今回、ハノイに行ったのは、サッカーのアジア・カップを見に行くのが目的ではない。様々な案件を抱えて行った。
重要な職務のひとつは、海外子会社社長会を開催することであった。
当社の海外現地法人の社長たちを一同に集め、本年度下半期の施策について真剣に討議した。
ここに集ったメンバーは、僕にとって部下というよりも、ともに前線で戦ってきた戦友と言ってもよい間柄だ。
ホストは、ベトナム在住の河内A君だ。人事や企画など所謂管理畑のエリートコースを歩んできた彼に現場の苦労を知ってもらうため、あえて過酷な新設工場のハノイへ赴任命令を出した。
しかし、大したもので、わずか半年でそこいらの駐在員に負けない現地への溶け込みぶりである。まさに僕の方針であるThink Globally, Act Locallyを実践してくれている。
もう一方のホストは、海外統括部長のあんとにおだ。彼は日本側からの出席で、会議のとりまとめをしてくれた。
あんとにおは、わが社で三番目に海外赴任希望の手を挙げた男で、これまで香港、マレーシア通算7年の海外勤務経験がある。
彼もAct Locallyの権化であり、現地の食べ物をガンガン気持ちよく平らげる。
食は、やはり基本であり、現地食をしっかり食べれない人は海外向きではないというのが僕の持論だが、彼を見ているとあらためてその持論に間違いがないことを確信する。
最年長はY山で、彼は二番目に海外希望の手を挙げた男。香港の立ち上げは彼と二人でやった。今から、既に13年前のことだ。広東通りの小さな事務所で、二人の日本人と一人の女性事務員の三人で始めた事業が、今では売り上げ○○億円、利益○億円、毎年資本金の2.5倍以上を本社に配当する優良会社になった。
Y山は、香港の後、フィリッピン勤務を経て、一時帰国。そして現在は、マレーシア法人の社長だ。
彼のact locallyぶりこそ一番で、フィリッピン駐在時代に自分の秘書として務めてくれていた現地女性と仲良くなり、そのまま結婚してしまった。マニラのNEW WORLD HOTELで行われた結婚式に参列した想い出は今も鮮明だ。 ハーフの娘さんも出来て、リタイア後、彼はフィリッピンで暮らすことになりそうだ。
海外の猛者が、もう一人居る。上海色鬼だ。
現在は上海と、蘇州の両方の社長を務める。一度も日本に帰らないで、連続海外勤務という点では、彼が一番だろう。タイ、上海、蘇州と通算すると11年間海外へ出ずっぱりだ。
彼のlocalizationで、凄いところは語学だ。
今では、タイ語、中国語、英語、そして日本語を話すことが出来る。
かつて、ミュージシャンだった彼は、耳が抜群に良いのかもしれない。
(但し、所詮ミュージシャンだからWRITINGは大したことはない。)
さて、localを超えて、localそのもの。香港の社長は、JIMMYちゃんだ。カナダ国籍だが、生粋の香港人。10年以上前に、僕が他社からヘッドハントした。
皆から、「気配りJIMMY」と言われるほど、全体が俯瞰でき、凄い気遣いをする。
外人相手、特に華僑との交渉が多い僕には、欠くべからざる男だ。
海外で会社を興す以上、いつかその国の人を社長にしたいと思っていたが、JIMMYでその思いが実現した。
こうした会議は、今後とも継続していきたいと思っているが、「三年後には、この会議の公用語は英語にしよう」と話した。
会議開催のホスト国の会社からは、ローカル・マネジャーも参加させたい。そして、それ以上に第二、第三のJIMMYを産み出したい。
今回の会議でも、1/4は英語でコミュニケーションが図られた。
昔は、そんな側面では、僕が気を使って通訳をした。
しかし、今回は分かっていない奴がいようとも、通訳無しで英語で押し通させた。
更なる飛躍、更なるGlobal化のためには避けて通れない道だろう。
日本中に居ると無言に感じる「閉塞感」とは、反対の「開放感」がこの会議には溢れていて楽しかった。
重要な職務のひとつは、海外子会社社長会を開催することであった。
当社の海外現地法人の社長たちを一同に集め、本年度下半期の施策について真剣に討議した。
ここに集ったメンバーは、僕にとって部下というよりも、ともに前線で戦ってきた戦友と言ってもよい間柄だ。
ホストは、ベトナム在住の河内A君だ。人事や企画など所謂管理畑のエリートコースを歩んできた彼に現場の苦労を知ってもらうため、あえて過酷な新設工場のハノイへ赴任命令を出した。
しかし、大したもので、わずか半年でそこいらの駐在員に負けない現地への溶け込みぶりである。まさに僕の方針であるThink Globally, Act Locallyを実践してくれている。
