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旅日記

中国南通滞在時のよもやま話(8)市内観光巡り

1.南通博物苑 南通市崇川区濠南路19号

最初は中国人の友人に連れられて来ましたが、その後は、住んでいた所と近かったので散歩がてらに一人で良く来ました。

入場料は無料で、敷地内は公園にもなっており憩いを求める人たちが沢山いました。太極拳などの演武も行われていました。

 

南通博物館は、中国が独自に設立した最初の公立博物館です。全国の第一級博物館と全国の観光等級4Aの観光名所で、1988年に国務院が国家の重要文化財保護団体として発表しました。 

南通博物館は南通市の濠河の美しい景色の中にあり、1905年に中国の近代化のパイオニア张謇(Zhāng jiǎn )によって設立されました。

<張謇(Zhāng jiǎn 1853~1926 )>

張謇は、清王朝末期の、近代国家産業の先駆者、産業主義者、教育者で南通の色々な文化施設(南通医学院、同農学院、狼山天文台、博物館、図書館、師範学校、中学校、戯劇学校等)を創設しています。

張謇は、1903年大阪で開催された第五回内国勧業博覧会をきっかけに、5 月21 日(陰暦4 月25 日)から7月29日(陰暦6月6日)までおよそ70日間の日本視察を行ないました。

張謇は帰国後、日本の東京帝室博物館の制度を範として、『上南皮相国請京師建設帝国博覧館議』および『上学部請設博覧館議』を書き、民衆の教育や国威の発揚のため、まず北京に博物館を設置し、漸次に博物館を全国へ波及させることを張之洞や清国政府に建議したそうです。

 

当時の中国は列強諸国により半植民地化におかれた混沌とした時代です。そのなかで中国は列強の重圧から解放されるため、また富国強兵のために、近代化の道を進もうとしていました。
そしてそのモデルとなったのが、明治維新以降文明開化により近代化の道を歩み出し、すでにその経験を積んでいた日本だったのです。また教育方面でも日本をモデルとし、教育近代化を目指していました。

 

2.中国珠算博物馆 江苏省南通市崇川区濠北路58号

公設の自転車を借りて、中国の友人と一緒に市内観光をしたときに訪れました。この日はとても暑く、市内巡りは大変でした。この後も2回訪れました。色々な算盤が展示されており面白かったです。

南通そろばん博物館は2004年12月にオープンしました、そろばん展示ホール、学術講堂、子供の暗算訓練基地の3つの部分で構成され、展示、研究、教育、コミュニケーションそして観光の機能を統合しています。

そのコレクションの中には4,000点以上の歴史的記録があり、その多くは、そろばん開発の歴史の中で孤立した貴重な本であり、中国、日本、インド、ロシア、マレーシア、その他の国々では2,000以上のそろばん楽器があります。

 

算盤の起源:

