花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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北海道で生きるという事

2023年10月24日 | 日記
北海道で55年も過ごすと
   さすがに、、天候の厳しさは
      本州の山岳並みの、、、冬将軍ですね

昭和44年、、、
   留萌の病院の、、
     おんぼろの寮から、、
    私の、、、冬が始まった。



     なんとなく、、、北海道に嫁いできたのは
      舗装の無い道を、、馬車が、、人間を乗せて歩いていた、、、
    札幌へ 避け切れない用事があった。


  6月の、、北海道は、、大自然と、、田舎の街が、、、のどかに、、似合っていた。

時計台は、、、なんとなく、、、別の文化を噛んいさせてくれた。

     成り行き上、、、札幌に嫁いだつもりだった。

   

   

毎日、、、少しづつ、、庭木を剪定して、、

    紐で、枝折れしない様に、、束ねてゆく。

   行儀悪く、、侵略的に伸びた枝は
     「御隣に喧嘩を売ってはダメですよ、、、と

        言って聞かせてから切り落とす。

   植物は、、動きが遅いから、、気が付かないようですが

    戦国時代の武将や、、戦略家と、、、違わない行動で

      しっかりと、、自分の陣地をつくり上げて、、、
           仲間を配置してゆく。

           

  山歩きが好きだったころ、、
           拾ってきた実とか、、
            種を撒いておくと

   野草の庭が出来る。
      山野草の庭には、、鳥もやってくる。
        見たことのない植物が生えてくる時がある、、、
              多分、、鳥の、、送り物でしょうね。


     あでやかな、園芸物のユリなどは、、、

            戴いたものが、、、ほとんどである。

    何十年も、、毎年花が咲いては、、立枯れる。

           

   富士山のふもとの
    「青木が原の植物探索会の時」

      許可された植物の枝を採取してきて

         「メネディール」という化学物質の助けを借りると

           根が出て来た。

       ウラシマソウなどは、、、
          毎年、、おかしな形の花を咲かせ

      今頃は、、赤い実が、取り巻くボールのような大樹奈実の塊が出現している。

             

     櫻の木の隣に、、、
        巨大な松が出現して、桜は枯れてしまった。

     枯れた木を 庭に、小さな欠片にして、、、
           そのままにしてておくと

                  面白い事になる。

     マーケットで買ってきた、、
          シイタケとか、、
               シメジとか、、
                    マイタケを

     根っこの方は、、、香りが良くても、、、
           かなり切り落としてしまい
                さらにみじん切りにして、、、
                    まぜこぜにして、、、
                      枯れ木の傍に蒔いておくと

     シイタケのような香りがする、、キノコの芝生が出来る。

      絶対に、、食べるという事はしませんが、、、

        私は、、
      「シイタケモドキ」「シメジtけモドキ」「マイタケモドキ」

      勝手に名前を付けて、、、楽しんできた。

      この子らはかわいいが、、、
               私には、、
          有毒なのか・、、無毒なのか?
                     見分ける力が無いので

      もっぱら,
     、森の小人達のように、、可愛がっているだけですがね、、、

           

      この季節になると、、、消えてしまうんですよ、、、

         北大の植物園の助手さんをしていた頃の、、、吉田先生が

      聴講生の生徒の私が
           キノコの質問ばかりするもんだから、、、

          「喰えるキノコを、、あげるからさ、、、
              食えるキノコに、、興味をもってだよ、、、
                 料理してみたらどうかな??」

      アミガサ竹をくれたことが有った。

         せっかくのキノコだからと、、、木くずを大量に混ぜた土に
             さしておいたら、、、毎年、、あみがさタケが庭に出現したので

              観察していたが、、、食べる気には,、ならなかったね。 

         吉田先生に、、成都の生薬市場から勝て来た、
          田七人参だといって、、、庭に植えたといったら

             発芽したら,、観に行くといって、、
             ダンナが居るときに、、やってきて、、、
             ダンナとしばらく話していたが、、
             二人で、、発芽した「田七人参を見に来た。」
          「こりゃ、、タイヘン❣!、、、アメリカ人人だ!!」

              ともかく育ててみておいて、、写真撮っておいてよ、、」

          嬉しそうに、、、アメリカニンジンが、、、成都にあるわけない!!


