レコード大賞は、修二と彰であるべきだと書いた。「青春アミーゴ」はTVドラマ「野ブタ。をプロデュース」のテーマ曲だ。
このドラマは、1983年生まれの白岩玄が41回文藝賞を受賞した同名の小説を原作にしている。
設定は似ているが、実は内容も、テーマも小説とドラマは全く異なる。
今日は、小説の方について。
高校生である主人公、桐谷修二は、身なりも清潔で、勉強も出来、会話も軽妙で、学年でも指折りの可愛い彼女を持つクラス中の人気者だ。
しかし、彼の心は乾いて、冷めている。
ストーブは近すぎると熱すぎる。離れすぎると寒い。彼は、丁度生暖かくて気持ちの好い離れ過ぎず、近過ぎずの距離を保つために、人気者の「桐谷修二」君を演じている。
友人やガールフレンドに対しても、真の友情や愛情があるわけでない。
常に意識しているのは、あるべき「桐谷修二」像だ。
要するに彼は自分自身をプロデユースしている。
そんな彼の元に、小谷信太”コタニシンタ”(信太=野ブタ)という転校生がやって来る。彼は、ワカメヘアーに、ぶよぶよ太った体型、脂ぎった顔、おどおどした態度などいじめに恰好のタイプであり、案の定クラスメートからは無視されたり、カツ上げされたり、殴られたりするようになる。
自分のプロデユース能力に自信のある桐谷修二君は、ほんの気まぐれから野ブタをプロデュースして、人気者にしようと企てる。
修二の様々な演出は、予想以上に成功し、野ブタはクラスで認知され、徐々に人気者になっていく。
そんな矢先に、ある事件が起きて、修二、本人のプロデユースが破綻する。
修二の仮面がはがされる。
野ブタが人気者になるのと反対に、「桐谷修二」君は、人気者の座を降りることになる。
先日、オトンに会ったときに「自分の娘や息子の中で、KEVINほど子供の頃から可愛い子は居なかった。素直で、賢く、一番優しかった」と思いもしないことを言われた。
確かに父親の前で、僕は素直で良い子を演じていた。
今の会社に入ってからは、若くて経営を任されたがゆえに、子供のとき以上に自分ではない自分を演じ続けてきた。
演技者には、衣装が必要だ。
だから、僕は多分普通の人がびっくりするくらいの数のスーツ、ネクタイ、シャツ、靴を持っている。
武装していないと演じている自分が崩壊しそうになる恐怖が、無意識のうちに僕に買い物をさせているのだと思う。
だから、桐谷修二君の気持ちは分かる。
但し、桐谷修二君は僕よりももっと寂しいような気がする。
というのは、僕の演技は、桐谷君ほどきちんと意図したものでも、計算したものでもなく、環境が無意識のうちに演技を強いている部分が大きい。
しかし、桐谷修二君は、演技をしている自分を常に明確に見つめている。演技しないと自分の在り場がなくなることを意識している。
その分、僕と比較すると、もっと寂しく、悲しいと思える。
作者の白岩玄は83年生まれというから、まだ22歳だ。
今の若い子達は、お互いにキャラを設定して、それぞれに演技をしないと生きていく場所が無いのだろうか?反面、いじめられキャラでも、上手くプロデユースさえすればきちんと生暖かくて居心地の良い場所を確保出来るのだろうか?
僕には見えない若い子達の真実が、22歳の作家には見えているのだろう。
在り場所を失った桐谷修二君は、別の学校に転向していく。
新しい学校で、修二はもう一度、自分をプロデユースしようと決意する。
前の学校での反省は無い。あるべき姿を演じることが生きることだと思っているからだ。その姿勢はハードボイルドだとも言える。
桐谷修二君は、僕よりも寂しいと書いた。
でも、それは僕の年代の感性であって、そうするのが当たり前と軽く割り切っているのかもしれない。
それにしても、芥川賞をとった「蛇にピアス」にしても「蹴りたい背中」にしても、そしてこの小説にしても若くて優れた小説家の作品には、自分と他人との距離のとり方について戸惑い葛藤する姿が見え透ける。
このドラマは、1983年生まれの白岩玄が41回文藝賞を受賞した同名の小説を原作にしている。
設定は似ているが、実は内容も、テーマも小説とドラマは全く異なる。
今日は、小説の方について。
高校生である主人公、桐谷修二は、身なりも清潔で、勉強も出来、会話も軽妙で、学年でも指折りの可愛い彼女を持つクラス中の人気者だ。
しかし、彼の心は乾いて、冷めている。
ストーブは近すぎると熱すぎる。離れすぎると寒い。彼は、丁度生暖かくて気持ちの好い離れ過ぎず、近過ぎずの距離を保つために、人気者の「桐谷修二」君を演じている。
友人やガールフレンドに対しても、真の友情や愛情があるわけでない。
常に意識しているのは、あるべき「桐谷修二」像だ。
要するに彼は自分自身をプロデユースしている。
