。ですが、宝探しでもするように隅々においてある足拭きマットを探し出してはきれいに掃って置いて、時には水洗いも厭いませんでした。
誰かが彼を公務員だと言います。女学校の先生だと言う人もいました。
「誰にやれといわれた訳でもなく、お金を稼ぐ訳でもないのに彼はなぜあのように執着するのか。」
気になって我慢できない私は、彼に言葉をかけることにしました。
「おじさん、私が靴を磨いて差し上げます。」
ある日、私は、私の粗末な靴病院に彼を招待しました。彼の古い靴を磨いてやりたかったからです。いいえ、正直に言うと、彼が地下鉄の足拭きマットをきれいにする理由を知りたかったと言うところです。
「ところで、おじさん、私、気になる事があるんですが、訊いてもいいですか。」
どうして足拭きマットを掃って歩くのか、と言う私の質問に、彼はしばらく間を置いてから、その訳を話しました。軍に服役中のことだと言いました。
彼は休暇で出てくるたびに、地下鉄の足拭きマットの片隅を切り出しました。そのざらざらした面で軍靴を磨くとよく光るからです。はじめは酒に酔って、いたずら半分、好奇心半分でやったことでしたが、除隊する頃には治すことのできない癖になってしまいました。除隊した後、彼は小学校の先生になりました。ですが教壇に立って、正しくあれ、正直にあれと教える度に、若かった頃のその事が恥ずかしく思え、子供たちの前で頭を上げることができなかったと言うことです。
彼は話をして照れくさそうな表情で言いました。
「これは、私が君に変な話をしたものだ。」
足拭きマットを掃うことは良心についた垢を掃う懺悔だと言って、彼は良く乾いた足拭きマットを持って地下道に下りて行きました。世の中にもっと大きな罪を犯しても、塵ほどの罪責感もなく生きている人たちが数え切れないほど多いのですが。
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幸福な世界

2015-03-07 06:02:28 | 韓で遊ぶ


つぶれた万年筆

ある有名な作家がドイツを旅行した時でした。彼は公園で自分を知っている人たちに会いサインをしてあげました。
「先生、遅くなりました。急いで下さい。」
少年の順番が来た時、待機していた自動車が来て彼に催促しました。そのため急いで行こうとした作家は万年筆を落としてしまいました。
「あら、万年筆を落としたみたい。」
少年は万年筆を拾って作家のほうにかけていきました。
「先生、万年筆。」
作家は少年を見ましたが、このまま行きなさいというように手を振り、行ってしまいました。
それから何ヶ月か後、作家はドイツから来た小包を受け取りました。
つぶれた万年筆と手紙が入っている箱でした。
「私は公園で偶然に先生の万年筆を拾った子供の父親です。子供は万年筆を拾った日から先生の住所を調べようと努力しました。」
それはまだ13歳にしかならない少年には簡単な事ではなかったのですが、少年は万年筆を持ち主に返してやらなければとあきらめませんでした。そんなある日、少年は作家の文章の載った新聞を見て新聞社をたずねて住所を知りました。
「その時の喜んでいた息子の姿が目にありありと浮かびます。ですが、先生、郵便局に行って万年筆を送ってくると行った息子は、もう帰ってくることはできませんでした。
あまりにもうれしい気持ちで走って行き、近づいてくる自動車に気がつかなかったのです。息子の手にしっかりと握り締めていた万年筆だけが私のところに帰って来ました。私は、たとえつぶれてしまいましたが、この万年筆は先生に返そうと思いました。何よりも私の息子がそれを切実に願ったからです。」
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幸福な世界