            摩訶不思議だと言いたげに、、、帰って行った。

           40歳の頃ですから、、、40年近く前の話ですが

            前の家に住んでいた人の犬が、、放し飼いをするので

           我が家の庭に入って来て、、、掘り起こして、、食べてしまったのですよね。

           イヌの嗅覚ってすごいですよね?

            アメリカニンジンというのは、、、眉唾物ですが、、、

            私は、貴重な田七人参だったと思っています。

           前の住人は、、コロコロ変わり、、、最後のひとが、、出ていった後

           お兄寺頃に立ったミサワホームですが、、、
    
            北海道の地震で傾いてしまい、、、

           その前には、、、軒先が長い家だったので

             雪庇が凍結して、、重さで野木が破損して垂れ下がっていて、

           大家さんに直してといっているんだが、、、 毎年ぼやいているうちに

          地震で家が傾いてしまい、、、

          斜めになって、変な気持ちだとか言って、、

             出て行ってしまいました。
           ミサワホームは、南極探検の時、、、

           南極に、プレハブの宿舎を建てた
           最先端のパネル工法を始めた会社なのに

          買ってからは、、、屋根だけでも4回ふきなおして

             出費ばかり、、、

          北海道のミサワのヂーラーの大工さんは

          一枚と端の切れ目のない屋根を、ぶつ切りのつぎはぎだらけに治したものだから

          120万円とか、、、70万円とか、、、
         毎年ふきなおしても、、スガ漏れがひどくなり

         最後には、、屋根の形を変えてしまって、、
         床の抜けたところを直したのですが

          水道が、、使えないのですよね、、、

         水洗トイレが、、マスにつながってないとか、、、

           家の建て方が、、めちゃくちゃな、、、形だけの家を買ってしまい、、

         未だに、、物置や、、アトリエにして、、、トイレは母屋に帰って使うという

          、一人前の固定資産税を払い続けているのですよね。

        大工さんは、、本職の方ではなくて
          美大を出た、、穏やかなインテリの,良い方でしたが

             修理メンテナンスをするという事の面では、、、
         形は良くても、、見せかけ岳で

       機能的なものを修理できない方でしたので、、、

         しょっちゅう来てくれても、、、何も修理がされないという、、

            北海道の職人さんは50年前は、、、
          素人さんのような方が

           若い30代の購買者の所には廻ってきていて、、、

          結局、、、スガ漏れが治らないまま

            洗面所と風呂場の床が、、抜けて、、修理したのですが

           またブヨブヨと,、、しなって、、抜けそうです。

          敷物をめくってみると、、、

           畳の下などは、、床になっていなくて

         古い木を組み合わせただけの上に、畳を敷いているという、、、

         ビックリ工法、、ですよね。

         やはり、、家を建てるのなら、、、

            北海道の厳しい雪の怖さを知っている業者さん

       建てた家が、、北海道の冬の生活に耐えれるという
                 雪の重さ、、、雪庇、、清漏れのしない家が
             設計段階で出来る業者さんに頼むといいですね、