もう一方のホストは、海外統括部長のあんとにおだ。彼は日本側からの出席で、会議のとりまとめをしてくれた。
あんとにおは、わが社で三番目に海外赴任希望の手を挙げた男で、これまで香港、マレーシア通算7年の海外勤務経験がある。
彼もAct Locallyの権化であり、現地の食べ物をガンガン気持ちよく平らげる。
食は、やはり基本であり、現地食をしっかり食べれない人は海外向きではないというのが僕の持論だが、彼を見ているとあらためてその持論に間違いがないことを確信する。
最年長はY山で、彼は二番目に海外希望の手を挙げた男。香港の立ち上げは彼と二人でやった。今から、既に13年前のことだ。広東通りの小さな事務所で、二人の日本人と一人の女性事務員の三人で始めた事業が、今では売り上げ○○億円、利益○億円、毎年資本金の2.5倍以上を本社に配当する優良会社になった。
Y山は、香港の後、フィリッピン勤務を経て、一時帰国。そして現在は、マレーシア法人の社長だ。
彼のact locallyぶりこそ一番で、フィリッピン駐在時代に自分の秘書として務めてくれていた現地女性と仲良くなり、そのまま結婚してしまった。マニラのNEW WORLD HOTELで行われた結婚式に参列した想い出は今も鮮明だ。 ハーフの娘さんも出来て、リタイア後、彼はフィリッピンで暮らすことになりそうだ。
海外の猛者が、もう一人居る。上海色鬼だ。
現在は上海と、蘇州の両方の社長を務める。一度も日本に帰らないで、連続海外勤務という点では、彼が一番だろう。タイ、上海、蘇州と通算すると11年間海外へ出ずっぱりだ。
彼のlocalizationで、凄いところは語学だ。
今では、タイ語、中国語、英語、そして日本語を話すことが出来る。
かつて、ミュージシャンだった彼は、耳が抜群に良いのかもしれない。
(但し、所詮ミュージシャンだからWRITINGは大したことはない。)
さて、localを超えて、localそのもの。香港の社長は、JIMMYちゃんだ。カナダ国籍だが、生粋の香港人。10年以上前に、僕が他社からヘッドハントした。
皆から、「気配りJIMMY」と言われるほど、全体が俯瞰でき、凄い気遣いをする。
外人相手、特に華僑との交渉が多い僕には、欠くべからざる男だ。
海外で会社を興す以上、いつかその国の人を社長にしたいと思っていたが、JIMMYでその思いが実現した。
こうした会議は、今後とも継続していきたいと思っているが、「三年後には、この会議の公用語は英語にしよう」と話した。
会議開催のホスト国の会社からは、ローカル・マネジャーも参加させたい。そして、それ以上に第二、第三のJIMMYを産み出したい。
今回の会議でも、1/4は英語でコミュニケーションが図られた。
昔は、そんな側面では、僕が気を使って通訳をした。
しかし、今回は分かっていない奴がいようとも、通訳無しで英語で押し通させた。
更なる飛躍、更なるGlobal化のためには避けて通れない道だろう。
日本中に居ると無言に感じる「閉塞感」とは、反対の「開放感」がこの会議には溢れていて楽しかった。
写真見ると天井の安普請がよく分かるな。
儲かったら、リノベーションしよう。
ですか?
海外で活躍されるみなさん、頼もしいですね。
間違いではありませんか? 写真に写っている
ような気がしますが・・・
Y山さんのマニラ結婚式で思い出しますのが、
日本側として出席されていた弊社のオジ様達
(KEVINさんはVIP席に座っておられたので別)
テーブルに酒が無いと騒ぎ出し、当時若手の
河内Aさんとあんとにおが必死に交渉し、
ウィスキーをゲットしたのは良いのですが、
全員酒に群がり、肝心のKEVINさんスピーチを
誰も聴いていないという…(苦笑)
当時の面白話は尽きませんが、これからもこんな
(話を聴かないという事ではありませんよ)逸話を
幾つか創りながら楽しく、真剣に仕事をして
行きたいと思っております。
H山さんも、今、ベトナムの支援に来ています。
海外子会社の社長として最年長なのは、Y山という男です。確か、今年で56歳か57歳です。
懐かしくも楽しい思い出です。
これからも、新しい思い出を沢山作っていきましよう。
「ボロは着てても、心は錦!」と何かの歌の文句ではありませんが、安普請工場でも、ピカピカの結果が残せるよう頑張ります!
マニラ結婚式の集団飲酒事件は、PhilippineのN氏も鮮明に覚えているとのこと。当時は「何の騒ぎだ?」と近隣の席の方々と話していたそうです。
若気の至りです。申し訳ありません。