2015-03-06 06:34:43 | 韓で遊ぶ


不思議なラーメンの箱

高校を卒業した年、私はリュック一つをしっかりと背負って、何の考えもなく上京しました。
「あの、、、仕事を探しているのですが。」
「仕事はないよ。」
田舎者のみすぼらしい姿で仕事を探してさまよいましたが、行く先々で、年が若い、技術がない、あれやこれやの理由で門前払いでした。
そうやって12回をこえるぐらい失敗した後、お腹が空き、喉が渇いて、手一つ動かすことができないくらい力尽きて座り込んでいた時、小さな印刷所の求人広告が目につきました。
「できるかな。だめだろう、きっと。でも、行ってみよう。」
わらをもつかむ思いで、最後に残った力を振り絞って印刷所を訪ねて行きました。
「あの、、求人を見たのですが、、。」
「そんなに弱っていて何をするって。」
私の姿を見て、仕事をするにも何をするにもまず気力をつけなければと、ご飯を食べさせてくれた印刷所の主人のおじさん。彼は殺伐としたソウルで私が初めて会った天使でした。
私は印刷所の床に発泡スチロールを敷いて、食べて、寝て、仕事を学びました。失敗をしてつらい時も多かったのですが、歯を食いしばって耐えました。
そして一ヶ月過ぎて、初月給をもらうことになりました。そんなに多くもなかったのですが、私の人生で初めて自分の手で稼いだお金であり、感慨無量でした。
私は手元にラーメン一箱のお金だけを残して残りのお金は貯金しました。
固定不変の夕食のメニューはラーメン。
私はお腹が空くと貯金通帳を取り出しました。通帳に増えていくお金を見ると、ラーメンだけを食べる日々も幸福でした。
そうやって何日か過ぎました。だからといって夕食を食べない訳にはいかないので、その日も箱からラーメンが一つ減りました。
不思議なことがその次の日に起こりました。
「あれ、おかしいな。」
一つだけ残っているはずのラーメンが二つだったのです。
次の日も、その次の日もラーメンは減らなかったのでした。
秘密の鍵は主人のおじさんの手にありました。
「パク君、あの角のビルあるだろ。これをそこの管理室まで持って行ってくれ。」
おじさんは、夕方にわざと使いに行かせ、私がいないうちに箱にラーメンを補って入れているのでした。
貧乏な苦学生の自尊心が傷つかないように配慮して、こっそりやっていたことでした。その深い愛と魔法の箱の中のラーメンがあり、私の若い頃はみすぼらしくも貧しくはありませんでした。
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幸福な世界

2015-03-05 06:19:59 | 韓で遊ぶ


1006個のコイン

坂が急な町内、その坂の一番上の家には貧しい人が住んでいました。
社会福祉士の私が、その粗末な戸を叩いた時、家の中から出てきた人は、火傷で顔が半分ゆがんでいる女の人でした。
私はしばし当惑しましたが、気持ちを取り直して中に入って行きました。2坪ぐらいあるでしょうか。臭くて狭い部屋には彼女と幼い娘が暮らしていました。
「幼い頃に家が火事になりました。父と私だけがやっと助かりました。」
火事の後、傷だらけになった父親は、酒で月日を送り、ややもすると殴ったといいます。
「うあう、、、」
失望に陥った彼女は、そんな父親を見て本当によく泣きました。
彼女の苦しみを抱えてくれたのは、目の見えない夫でした。ですが幸福は、長くは続きませんでした。夫が亡くなって生計が苦しくなったところに火傷を負った顔でできることといえば物乞いだけでした。
悲しい人、、、相談をしいている間、彼女はとめどなく涙を流しました。生活保証金が出るので少しだけ待ってください、という言葉を残して帰ろうとしたら、彼女は、たんすの奥から何かを取り出し私に渡しました。それは意外にもコインがいっぱい入った袋でした。
「自分に約束をしたことがあります。物乞いをして1000ウォン札を貰ったら生活費に使って、500ウォン貨を貰ったら視力を失っていく娘の手術費の使う、100ウォン貨を貰ったら自分よりも苦しく暮らす人を助けるために使おうと、、、いいことに使ってください。」
そのお金を受け取ってくれると気持ちが楽になる、という言葉に仕方なくそのコインの袋を貰って帰りました。袋の中には全部で1006枚の100ウォン貨が入っていました。
1006枚の垢のついたコイン。それは金持ちの億万のお金よりも尊いお金だったのでした。
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幸福な世界

2015-03-04 06:29:18 | 韓で遊ぶ


感謝を描く

私は学校を卒業して小さな洋服店を始めました。
世の中に向かって踏み出す第一歩でした。他の誰よりもうまくやりたいという欲で、いつも早く店を開け、そして遅くまで仕事をしました。
その日も夜が明けるなり出て、店を開こうとしたら店の前に財布が落ちていました。
見た目にも分厚い財布には、たくさんのお金が入っていました。
「あれまあ、、」
これ幸いとそのまま持っているのも良心が許さず、私は持ち主を探すことにしました。
しばらくして、一人の女子学生が蒼白な顔をして訪ねてきました。
「あの、財布を捜しに来ましたが。」
「お、あなたのだったの。でも、またどうして、、、」
財布を受け取った女学生は、経緯を聞く間もなく、ありがとうと言う言葉一言だけを残して走るように行ってしまいました。お返しを期待した訳ではないのですが、寂しい気持ちがしました。
そのことがあって一ヶ月ぐらいたった頃でしょうか。私はびっくり驚きました。
どんよりとしてうす暗いシャッターに華やかな春の風景が描かれていたのです。すごく驚いてあたりを見回して見ると、戸の隙間に紙がはさんでありました。
「ありがたい方に、一ヶ月前に財布を拾ったでしょう。私はその財布の持ち主の弟です。姉は、その時、お金をなくしてしまってすごく泣いて、失神するぐらいの心境でした。そのお金は姉がアルバイトをし、苦労をして貯めた大学の入学金だったのです。財布を見つけてくれた人に、ありがとうという挨拶もちゃんとできなかったと心配した姉のために、そして、ありがたい人のために、私ができることはこれぐらいしかありません。」
ですが、それだけではありませんでした。ある日には粗雑なセールの広告が洗練された文字に変わっていましたし、夏が来れば涼しげな夏の風景が、秋が来れば秋の風景が、まるで魔術のように店の前を彩りました。
私はその優しい弟に一度会ってみたいと思いました。どうか一度来てくれというメモを張って、夜遅くまで待ってみたりもしましたが、彼は現れませんでした。
そうやって3年という歳月が流れ、私は店を知っている後輩に譲り結婚をしました。
ですが、ある日その後輩が大騒ぎで電話をかけてきました。
今年も変わることなく店の前に夏が来たということでした。
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幸福な世界