          ミサワホームは、材料のパネルだけは、本社で、業者に対しての責任を負うもので

          パネル契約で建てた業者は、、北海道ミサワ、、と名乗っており

            初めての冬のはすでに、、、ベランダ窓の前のコンクリートのたたきが
           凍った雪庇や雪の凍った巨大な塊で

              ボロボロに砕け地位ているんです。

              2畳ほどの、、鉄筋麻はいっていない、、、たたきは

            買ってから一冬越さないうちに、、、がれきの破片になった。

          玄関間を理のおしゃれなタイルも、、、剥がしてしまった。

           北海道は、、本州のように、、壁をつくらないですね。

             壁の上に、、区の枠を組んで、、ネットを張り

             行き成り壁に、、モルタルを塗るという工法はしていませんね。

           ミサワホームは,、壁身いきなりモルタルを塗るから、、

             皹だらけになり、、、
            日々は入った上から、、モルタルで修理するから、、

            ほっかいどうの地震で、、、

           畳一畳は優にあるという、、、巨大なモルタルの壁が落下してきて

            怪我をするところでしたね。

          三沢に来てもらったら、、、「上から、鉄板を張るというので、、、

          信じられない修理方法なので、、、今回は

          ネットで、、サイディングの「免許を取得している大工さん」を見つけて

          もrたるを全部剥がして、、、スガ漏れで腐った下地の木も取り換えて
           我見だけは、、危険が無いように、、、

          札幌市の地震対策の補助金が来るはずだったので

               250万円かけて、、、、モルタルの外壁をはがして
           サイディングにしました。

            これで、、ご近所のサッカー少年も

            ボールが飛び込んだ庭で、、、壁が落ちてくるような危険は防げたので

            あとは、、札幌市の地震対策の補助金で支払うからと、、。

          何か月か経過して、、、一定の収入のある人の補助金は、、
           60万円以上支払いは有りませんという、、封書が来て、、、

            200万円尾出費に、、一瞬、、どうしよう、、か?

           こまりましたね。

           一旦キマッテ、、補助の連絡が来たあと。…取り消しの連絡が来るのは、、、

           役所も、、後後、、、細かい規定を、、決めたん出ようね。

          壊すか、、、治すか、、迷っていた時に、、、

           補助金が貰えるのならと、、、甘えてしまうのが、、国民ンであるのだと、、、

          北海道の、、、緩慢な、、補助金の決まり方、、、制度の撤回、、、

         工事の終ってからの、、支払いの減額、、、

            ほっかいどうだから、、通用するけど、、、

           東京や、、関西だったら、、、一悶着ありそうな、、、
           そこは北海道の、、、人情のゆったりした政治が通用するという、、、

           馬車並みの、、、のんきな進行に、、、私たちも、、、
            補助金い依存したという、、、いつの間にか、、、北海道人になっていたんですね。

            60万円ですが、、、値引きしていただいたのと同じですから

          貴重な、、地震対策で、、、持ちだしは190万円医なりましたが

         三沢ホームの外見だけは、、、新築になりました。

             北海ど~の、、、ゆったりとした、、、短期ローンで、、、OKですね。

          30歳の頃、、、この家を買ったときは、、嬉しかったですね。

           北海道の冬の為に、、、

             北海道の住宅産業は
              「クレーム産業と呼ばれていた。」。。。と知ったのは
            昭和55年ごろでしたね。

        ほっかいどうで生きるという事は、、、家選びも、、、冬のすごさを考えて

            雪や、雪庇や、、落屑や、、、氷塊になった雪が
          命さえ奪うという事を考えて

            建てる業者も、、取り締まる市役所も、、、

            経験豊かな、、北国の事故を知り尽くした、、、
            危機管理の精通したアドバイサーが

     雪の降らない所から来た業者に、、目を光らせないと、、、

           上下水道も。。庭でちょん切れの、、家が、、
             売られた時代が

             昭和44年~55年の不動産業界ですね。
           欠陥住宅を買うと、、一生お荷物で、、、

           税金はふっつうにかかってきますので、、、

            ほっかいどうの
              雪の怖さを
                 知り尽くした業者を、、
                       選ぶことをお勧めしますね。

            若かったから、、お金も無かったから、、、提携ローンで
          利率が9パーセントの20年ローンで買いました。

         買ったために、、一生、、、出費を繰り返すので、、

          治すのなら、、、新築するぐらい、出費だと、、覚悟せねばなりません。

             売れないから、、、格安でないと、、売れません。

        「 とのこ」の着いたまま、、、
              5年ぐらいは、、何とか、、だましだまし、、使えましたね。

         京壁と称する壁は、、、
                包装紙のような薄い、、
                    ゴム状の砂模様の紙の壁紙が張って有り、、

                        めくれてきています。

       北海道で生きるという事は、、、

         本州で通用しなかった業者さんが、、
               当時は、、見よう見まねで

           ネイムバリュウのある、、ミサワのパネルを買って

          「ミサワホームと称して、、組み立てていたのでしょうね、、」

           一人の大工さんと話しているうちに

             「僕は、、国文科出ているんですよ、、、」だって。。。!

