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旅日記

大分、山口、広島周遊(12)6日目-2 広島

広島観光-2

 

安芸高田(吉田郡山城、百万一心碑、毛利元就公墓)

江田島の幸ノ浦から安芸高田市吉田町まで約3時間のドライブでした。

途中のサービスエリアで昼食をとりました。食堂のテーブルは接触防止のため仕切られていました。

吉田郡山城

『ウィキペディア(Wikipedia)』より

吉田郡山城は、広島県安芸高田市吉田町吉田にあった城で戦国大名毛利氏の居城であった。

当初の郡山城は砦程度の小規模な城で、一般的な国人領主や豪族の城と変わりなく、12代目にあたる毛利元就が入城する大永3年(1523年)までは大きな変化はなかった。元就は国人領主の盟主から戦国大名への脱皮を図り、郡山全体に城域を拡張していく。郡山全域の城郭化が始まったのは元就の晩年と考えられており、天文9年(1540年)から翌年正月まで続いた吉田郡山城の戦いの頃はまだ拡張前だった。ただし、尼子詮久(後の尼子晴久)率いる3万の大軍を撃退したこの合戦では、農民男女を加えた8000余りが籠城したとされるので部分的な拡張が始まっていた(もしくは、城郭化される前の全山に人を入れた)可能性も指摘される。少なくとも、南麓に堀が設けられたのは、天文20年(1551年)頃とされ、城域が拡張されたのも天文年間の後半とする見方もある。

 

毛利元就の墓

百万一心

毛利元就が吉田郡山城の拡張工事の際に人柱の代わりに使用した石碑に書かれていた言葉です。

百万一心とは、「百」の字の一画を省いて「一日」・「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれており、「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味しています。

山を登っていくが、暑いのと蚊の攻撃に悩まされました。

帽子で蚊を払いながら登りました。

帰り道を間違え車を止めている駐車場に辿り着きませんでした。仕方なくまた元に戻り帰り道を探しました。

漸く目的の駐車場に辿り着いたのは30分後でした。

16時を過ぎました。今から実家に向かいます。

実家到着は17時半ごろになるでしょう。

 

<完>

 大分、山口、広島周遊 目次 

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