2015-03-03 05:40:42 | 韓で遊ぶ


弁当の中の髪の毛

皆が貧しく生きていた頃、弁当一つを持って通うことも苦しい学生が多かった頃のことでした。隣の席の友達がそうでした。おかずはいつも黒豆の煮付け一つだけ。ソーセージとお日様のような玉子焼きがのっている私の弁当とは本当に違っていました。その上、友達の弁当には、よく髪の毛が入っていて、それを気にしないで除けた後ご飯を食べていました。そんな不潔なことが毎日繰り返されました。
「お母さんがどれだけ汚れていたら毎日髪の毛が入るのかな。」
友達の自尊心を思って表には出さなかったけれど、不潔で不快でその友達に対するイメージが曇って行きました。
そんなある日、放課後にその友達が私を呼び止めました。
「用がなかったら家に行って遊ぼう。」
気の向かないことでしたが、同じ組になった後、初めて家に行こうという友達の提案を断ることができませんでした。
友達について行った所は、ソウルでも一番急な坂の町内でした。古い家の門を開けて入って行きながら、友達は大きな声で叫びました。
「母さん、友達が来たよ。」
友達のウキウキした声に、きしむ部屋の戸を開けて年老いた母親が姿を見せました。
「あれまあ、友達が来たって。どれどれ。」
ですが部屋から姿を見せた母親は柱につかまってきょろきょろするだけ、目の見えない人でした。
私は瞬間、鼻がうずうずして言葉が出ませんでした。
彼の弁当のおかずは今日も黒豆の煮付けです。ですが目の見えない母親が手探りで作ってくれた弁当。それはご飯ではなく愛だったのでした。その中に混じった髪の毛さえもです。
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幸福な世界

2015-03-02 05:32:19 | 韓で遊ぶ


黒い風船

アメリカのデトロイトの小さな町で一人の風船売りが風船を売っていました。
お得意様の客は当然、町の中の子供たちでした。ですが、子供たちは遊ぶことに夢中で風船のようなものは眼中にも無いように見えました。
商売の腕がとてもいい風船売りは、子供たちの関心を買うために赤い風船を空に放しました。
「お。風船だ。」
「捕まえろ。捕まえろ。」
子供たちがその風船を捕まえようと、どっと押し寄せてきました。
「お、、、、お、、、、」
空に飛んでいった風船は、子供たちの視線を一気に集中させる効果を発揮しました。
風船をとり逃した子供たちが押し寄せて来て取り囲み、面白くなった風船売りは、青い風船、黄色い風船、白い風船を一つずつ飛ばしてやりました。順に飛んでいく風船は、広い空に高く高くあがって行きました。
「わ、神様の国まで行ったみたいだ。」
そして風船は、黒い点に変わって消えていきました。
風船は飛ぶように売れました。
「おじさん、風船ちょうだい。」
「私も。」
「私も。」
近くにいた子供たちが皆一つずつ買っていった後、さっきからじっとその光景を眺めていた黒人の子供が風船売りに近づいてきました。
「あの、、おじさん、ひとつ気になることがあるんだけど。」
「そうか。何だい。」
黒人の子はいろいろな風船の横にある黒い風船を指差して言いました。
「おじさんが、もしこの黒い風船を飛ばしたら、これも他の風船と同じ様に高く飛ぶことができるの。」
風船売りはじっくり考えた後、言葉もなく肯きました。そしてしっかり結んでいた黒い風船を全部、解き放しました。
解かれた黒い色の風船がいっせいに空に飛んで行き始めました。
少年は、黒い風船が他の風船と同じ様に飛んで行って点になって消えるまで目を離すことができませんでした。
風船売りが少年の肩を抱いて言いました。
「風船が空へ飛ぶのは色ではなく、その中に入っている物せいなんだ。」
「あ、はい、、、へへ」
瞬間、子供の表情が明るくなりました。風船売りの知恵が子供の不安まで皆一緒に飛ばしたのでした。
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