        無責任この上ない、、修理で、、 家ひとつにしても

          選ぶ目の無かった若い頃は、、、
            一生金食い虫の家を買ってしまって

           売る事も、、貸すことも出来なくて、、、

         使わなくなった子供の机など、、大型家具の倉庫になっていますが

           愛しくて、、この家がいとしくて、、毎日行っては、、
         本を読んだり、、、、音を消して、、、オルガンを弾きに行ったり

         絵を描いたり、、、気分転換のスペースに使っていますが

          使っても良いお金が有ったら、、、
             朝日の入る、、別荘に出来る良い所ですね。

          電気だけは付きますが、、
           上下指の水道も、、、下水もが使えないのが、、、ね。

         査定をしてもらったら、、、650万円とか言われてしまい、、

          高級な車庫並みの値段になっています。

        「 庭が楽しいので」、、売る気にはならなかったのですが、、、

           リホームしないと、、使えませんね、、、

           大自然が、、慰めてくれる代わりに、、
                    冬が、、、恐ろしい、、、。

           北海道は、、優れた所と、、
          素人並みの所が、、
       入り混じってい居た時代でしたね。

       本州から、、人が来て、、、
            大都会になってきてからは
        私のような、、、家を買ったがために、、、出費ばかりという
           そのような、、、
              無知な大工さんは居なくなり
              いろいろな素晴らしい家が、、
                  だんだん、、
                     、時代とともに

                素敵になってきていますね。

              55年前は、、北海道で生きるという事は、、、

              何でも自分でしないと、、、
              誰も、助け舟を出してくれない所でしたね。

            何処の家も、、女性が雪を掻き
           女性は無くてはならない、、、
          働き手の時代でしたね。



         お友達は、、庭の木だけ。


         ダンナさんの精神も、、、

         本州の男性とは違って
          厳しい北海道の気候の中で、、
               自分が活きるだけで、、せいいぱいでしたね。

           吹雪の日などは、、目だけ出して、、
            雪だるまになりながら
           出勤してゆきました。

          火事で、、、バリバリと、、何かが燃える音が

                 強烈なまでにしてきたときも、、、

                 ダンナは、、自分尾荷物だけ持って、、、すっ飛んで逃げてゆきましたね。
            自分だけが、、逃げていったという

          北海道の、、自分の事は自分だけがたよりという、、

         登山の時と、、同じ根性で、、、
          暗黙のルールが、、、
           危険な時は、、自分だけのことを考えて、、命を守れ!!

              夫婦と言っても、、ダンナさんは、、患者さんの時間で動くので

             北海道の暮らしは、、誕生日は孫を囲んで孫の誕生日に、、
            自分は、、還暦も、、喜寿も、、誕生日も、、一切なかったですね。

            結婚と同時に、、、背中合わせの、、家づくりと、、

            冬の生活に無知の為に、、、流産はする、、

           初めての出産までは、、東京に逃げ帰り、、

            マタニティドレス、、2枚の一年間に、、
               母が絶大な、、サポートをしてくれましたね。

              北海道に、、4か月の赤ん坊を連れて帰った時も

               見送ってくれたのは、、母が一人いてくれたから、、
                  ありがとう敷かなかった。

              途と背についたときも、、、ダンナは手術の執刀中で

            空港には、、迎えてくれる人が居なかった。

            二間の、、風呂の無いアパートでの、、育児が始まった。

             6か月が過ぎるころになって、夏を迎えて、、、

             ダンナさんは、、、医師をすること以外に、、、

               自分は、、親になったのだと、、、ピンと来ている様だッタ。

              息子も、、旦那の顔が判るようになり、、、

                 泣いたり笑ったり、、、忙しく反応するようになると、、、

              旦那さんは、、病院い泊まりっきりで、、

                 土日しか帰って来なくなった。

              5年後に、、ダンナさんは
             北海道大学から「医学博士を戴きました。」

               30歳の中半でしたかね、、、

               大学の助手となって、、
            、月給も、、年金も積み立てられる、、一人前の出発です。

            「ダンナさんと、、初めて、、ダンナさん緒家を訪ねた時、、、」

           お姑さんから、、
           「息子は貴方にあげます。、、、未だ、3人を養って行かなくてはならないので、、
               あなたにあげられる者は。。。息子だけです。」

