自分が自分でなくなっていく、壊れていくのを知った時、その事実を受け入れるのはとても辛いことだと思う。本人もそうだが、家族も。本書の主人公のような若年性アルツハイマーのケースは特に。
夫婦は、
親子は、
そして仕事は。
考えさせられてしまう。
これは切ない物語だなあと思いながら読み進めていったら、案の定泣けてしまった(^^;
途中、ふと既視感を覚え、頭の中を一巡りして思い出した。15年ほど前に読んだ『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス)によく似た展開。大好きな物語のひとつで、後半の切なさといったらない名作。
ということは、たどり着く場所もいっしょか・・・。
地の文で「露草」と書いてあったのが、主人公の付ける備忘録では『つゆ草』。
『何皿かの本』『練らく』・・・病状の進行につれ、用字を間違い、ひらがなの割合がどんどん多くなっていくところの雰囲気も似ている。
医者に「病状を会社に報告した方がいい」とアドバイスされながらも、娘の結婚式までと、先延ばししているうちに短期記憶の欠落による失敗を次々にしでかしてしまうあたりは、読んでいて辛くなる。そんな中、娘とさほど年の違わない新入社員の子が冬の陽だまりのようでいい。
荻原浩の作品は趣向が効いている印象がある。『コールドゲーム』は野球、本作は陶芸だ。しかも人生の味わいと陶芸の味わいを重ねるだけでなく、娘夫婦に夫婦茶碗を拵えてるくだりでは話にふくらみを持たせているし、陶芸の師匠二人とのかかわりも物語の行く末と深く絡んでくるという深謀遠慮。うなるしかない。
アルツハイマーが完治することはないのだから、物語の結末は絶望しかないように思うが、たどりついた終着駅はそんなに悪いものではない。悲しい物語なのに、少しほっとして読了したのは作家の力だろう。
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