以下(wikipedia)からの抜粋

起源については諸説あるが、アステカ起源説、アラブ起源説、バビロニア起源説、中国起源説などがある。

メソポタミアなどでは砂の絵に線を引き、そこに石を置いて計算を行っていた「砂そろばん」の痕跡がある。

同様のものはギリシャなどにも残るが、ギリシャ時代には砂だけでなくテーブルの上などにも置いていた。

このテーブルを「アバクス」と言う。

ローマ時代に持ち運びができるように小さな板に溝を作りその溝に珠を置く溝そろばんが発明された。

この溝そろばんが中東を経て中国に伝わり現在の原型となったとも言われている。

現存する最古のそろばんは1846年にギリシアのサラミス島で発見された「サラミスのそろばん」と呼ばれるもので、紀元前300年頃のものである。

<中国での発展>

中国では紀元前の頃から紐の結び目を使った計算方式や、算木を使用した籌算(ちゅうざん)と呼ばれる独自の計算方式があった。

これらは紐や竹の棒や木の棒で計算していたものであり、桁を次々に増やせる利点はあるが珠の形ではない。

珠の形になったのは2世紀ごろの事と考えられ、『数術記遺』と言う2世紀ごろの書籍に「珠算」の言葉がある。

 <日本への伝来>

昭和以降に日本で一般的になったタイプのそろばん。五珠が1つ、一の珠も4つある。

日本語の「そろばん」は「算盤」の中国読み「スワンパン」が変化したものだといわれている。

中国から日本に伝わったのがいつ頃か詳しいことは分かっていないが、少なくとも15世紀初頭には使用されていた。

『日本風土記』(1570年代)には「そおはん」と言う表現でそろばんのことが記されており、その頃には日本に既に伝来していたことがうかがえる。

 

3.文峰公园 南通市崇川区城山路5号

ここは散歩コースの一つでした。

濠河風景区に位置し、公園の面積は9.4Km2で、かつては長春庭園として1898年に建てられました。

三方を水に囲まれており、緑豊かな景観と借用の景観を組み合わせた牧歌的な魅力を誇る公園です。園内に動物園もあります。

この敷地内でバーベキューができる場所があり、中国語学校の人たちと一緒にバーベキューを楽しんだことがあります。

 

 

4.钟楼·谯楼 江苏省南通市崇川区--十字街北侧

一人で市内観光をした時、行き着いた場所で市民広場内に、古い建造物があり、興味をそそられました。

谯楼[Qiáolóu](城門の上の望楼)は星枢楼[Xīng shū lóu]とも呼ばれ,元正九年(1349年)に建てられた。

钟楼[Zhōnglóu](時計台)は谯楼の近くの南側にあり、中華民国の3年目(1914年)に建てられました。 高さ5メートル、高さ26メートル、幅6メートルです。

 

 

5.南通盆景园 江苏省南通市崇川区孩儿巷南路 

ここも中公設の自転車を借りて、中国の友人と一緒に市内観光をしたときに訪れました。

人は少なかったですが、園内の風景や、盆栽は素晴らしかったです。

江南の古典的な庭園風の南通盆栽園は三面が水に囲まれており、総面積は9,800平方米で、公園内には300以上の盆栽があります。

<盆景とは>

盆景(ぼんけい)とは、お盆の上にや草木などを配置して自然の景色をつくり、それを鑑賞する伝統芸術です。

簡単に言えば、盆栽と組み合わせて小さな庭や地形をつくる技術です。

 盆栽は唐王朝に始まり、1,300年以上の歴史があります。1972年に、陝西省で発掘された唐代の章懐太子李賢(654~684)の墓の壁画に鉢植えの植物が描かれています。

これまでに見つかった最も古い鉢植えの絵と言われています。

<章懐太子李賢>

章懐太子李賢は高宗と則天武后の第2子であす。則天武后の怒りにふれて死を賜い、のちに乾陵(高宗と則天武后の陵墓)に陪葬されたました。

1971年~1972年の発掘で、墓道・過洞・天丼・甬道・前室・後室によって構成された墓葬内部が明らかになり、多くの壁画が発見されました。なかでも長さ71mの墓道の壁に描かれた客使図・馬球図は有名です。

  

  

 

6.啬园 南通市崇川区南郊路150号

会社の仲間とバーベキューをした時に初めて訪れました。

1924年に建てられた啬园は、面積が約34.7万平方米で、全国観光等級4Aレベルの観光名所で、生態生態教育基地、南通市の強制緑化基地です。

前出の张謇がここに眠っています。

ここの環境は静かで景色は心地良く、ウトン、スギ、イチイ、ユーカリ、トチュウなど200種類以上の珍しい木があります。 

公園内には、張墓、張石寺、ロータスロータス、臨渓鶴などの娯楽アトラクションや、バーベキューパーク、uanxiguan魚、勇敢な道、牧歌的な景観などの他のアトラクションがあり、自然と歴史、伝統と現代性をもたらします。

 

 <完>

 よもやま話 目次 

 

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