             戦後の苦労ばかりで、、、北海道の大學の、、
            卒業までの仕送りは、、ありがとうございました。

           ダンナさんは、、今までの貯金を全部、、母に渡して、、、

           それ以後は、、、一度も北海道にはいらっしゃいませんでした。

            戦後の復活期に、、、東京から、、北大に入った息子を、、
           下宿代勤、、《授業料》を送りつづっけるのは、、タイヘン蛙時代でした。

            ダンナさんのお母さんは、、

              3人尾息子を、、全員、大学を出すまでサポートしました。

               末っ子は、、東北大学の宇宙物理に合格して、、、日本航空に、、勤務しました。

              晩年は、、大学教授になり、、お母さん孝行をして、、

             医師になるという事は、、実家からも、、女房側からも,、公的にも

              多くのサポートを得て、、
           やっと一人の医師が、、、
         社会に還元できるのだと
         医師の家は、、医師を産むために、、

         多くの協力者、、サポーターが、支えている職業なんだと、、、

         北海道にキテミテ、、、思いっきりわかりましたね。

        独身で薬剤師を貫いた、、高校時代からの友人は

          「薬剤師になって、、結婚するなんて、、、しかも、、北海道に行くなんて、、

            あなたって、、、冒険家ね、、。
             あの、、ホテルの女将になるのなら、、まだわかるけど、、、

               雪の中で、子供育てるの、、タイヘンだったでしょう?

                 両親とも、雪国の体験が無いのに、、、北海道で住むなら、、、

                   北海道にしっかりと、、根を下ろした、、、北海道の安全を守ってくれる人でないと、、」

        彼女は、、ダンナが単身赴任で、、一人で孤軍奮闘しているとき

           行き成り、、家にやってきて、、心配で、、、来ちゃッタじゃないの、、」

             私が薬剤師に復帰したときも、、、

               すでに、、研究者として、、研究ナンバーと、、医学博士の方を取得していた彼女は

            学会の時に、宿泊中の宿にやってきて、、、朝まで、、

           「復帰が、、40歳なんて、、、あなたらしいところが、、感じられないわ」

           あれこれ、、薬剤師のすべきこれからのことぉ、、朝まで足得てくれました。」

             北海道に住むという事は、、、自分をやれないという事ですね・

                でも、、人生って、、自分が予期しない航路が用意されていて

                  どうなるのか、、行ってみよう、、、という人が

                    案外多い煮ではないでしょうかね??

                薬剤師でゴクシンという同級生は、、、、
           大学の教官いなった友人が目立途ますね。

          ネットで検索すると、、、論文が出てきますよね。

            私は、ムスコ2人、、孫三人、、、ダンナさんと、、、嫁さんとの御縁。

            ほっかいどうで、、ダンナさんはものすごく知人が多いですが

            私は、、井戸端会議の、、、おばさんと、、おじいさんたち。

            でも、、庭の草花、、君子欄のお世話、、、買い物、、結構忙しくって

          北で生きるという事は、、、冬がコワイだけで、、、

           自分では、、自分がやれなかったけど、、洗濯おばさんはやっているし、、

               2足のわらじは難しかったですね。

       警戒心が強くて、、未だに、、親友が出来ません。

         ダンナさんとも、、、子供が劇てからは、、すれ違いの時間が
              結構、、二人共の、、願ったりかなったりの、、自分流の時間割です。

         泊まりの日は、、、私が休みの日です。
           いつもは、、シャワーですが、、、風呂にゆっくりつかります。

         風呂の無い生活が何年も続いたせいか、、、
               銭湯に行く日が、、
            めんどくさい日として、、
            シャワーになってのですよね。

