12月の温かい日、伊丹市立美術館に「鴨居玲展」を観に行きました。
鴨居玲展、『踊り候え』観てきました。堀文子さんに続き、日本人画家の鑑賞はこれで2度目になります。今回は伊丹市立美術館への訪問です。
先生に画集を見せていただいたときから、鴨居玲さんの作風が好きになり、興味を持ちはじめました。彼は人間を生涯のテーマとしていたようなのですが、私が描きたいと思うものも人間なので、彼に憧れた面もあります。
私が思う一点は『1982年 私』という大きな油絵作品、これを選びます。画面の中心に真っ白なキャンバスを前にこちらに生気を無くしたような空っぽの顔を向ける鴨居玲自信が座っており、周辺を彼が今まで描いてきた人物たちが彼を見下ろすように取り囲みます。おばあさん、旅人、石化する男女、肢体を無くした兵士、はたまた彼の愛犬チータまで。絵の内容としてはファンタジーなのですが、一目で惹き付けられました。鴨居玲の油絵は濁ったような暗い色が多く、これも例にもれず暗い絵なのですが、その色は「もうこれ以上何が描けるのか」という彼の虚無感、枯渇をまさに表していると感じます。無地のキャンバスの毒々しいまでの白さが目に痛く、心の内が垣間見えます。そうかと思えば、周りの人物たちは絵から飛び出して、生き生きとしているように私は感じます。鴨居の画家としての最期を見守るようにも、無情にただ傍観しているだけのようにも見えました。
さらに思うのは、使っている色の幅は狭いのに、このように描き分けられるのか、ということです。同じ暗色の中で明暗をはっきりさせるのは本当に難しいです。これからの参考にしようと思いました。(IY)
鴨居さんの作品は、どれも吸い込まれるような不思議な感じがしました。目など細部まではっきり書き込まれていなくても、明暗だけで見る人に伝えることが出来るのが凄いと思いました。
その中でも、「鳥」が特に気に入りました。色が私の好きな濃さで、グラデーションが良いと思いました。また、「1982年 私」は、今まで描かれた色々なモチーフが鴨居さんの自画像の周りにいて、その一つ一つの作品を思い出しながら見ると楽しかったです。でも、鴨居さんがキャンバスの前にいるのに絵筆を持っていないことから、もう描くものがなくて描くことができない気持ちを表しているように思いました。
後半では色々な遺品がありましたが、どれもかなり使い込まれていて、でも今も使われていそうな気がして、30年も前のものとは思えませんでした。
学校で初めて鴨居さんの作品を見たとき大きな衝撃を受けましたが、今日もそんな作品をたくさん見ることが出来ました。(KF)
今回の鴨居玲展では、独特の暗めの色と力強く密集していく人の顔などのタッチが何か迫ってくるものを感じでした。
特に私が気に入った絵は、「群がる」という絵です。画面の右下に3人の男の人が描かれていて、左上から落ちてきているような小さいものに向かって手を伸ばしています。まず目を引いたのは、やはりその背景の赤色です。少し暗い色が混ざっているようですが、右下の男の人達の黒っぽい暗さとあわさり、とても鮮やかに感じました。また、男の人達の手を伸ばす必死さというか、他人を押しのけてでも前に行こうとしているような感じが、そのタッチの集まりの中に込められている気がします。
また、今日の展覧会で凄いなと思ったのは、デッサンのところです。ここにもあの力強く密集する感じがありました。あと、人間を描くなら手にタコが出来るくらいデッサンをしないといけないというのが、さすがだなと思います。私は全然デッサンが出来ないので、もっと頑張らないといけないと思います。(WY)
初めての鴨居玲、とても独特の画風で新鮮でした(暗いトーンの色が多くて、ぼやっとしてるけど、どこか鋭い…)。
特に「観音像」がとても印象に残りました。そんなにはっきりと描いていないのに克明と浮かびあがってくる観音像に感動しました。
あと、デッサンはすごく参考になりました。デッサンから派生して描いているのがよくわかり、デッサン力はやっぱり必要だな、と気付かされました。
今回の展覧会は、技術面もアップできそうな作品ばかりでとても良かったと思います。いろんな画家さんの良い所を吸収していきたいなと思いました。(KI)
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