そんな彼の元に、小谷信太”コタニシンタ”(信太=野ブタ)という転校生がやって来る。彼は、ワカメヘアーに、ぶよぶよ太った体型、脂ぎった顔、おどおどした態度などいじめに恰好のタイプであり、案の定クラスメートからは無視されたり、カツ上げされたり、殴られたりするようになる。
自分のプロデユース能力に自信のある桐谷修二君は、ほんの気まぐれから野ブタをプロデュースして、人気者にしようと企てる。
修二の様々な演出は、予想以上に成功し、野ブタはクラスで認知され、徐々に人気者になっていく。
そんな矢先に、ある事件が起きて、修二、本人のプロデユースが破綻する。
修二の仮面がはがされる。
野ブタが人気者になるのと反対に、「桐谷修二」君は、人気者の座を降りることになる。
先日、オトンに会ったときに「自分の娘や息子の中で、KEVINほど子供の頃から可愛い子は居なかった。素直で、賢く、一番優しかった」と思いもしないことを言われた。
確かに父親の前で、僕は素直で良い子を演じていた。
今の会社に入ってからは、若くて経営を任されたがゆえに、子供のとき以上に自分ではない自分を演じ続けてきた。
演技者には、衣装が必要だ。
だから、僕は多分普通の人がびっくりするくらいの数のスーツ、ネクタイ、シャツ、靴を持っている。
武装していないと演じている自分が崩壊しそうになる恐怖が、無意識のうちに僕に買い物をさせているのだと思う。
だから、桐谷修二君の気持ちは分かる。
但し、桐谷修二君は僕よりももっと寂しいような気がする。
というのは、僕の演技は、桐谷君ほどきちんと意図したものでも、計算したものでもなく、環境が無意識のうちに演技を強いている部分が大きい。
しかし、桐谷修二君は、演技をしている自分を常に明確に見つめている。演技しないと自分の在り場がなくなることを意識している。
その分、僕と比較すると、もっと寂しく、悲しいと思える。
作者の白岩玄は83年生まれというから、まだ22歳だ。
今の若い子達は、お互いにキャラを設定して、それぞれに演技をしないと生きていく場所が無いのだろうか?反面、いじめられキャラでも、上手くプロデユースさえすればきちんと生暖かくて居心地の良い場所を確保出来るのだろうか?
僕には見えない若い子達の真実が、22歳の作家には見えているのだろう。
在り場所を失った桐谷修二君は、別の学校に転向していく。
新しい学校で、修二はもう一度、自分をプロデユースしようと決意する。
前の学校での反省は無い。あるべき姿を演じることが生きることだと思っているからだ。その姿勢はハードボイルドだとも言える。
桐谷修二君は、僕よりも寂しいと書いた。
でも、それは僕の年代の感性であって、そうするのが当たり前と軽く割り切っているのかもしれない。
それにしても、芥川賞をとった「蛇にピアス」にしても「蹴りたい背中」にしても、そしてこの小説にしても若くて優れた小説家の作品には、自分と他人との距離のとり方について戸惑い葛藤する姿が見え透ける。
これが時代の流れなんだろうと思う。
いまどきの子が『羅生門』を読んで『高瀬川』を読んで何を感じるのだろう。
人間の奥深い感情が今と少し前とでは違っているのでしょう。
日本文学を支えてきた根底が覆されていくのです。
でも時代の流れの中では仕方のない事であり、その流れに乗れなければ自分自身が遅れた人間になってしまうのでしょう。
私は少し前の人間でしょう。少し前の時代の中で自分をプロデュースしてきたのですが、どうも今の時代には合わないようです。
さて、この時代に合わせてまたプロデュースをし直しです。
どんな自分をこれから演じていくのか、今模索しながら構成をいています。
嫌な奴にならなければいいのですが・・・・。
背負っているものの大きさが大きいほどその悩みはひとしおだと思います。
(味わったことないけど(笑))
最近とてもシンプルな脱出方法を見つけました。
あくまで私の場合ですが・・・
その方法とは
感謝すること
です。
いろんなことに有難うと思うようにしていくと、頭の中がユルユルワクワク楽しくなっていく!
優しかった父が一度だけ、猛烈に私を叱った原因は「ありがとう」を言わなかったから。後にも先にもあの時だけ。
今思うと一番大事な事を教えようとしていてくれたんだな、とわかります。
個を重視しすぎる感のある今の時代には、人や自然や物に対する感謝の心が足らん!と、自分のなかのオッサンキャラが叫んでおります。
あなたも随分と頑張って強い自分を演じてきましたね。
演じる自分と、真実の自分との間に違いが大きいほど、無理が来るものです。
もうそんな無理は止めて、肩の力を抜いてください。
もっと誰かに頼ってもいいと思いますよ。
確かに感謝を忘れると、不満ばかりが蓄積して、自家中毒を起こしてしまいます。
正に、感謝の気持ちこそ自己救済の道だと思います。
僕は、反省しています。
もっと今の境遇に、そして僕を取り巻く素晴らしい人達に感謝しなくてはいけないと、あらためて思いました。
satoさんのアドヴァイスにまずは感謝です。