          深夜業務の時は、、ムスコや孫と、、おしゃべりします。

         北国で暮らした、、ありのままの日記、、
          北国に嫁いで来るときは、、、

           本州出身者は、、、雪も搔いてくれませんから、、

          結婚するなら、、北海道を知り尽くしている人が、、頼れると、、思いますよ。

          老婆心ながら、、、

           日大卒の先輩の奥さんは、、、同級生でしたが、、北国は合わないと

             冬を越せないで、、離婚して、、東京に帰ってゆきました。

             今は、、札幌だったら、、きっと、、東京の女性も
            逃げ出さないと、、思うのですがね。



      

              
    
          

           


           誰も頼れないという、、、皆、、
           自分が雪の中で生き残るだけでせいいぱいだったという

          本州のように、、旦那が頼れるというより、、

          人を頼るということ自体が、、無理だった、、社旗状況の中、、

          振り返れば、、、よくぞ生きていたと、、、ヒヤーとすることだらけですね。、、

             いつしか、、生きる要領も解り、、、人には愛を求めなくなり
               人葉自分の事で精いっぱい、、、生存競争に、、わき目も振れない所が、、、

                 北海道に来た、、、よそ者時代の、、厳しさでしたね。

                 誰も頼れなかった。。。よくぞ生きていたと、、、感謝しかない。

             自分以外の人が生きているということが、、「優しさをくれているのと同じだった。」

   そして、、、30年前に植えた、、枝垂れモミジの葉が

                    

      絶叫するような「閼伽,、淦,、銅、、朱,、紅、、丹色、、、」

       どれも少し違っている、、、赤、、、に染まって、、

        冬の到来を告げます。

           

      一気に、、、縛った樹の周りに竹を立てて、、、

    「庭の家族のような植物たちに、、、しばらく会えないね~~」

      と、、話しかけながら、、、雪囲いが始まる。
                       

     和歌山に居た13歳までは、、雪を見た事も無かった。
             
      行き成り北海道で結婚生活が始まったわけであるが、、、

          北海道は、、、今、、振り返れば、、、

            人が住んでいるのが不思議なくらいですね。

             クマの住処ですよね、、、本当は、、、

           

        アイヌ民族が住んでいたという、、、歴史の証人が居ますが

      此処を、、開拓して、、人の住める土地にして

     お米が美味しく、、、食べられるなんて、、、すごいと思います。

                  

    日本の、、、戦後の若者が、、スマホ相手に、、小手先の菌往くだけを使って

        年寄り相手に、、、詐欺をはたらくなんて、、、

        北海道を開拓した方々の、汗と、、涙の人生を、、体験すれば

            生涯生き向いてきた、、、子供も育てた婆ちゃんを

               歳をとって、、頭が働かなくなったら、、、

                若者が、、婆ちゃんをサポートして、、、
                       育てられた恩返しをすればよいでしょう。

          死に水を取って、、婆ちゃんから、、「ありがとうよ」

               持って死ねない、、残った家を、、守ってゆけば良いでしょう。

               その家は、、お金を産み出す、、人の集まる家になるでしょう。


           狸小路は、、本当は、、専門店の並ぶ,、「アーケイード」のはずだったでしょう?」

       よりによって、、札幌の、、狸小路あたりから

       国際的なサギが出るなんて、、、

      政治が介入しても、、防げなかったのですかね。

      毎日、見知らぬナンバーから、、
           変な電話が来るけど、、出ないことにしています。

       本当の冬は、、、「日本人の若者が、、、プライドを失ったときですよね、、、」

             日本人として、、、心が凍りますね。

              寂しくてさ、、、、

            戦前の日本男児は、、、老女をだますような、、、

              プライドのない若者なんて、、いませんでしたよね?

              え~~~???

              戦前も、、そんな情けない若者が居たの???

                

          若者が、、日本人の誇りを忘れて

      自分が産んでもらったような、、、お母さんの年代の

       婆ちゃんをだますという、、、

          指先だけで、、スマホだけで、、

        生きて行こうとする、、{IT人間}の出現だけは

      「岸田首相」に、、こうした人材が
          育たないような政治に、、お願いしたいですね。

       お年寄りやより、、子供が、、平和に暮らせる日本にしてくださいね。

                
               
      七つボタンで、、御国の為に散った英霊と、

         母親のような年代の、、お婆ちゃんを詐欺する、、日本の青年たち。

       自尊心が有れば、、もっと、若さを、、身体を動かして、、、

           喜びが湧くような、、、時間の使い方をすべきですよね。

         若さこそ宝なのに、、、

             だまして得たお金が、、お宝に見えるなんて、、、

               何か、、大きな間違いを犯していますよね。

        札幌は、、もっともっと、、、
          日本中の素晴らしい若者が集う、、街にすれば

         貧乏な心、、、詐欺をするような心、、、盗む心、、、

           「万引き家族の映画」のように、、、

              本人が気が付かないで

             悪いことだと判らないで、、、
           日本を、、情けない国にしてしまうのは
        貧乏な国だからですよね。。。。

           こうした人が、、、万引きして暮らすような、、政治指導は
          教育に、、お金がかかり、、、
       貧富の差が開いてしまう素ですよね。

        国の宝は、、実ラオを背負う若者が、、、結婚でき☜、、、子供を持てる政治ですよね。

      婆ちゃんも、、、一生経済的なものに追いかけられながら

        男の子だから、、大学だけは卒業させねばと、、、

          銀行のローンを使って、、、

          家を手に入れるところから、、、借金経済でしたね。

        ローンが返した頃、、ムスコが、、私立大学で、、東京に出てゆきました。

          住宅費の髙いこと、、、

               ローンを払い終わった家に、、ウワノセシテ、、

           返済した実績を認めてくれたので、、、プラス500万、、もとの金額に足して借りましたね。

       授業料も、、、入学金も、、、ローンで借りて、、、

            7年間で使ったお金を、、、20年かけて、、、返済しましたね。

           その息子は、、家も無し、、車も無し、、、結婚もしない、、、

       「自分みたいな、、金のかかる男の子の人生が、、、二度とないように、、、

          僕は結婚を考えていないという、、、」

           税金払っている様な人生は、、自分だけで沢山だという。

        日本の男の子は、、、田舎から、、東京の大學に出てゆくと、、、
          卒業が出来ても、、、40歳までの、、使い捨てになってしまうようだ。

           地元の、、親元から通ってくる仲間を、、、大学は大切にする。

           親も、、北海道の大學にやれば、、、結婚位は、、サポートできたのに

           本州は遠すぎて、、、サポートするのには、、、

            もともとがお金持ちの人と結婚しないと、、、無理であるし、、、

           大悪卒は、、、社会の下隅を経験しないで、、、 時間に追われて

           社会のクレパスに、、足をとられることは

          仕方のない、、、田舎育ちであった。

           母さんは、、、婆ちゃん委なってから、、、

               地元で暮らすという事の、、
                  普通の生活が、、、いかに大切な事だったかと、、、

                    煌めいた社会で働けるかもしれないと、、、

                東京に出したものの、、、

               苦労の多い、、強い競争相手の居る舞台に、、、

              追いやってしまったことを、、、後悔している。

             近くで、、孫の顔を見れたら、、、家が無くても、、、

           車が無くても、、、一台の車なら、、、母さんが買って、、つかっているからね。

          孫が生まれてって、、、一緒に温泉などに行けたのにね。

      若者よ、、地元に帰ってきておくれ、、、

         スープの冷めない距離で、、、幸せに過ごせたら、、、

             かつ丼が食べれれば、、幸せなんだよ、、、

                  来年は80才、、、もう、、、待っていることのできない歳になります。

                  幸せって、、、何なんでしょうね???

          

         身体を使って、、若さが故に出来る体験のチャンスを

           国が造ってほしいですね。

                

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